宮田珠己『ときどき意味もなくずんずん歩く』を読みました。これはなんとも…(笑)


読んだ。宮田タマキングさん。

高野秀行さんの辺境チャンネルのゲストで初めて知って(ほんとわたしって物を知らない)、おもしろそうなおじさんだったし、生配信で「最初に読むのはどれがいいか」という質問を投げたら、それを拾ってもらえて、高野さんにこの本を薦められたので、買ってみたのだった。

いやーーー タマキング。すごい。なんか読書ってこんな感じだったっけ?と妙に新鮮な気持ちになった。

最近、本を読んだり、本を買ったりするのが加速しているのは(そして編み物をガシガシ編んでしまうのは)、地球の未来に対する自分の不安な気持ちから来ているのではないかと分析しているのだが…

知識を得ることで、将来の不安を払拭している、自分の気持ちが反映されているんだろうなと思っていたのだが。

…こんなに意味のない、まったく何も残らない読書体験は、初めてだよ!!!! いや、誤解なきよう。褒めてるんです。めっちゃ褒めてるんです。

そうです、わたしの読む本はほとんどがノン・フィクション。しかも何か自分の生き方になんらかの示唆を与えてくれるものに限っている。そういう薄っぺらのペラペラの人間なんです、わたし。

自分の得にならなきゃ読書もしないペラッペラな人間なんです。自分の人生のためでなかったら、何もしません的な。

だから、こんなに何も得るものがない、何も残らない読書は初めて。いや、何度もいいますが褒めてるんです。

だって、なんだか一文字たりとも取りこぼせないすごいパワーなんだもの。普段割と飛ばし気味に読んでしまうわたしだけど、これはなんか一文字たりとも飛ばせない。なんというか絶対に絶対に読者を離さない。そういう本だったんです。

こういうの文章がうまいって言うんだろうか? が、しかし。すごくよく構成が練られているというわけでは絶対にない。なんとなく書いてしまいました…という感じがものすごく強い文章なのだ。

例えばわたしが角幡唯介さんなんかの文章が好きなのは、なんというか「ゴシゴシ磨かれた感」があるからなのだ。(実際ご本人もよく話しておられるが、校正10回とか殺人的なことをやっているらしい。編集者さんに同情する)ところが、この本の文章はまるでそういうところが感じられない。

いや、実際はすっごい直したりしているんだろうけど、なんか全然それを感じさせない。というか、めちゃくちゃ「ゆるい」。すら〜〜っっと一筆がきでかけちゃいました的なノリがある。

いや、やっぱり絶対になおしたり推敲したりしてないよな、この文章。もしこの文章をゴシゴシ推敲しまくって書いているのだとしたら、それはそれですごい天才である。全体の文章のグルーブを止めてないというか…

うん、文章の「ノリ」ってのが正しい表現かも。なんかヴァイブレーションが自然というか…  あぁ、うまく説明できない。

一つ一つの話も、なんというか読んでいるとすぐ脱線したりしてる、だから読者も一緒に脱線するっきゃない。っていうか、「あっ、書いてて面白いこと思いついたんだな」って自信をもって一緒に脱線できる(笑)

でも普通、人と話している時って、そうだよね。なんか別のことが頭に浮かんでついついおばちゃんトークよろしく、話題がもともと話してた主題から離れていくことが多々あるが、これはそういう本なのであった。

よく本を読めないという嘆きを聞くが、本が読めない人はこう言う本から読んだらいいと思う。これ読めない人、いないと思うわ。

っていうか、タマキングさん、きっと男性ファンばっかりじゃないかと想像する。しかもバカな上昇志向皆無の男性。「意識高い系」とは真逆の男性。

人よりも少しでも楽をして、ズルをしながらも、なんとなく楽しく、無難に人生終えたらそれでいいやと思っている、つまんない生き方をしている男性。(いや、誉めているんですよ・爆)

普通読書をしていれば、お母さんには褒められるもんなのだが、この本には「またあんたわっっ、意味のないものばっかり読んで!」とお母さんやお母さん的な立場を取る妻に怒られても、まったく問題のない、そのくらい意味のない本なのである。

