音楽とは何か…と問う壮大な映画だ。
もう何度も見た。初めて見たのは当時プロモーションをしていたバンド、アラマーイルマン・ヴァサラットのリーダー:スタクラが、自分のバンドを理解するには、これらの映画を見る必要があるといって、映画を二つ教えてくれたのだ。
一つはジプシー音楽を世界的なブームにしたクストリッツァの『アンダー・グラウンド』。そして、もう一つがこの『めぐり逢う朝』だった。対照的な映画だけど、確かにどちらもあのバンドの空気感というか佇まいというか、存在というか、美意識というか…を象徴している。
(という話はもう何度もここに書いているのだけど、大事なことは何回も書け、それでこそ伝わる…と偉いセンセが言ってらしてなるほどと思っているので、何回でもここに書く)
バンドの音楽をスタッフに理解させるのに映画を2本を上げてくるスタクラって、ほんとすごい奴だと思った。今までそういうバンド・リーダーはウチにはいなかったから。
そして、彼が死んで一年以上たち、私はまたこの映画を配信で見つけ、配信で見なおしている。
音楽とは何か。それを問う、すごい映画だ。ルイ14世の時代にフランスで活躍した音楽家(実在したけど、かなり無名)と、その弟子マレ(こちらも実在の人物。かなり有名)の話で、特に最後に「音楽とは何か」を語る師弟対決、俳優対決は、本当にすごい迫力なのだ。
それにしても静かな映画だ。音楽は流れているけれど、いつも静かだ。そこがいい。
実際に劇中音楽を演奏している音は日本でも人気のあるジョルディ・サバール。サバール、一度、生で聴いてみたいんだよなぁ。日本で公演もあるのだけれど、だいたい瞬殺でソールドアウトで、チケットをゲットするチャンスがない。
実は彼はウチのマーティン・ヘイズとも共演してるんだけど、その後、共演が続いていかなかったところを見ると世紀の共演においても、何かエキサイティングな新しいものは生まれなかったのかもしれない。
それにしてもフランス語がわからないのが悔しい。フランス語の映画なので、字幕に頼って映画を理解するしかなく、どの訳が正しいかはわからない。
私は最初スタクラに言われてこの映画を探した時、見つけたDVDは英語字幕しかついていなかったので、英語字幕をあてに見た。そのあと日本語のDVDが紀伊國屋だかなんだかのレーベルから復活し、日本語字幕で改めて、この作品を見た。
そして、今、配信でこれを見ているのだけど、それぞれの訳がだいぶ違うように思える。
今回何度目かに見て思ったのは、音楽とは何か…という問いは最後のシーンだけではなく、映画全部をつらぬいて描かれているテーマなのだなということ。
そして今回配信で見た訳では、師匠のキーワードは「言葉で語れぬものを語るのが音楽です」「だから俗世のものではない」とあった。
確か以前見た訳は「音楽とは言葉をもたないもののための存在です」「言葉にできない思い、言葉をもたない自然の音」とかだったような記憶…(今、DVDプレイヤーをわざわざ出して確認する気力なし)
それにしてもこのマレを演じているフランス人の人気俳優さん(ジェラール・ドパルデュー)、実際の息子さんがマレの若い頃を演じているのよね。その息子さんはその後、若くして亡くなってしまったそうだけど…
この映画で、娘役、自殺してしまう長女役の女優さんの熱演が素晴らしい。
この映画と素晴らしい音楽を教えてくれたスタクラに感謝。アラマーイルマン・ヴァサラット、もう一度、日本に呼びたかったよなぁ… 「浅草ヴァサラット」のプロジェクト。あれが最後になったか。
よくバンドが解散したりすると「野崎さん、残念でしたね」と言われてることが多いんだわな。そりゃもちろん悲しいよ。特にかけた予算の回収前の初期段階のバンドだと、自分の努力がすべて無駄になったんだしね。
けれど、私は同時になんとなくホッとしているんだ。あのバンドを日本でなんとかするための、次の一手を考える責任は私にはもうない。
ただただ単純に残された音楽を、ファンの一人として楽しんで聴けるのは悪くない気分だったりもする。
しかし音楽とはなんなんだろう。ここに出てくる弟子(マレ)が目指していたように、音楽とはお金や名誉にならないと意味がないものなのだろうか。綺麗ごとばかり並べているくせに、お金がもらえないと表現できない芸術家の皆さんを私もたくさん見てきている。
この人たちにとって、音楽とは、表現とはいったい何なのかと思う。
私の仕事はミュージシャンにお金を運ぶことだけど、早くその仕事から解放されたいと思う今日このごろなのであった。で、もうファンの一人みたいにして応援したい。
いや、それは無責任なんだよな。関わっている限りはちゃんと最後まで責任を取らないと。そういう気持ちが今の私を支えている。