ギター・ソロ

おととい書いたブログがアクセス急増で、ちょっと複雑。イベントの告知や宣伝は読んでもらえないのに! きーーーっっっ。

私の中の和田アキ子的なにかが業界の話題にあれこれ言いたくなるのか。そしてそれを周りももとめているのか。

…と思いながら今日の話題もこれ。ちょっと前に話題になった「ギター・ソロ」

話題になっている時にいろいろ書きたかったんだけど、プロモーションしなきゃいけないイベントがたくさんあったから控えていた。だから今、書く。ブックレビューや映画評もたまっていしまっている。早く追いつかないと。

ヴェーセンのローゲルとよく話題になるのだが、なんだか知らないけれど日本のバンドって、ほんと有機的じゃないというか、こう揺れみたいなのがあんまり感じられないんだわな。

なんだろう。日本人にダンスの文化がないからなのか? ポルカやポルスカや、ワルツやマーチ、ジグやリールの文化がないからなのか。

音楽よくわからんから、うまく言葉にできないんだけど、たとえばヴェーセンが持ってる、あぁいうゴムが伸びたり縮んだりするような感じとか…

で、ローゲルはもっと言っていた。日本のバンドはメンバー同士がお互いを聞いてないからそうなるんだって。バンドを演奏するうえで大事なのは、自分が目立つことではなくお互いを聞くことなんだって。(同じことはアヌーナのマイケル・マクグリンも言っていた)

確かにヴェーセンの音楽って、3人が本当によくお互いのことを聞いている。(っていうか、もっと詳細に言えば違うんだけど、それについては、このブログで何度も書いたので、今はこういうことにしておく)

バンドの演奏がいい時は、そうやってオーガニックにバンドメンバー全員が、主役の演奏を聴いている時なんだと思う。バンドが主役に向かって、音楽に向かって、「あぁ、いいなぁ!」って、聴いているのが聞こえる時だ。

メトロノームでは絶対に作れない、あの揺れ。

そして、このライブ映像の音楽はそれが現れた数少ない例だと思う。「奇跡」の歌詞を丁寧に歌う岸田さん。彼のヴォーカルと丁寧なアゴギの演奏に触発されたように「あぁ、この曲、本当にいい曲だなぁ」とバンドをまとまっていく。

バンドが岸田さんの音楽を聞いている音が聞こえてくる感じ、しませんか?

そしてそれは最後の方のフジファブリックというバンドの山内総一郎さんという人のギターソロに集約されていく。

決して派手な演奏ではないんだけど、明らかにバンドは山内さんのギターに乗ってドライブする。

5:30くらいからの感じと、キーボードの方が入って、また山内さんにソロが回ってくる時のこの時の感じ。

特にライブ映像だから、わかるんだよね。バンドみんながギターを聴いてるのが聞こえるんだわ。この感じ。この感じがバンドなんだよ。

ここにバンドのマジックがある。

っていうか、話を戻すけど、つまりこういうバンドの感じを作れない自己中心的なギターソロが、ダメなんだと私は思うんのだわ。

エゴみたいな演奏は聴きたくない。「オレを聞け、聞け」と演奏して、誰がその人の音楽を聴くだろう。音楽を演奏する時。演奏家は音楽に支えているのだ。それがたとえ自分が作ったものだとしても。

いつも伝統音楽家が言うことだが、Songs are bigger than singers。歌はシンガーよりも大きいのだ。音楽はミュージシャンより大きいのだ。

そして私もいつも思うことだが、自分の作った作品に仕えることができないミュージシャンはダメだ。ミュージシャンだけじゃなくて、絵を描く人でも、本を書く人でも、どんな芸術家でも一緒だと思う。

それにしてもこのくるりのクリップ懐かしい。病気して入院している時、よく病院の裏庭にiPadを持っていって、この曲を夕暮れの中で一人聴いていたっけ。

病気していた時の事は、実はもうあんまり記憶にない。記憶は反芻しないと、どんどん忘れていくとイシグロも言っていたが、特に私みたいな横も後ろも見ないでひたすら前を向いて生きてる人間は、明日をはっきり掴もうとして、過去のことはどんどん捨てていってる。

そして悲しいことに一個イベントをやると、その一個前の記憶がもうない。ある意味、いつも何かに夢中で生きてる幸せな人種なのかも。

幸せだよなぁ。そして、頭の中は薄っぺら。ぺらっぺらのぺーらぺら。ひたすら前しか見えてない競走馬かマグロみたいなもんでして…(笑)

…とこのギターソロを聴いて思い出す。いい音楽は、私を人間的な何かに戻してくれるのかもしれない。

もう一度書くけど、エゴみたいなギター・ソロはあんまり好きじゃない。こういうバンドの、みんなが聴いてる時の、こういうバンド全体をドライブするギター・ソロが私は好き。

今日もがんばりましょう!!