小林元喜「さようなら、野口健」を読みました。すごいな…

なるほどー!という読み応えだった。パワフルな本だ。そういう形容がぴったりくる。

探検業界(そんなものがあるのか?)、ノンフィクション界隈で話題の本。なんかめっちゃ気になり速攻買って速攻読んでしまった。



いったん読み始めたら止まらない、この感じはなんだろう。なんか止めることができない。まさに一気読みだった。

心配になる感じ。妙にほっとけない感じ。これがもしかしたら人間力なのかも…と思ったり。

最初は元マネージャーの暴露本的なことかと思った。ミュージシャンでもいる。マネージャーとくっついたり離れたりしている人。マネジメントを3年置きに変える人。文句を言いながらも腐れ縁の人。

そうか、野口健ってこういう人だったけか、と、改めて。コマーシャル出演とか、山のゴミ拾いとか、チラチラとニュースで知っていたことも、あぁそうだったけっかとぼんやりと思い出す。

現地の女性との妙にピュアな恋や生い立ちには、ちょっと同情したりもしながら読み進めた。

変なノン・フィクションだ。著者の自分の話、自分語りも多く、「ん?」と思いつつも面白いのでぐんぐん読み進める。そして、著者と野口健がシンクロしてきたところで面白さは爆発。あとはもう止まらない。

例えば栗城さん評伝も、最高に面白かった。だけど、あっちは考察、取材力という点では圧倒的にすぐれており、取材対象との適切な距離が取られプロフェッショナルな評伝だった。

こっちはなんにせよ、野口健との距離が近い。だから面白いのか? 選挙の話も面白かった。ほんといい加減だよなあ、自民党。まぁ、それはおいておくとして。

確かにミュージシャンも人間的にものすごい魅力的な人が多い。それは音楽をやる分、人間として欠けているところがあって、そこが他の人にとっては魅力的に感じるのだ。凡人は、その泥沼に引きずりこまれてはいけない…と思いつつ、ついつい惹かれてしまう。

わたしもそういう人間の一人かもしれない。だけどわたしは一人の人間には潰されないよ。それよりもプロデューサーとしての自分の力を信じているからだ。

(と、書くとかっこいいが。これは力がある、才能があるということではなく、「立場をこころえている」と言ってもいいかもしれない)

こういう才能のある人たち…いや、違うな…世の中に向かって自分を表現したいということに取り憑かれている人は、こっちがしっかり立っていないとあっという間にふっとばされる。こちらの人生もボロボロにされてしまう。

著者はそんなふうに働き人生の前半を野口健にボロボロにされてしまったのだと思う。

いずれにしてもこの本は「書かなければならなくて書いた本」だと思う。そこが最大の魅力だと思う。

その点ではクラカワーの「空へ」にも似たところがある。あれも書かなければ、著者は生きていくことができなかった。次に進めなかった。そんな必死な気持ちがこの本にもある。褒めすぎか? でもわたしはそういうパワーをこの本に感じた。

小林さん、でもこの本を書き上げたあなたはもう大丈夫。これからこの能力を使って、多くの人を励ますような素晴らしい本をまた書いてください。

それはあなたにとって、辛い道かもしれない。おそらく小林さんは取材対象にのめり込まないと、また心から愛したりしないと書けない人でもあるのかもしれない。

取材対象の、何かを成し遂げる相手は、それだけで常軌を逸している。何かに取り憑かれている。野口健もそうだ。才能は神様からの贈り物でもあるけれど、悪魔からの贈り物でもあるからなぁ。あ、またオレかっこいいこと言っちゃった?

でもって書く側が、それに巻き込まれることなく、公平な視点で取材対象を見つめることは、おそらく小林さんにとっては難しいことかもしれない。でも、きっとできると思う。それがライターとして著者としての自立だ。次作も楽しみにしています。