そのくらい面白く、そのくらい本当に何も残らない。なんというか、褒めてますよ、わたし(笑)。すごーーーーーく褒めてますよ。

ただ自分で読んでて空気が変わったのが、東海村の事故のあの日にその場にいたというネタ。しかしあんなすごい事故があったのにもかかわらず、あの場所は平然としていたという、それが返ってわたしを震え上がらせた。

原発はやっぱり苦手だ… わたしが想像するもっとも怖いものの一つだ。下手すると戦争よりも怖いかもしれない。そして、それはタマキングにとっても同じらしく、選ぶ言葉の隅々からもそれが感じられる。

が、タマキングの手にかかると、なんとなくするりと読めてしまう。

…と、ここでふと気づいたが、もしかしたら気楽に見える他のエッセイも、もしかしたらすごい「怖さ」とか「人生の意味」とかが隠れて書いているのではないか… 。 たまたま原発はわたしが割とおいかけているイシューだから、たまたま気づいただけであって…

と、いっしゅん思ったが…

いや、違う。

やっぱり思い直して、いや、この人は、やっぱり何も考えていない。これはやっぱり単なるエンタテイメントだと思うことにした。じゃないと、もう深読みしてたらキリないよー(涙)

いやーーーなんか新しい読書体験だった。っていうか、こんなの読んでていいのかーーーっっ自分!? パンデミックのあとに戦争来て、もう何がなんだか… そういう世の中にいて、この本を布団の中でゲラゲラ笑いながら読んでていいのか…?!(笑)

ふと思ったが、辺境チャンネルもそういうところある。意味もない男子同士の部室での集会な雰囲気が漂ってくる。なんで男の人って、集まるとみんなあんな感じになるんだろう。これはいけない(爆)

いや、何度もいいますが、褒めてます。褒めてますよぉおおおお!

このあと宮田さんの本は、フィクションとノンフィクションが混ざっているという新刊もゲットしてあるので、積読山から取り出して、早く読まねばと思っている。なんか分厚そうに見えた新刊だけど、この文章の読みやすさなら簡単に読めてしまうに違いない。

恐るべし。文章ってすごいな… っていうか、すごい文章ってすごいよなぁ。っていうか、タマキングがすごいのか。

しかしタマキングさん、読んでいると最初はサラリーマンで、そのかたわら文章を描き始め、それが評価され、ラジオに出たりし、そうこうしているうちにフリーになったという経歴だそうだ。その流れもこのエッセイを読んでいるとわかる。

サラリーマン時代はwikiによればリクルートだったようで、当時のリクルートといったら、そりゃま、あなた! すごい勢いですよ。わたしも旅行関係の会社にいて、リクルートさんと取引あったので、すごくよく覚えている。

それにしても、何度も書くけど、意味のない本である。

読み終わってみれば、タマキングさんはジェットコースターが好きとか、シュノーケルが好きとか、実はフリーにありがちな経理苦手ということがまったくなく、返って表や統計、帳簿付が大好きとか…そんな意味のないことしか頭に残らない。  

っていうか、なんか、こんなこと覚えてても、全然価値ないんですけどっっっ(笑・怒)ってことをたくさん思い出して、またゲラゲラ笑ってしまうのであった。

これほど感想文を書くのが難しい本も珍しい。

そうそう、高野秀行さんがこの文庫の解説を書いていて、これまた笑える。高野さんもタマキングの営業部長よろしくこの本を編集者に売り込みまくったとか(少なくとも3社に話をしたのだという)。でも結局は全然関係ない幻冬社にネタを取られてしまった、とのこと。

そして、なんとこの文庫本、わたしが買ったのが令和元年の7月のヴァージョンで、驚異の18刷である。すごいロング・セラー。売れてるんだ。うーん、すごいなぁ。っていうか、読書ってこれでいいのかも。

いやー 辺境チャンネル、タマキングさん、無駄な時間をありがとうございました。(何度も言いますが、褒めてますよーーーーっっっ)