ヘミングウェイ『移動祝祭日』を読みました #日向敏文 #hinatatoshifumi

私はヘミングウェイなど一冊も読んだことのない無教養な人間ですが、今、プロモーションをお手伝いしている日向敏文さんに、『移動祝祭日』はすごくいい、10回くらい読みましたと言われれば、読まないわけにはいかない(笑)

というわけで、初ヘミングウェイ! でも自分は『老人と海』も読んだことないよ、おいっ! 一冊めがこれでいいのかな…

ヘミングウェイって、シカゴ生まれ。戦争にボランティア兵として参加し、売れっ子作家だった。ピュリッツァー賞やノーベル文学賞も受賞した売れっ子だったのに、最後は猟銃で自殺。すごい人生だったんだろうなぁ、と想像する。

先に読んだシルヴィア・ビーチの関連の本では、ヘミングウェイはひたすら良い人に描かれていた。

でもこの本に書かれたご自身は、なんかめっちゃ暗い。とはいえわかりやすい。読み始めて10ページで「あっ、こういう感じねー」と私は納得してしまった。

カフェで見かけるちょっと綺麗な子を相手にあれこれ妄想する。男性にありがちな(笑)、この感じが、妙に身近に感じられるのであった。こんな感じの男性、うちのアーティストにもいるよ。日本人男性の友人でもリアルに数名思い浮かぶ。

一時付き合いがあった恵比寿BAR TRENCHの連中とか、まさにこんな世界の住人だった。そういや、かれらも「白濁!」とか言って、アブサン飲んでたよなぁ。

(久々にロジェの作る美味しいカクテルが飲みに行きたくなった。近いウチに行くか…。ロジェならノンアルでもなんでも好みのやつ作ってくれるし…)

話がずれた。とにかく読んでいて思うのは…「暗い」「暗いよー」

暗いんだ、ヘミングウェイ。実際、経済的に行き詰まり食べるのに困っていたりもする。

登場する人物たちがみんなすごいのだが、一番豪傑なのがここでもガートルード・スタイン。この感じは芸術を愛する女性たちに、もしかしたら共通していることかもしれない。

こうなんというか、妙に相手を品定めする感じ。「あいつはダメよ」とすぐばっさり言って切り捨ててしまう、この感じ。

これは今、私の周りにもそういう女性たちはいる。…っていうか、多い。すごく多い。でも彼女たちは自分たちが「いい!」と思った芸術家は精一杯応援するんだよね。ガートルード・スタインもその点すごい。迷いはない。

ガートルードは農婦のようにどっしりとして、服も高級なものは着ないでとても個性的だったそうだ。

小柄で繊細な女性のパートナー(アリス)を従え、彼女はパリのアメリカ文化人の中心的存在だった。単に金持ちということだけではなく、お金の使い方を知っていて、素晴らしいアーティストたちを応援した。

ここでまたシルヴィア・ビーチの本とシンクロする話。

ガートルードがアーティストと話したりしている時、アリスはもっぱら奥さんたちの話し相手になってやる…という感じだったそうだ。「(妻たちは)ここではその場にいても仕方のない存在と見なされているのだな、と私も妻も感じた」とヘミングウェイも書いている。いいよー、この世界!(なんとか昭恵さんに教えてあげたい)

それにしてもガートルードのこの横柄な態度はすごい。誰々はダメ、誰々は古いと、なんでもバッサリ! この自信はどこからくるんだろう。いったい、あなた何様〜っっ?!(笑)

っていうか、きっと彼女は自分に自信がない人だったのではないかとも想像できる。

だから自分の好きなアーティストを応援することで、自分の価値を見出したかったのか、と。

この本を手にした時、私はすでにシェイクスピア書店のシルヴィアの大ファンになったと日向さんにお伝えしていた。だからその日向さんが勧めてくれたシルヴィアが登場する第8章が、特に心に沁みた。

お昼を食べるお金もなく、お腹をすかせてシェイクスピア書店にやってきたヘミングウェイにシルヴィアが声をかけるシーン。

「あったかいもん食べないとだめよ」「もう3時じゃないの、食べなくちゃ」とうながすシルヴィアが、いいんだ、これが!

思わず、英語ではなんて言ってんだろ…と思い、英語ものをKindleで購入(300円くらいだった。Kindleで何がいいって、英文書籍が安価に買えるところ!)。このヘミングウェイの回想シーンが本当にいい。

"Are you eating enough?" "What did you eat fro lunch?"

My stomach would turn over and I would say "I'm going home for lunch now."

"At three o'clock?"

"I didn't know it was that late."

"Adrienne said the other night she wanted to have you and Hadley for dinner.  We'd ask Fargue. You like, Fargue, don't you? Or Larbaund.  You like him.  I know you like him. Or anyone you really like.  Will you speak to Hadley?"

(友達少ない芸術家に対して、ほら、誰々は好きだったでしょ? 誰々を呼ぶから奥さんとディナーに来なさいよ…みたいな、この感じ! 良すぎる、シルヴィア)

(まるで私がポールとかにしている会話みたい。ほら、ケイコも誘うから、ご飯来なさいよ。ヒロシでもいいかしら。あなた好きだったでしょ、ヒロシ…みたいな)

"I know she'd love to come"

"I'll send her a pneu. Don't you work so hard now that you don't eat properly."

"I won't"

"Get home now before it's too late for lunch."

"They'll save it."

"Don't eat cold food either. Eat a good hot lunch."

会話の部分って、英語も簡単だからわかりやすいよね。My stomach would turn over and I would say..の「would」がいいよね。こういう会話がヘミングウェイとシルルヴィアの間で、日常的にあった、というのが感じられる。

(こういう感じって日本語にはないからなぁ。日本語で言ったらなんてなるんだろう。<〜とかしたものだった>みたいな訳になるのか)

ちなみに私が読み終わった高見浩先生訳では、かなりさらっと訳されていて、それが日常的に繰り返される会話だったのか、その時一度だけの会話だったのかよくわからない感じになっている。

(こう言う時、一単語で時制を表現しちゃう英語という言語の素晴らしさに感嘆せずにはいられない!)

それにしてもヘミングウェイ、あったかいもんじゃないけれど(笑)、結構美味しいものはぬかりなく食べてる、白ワインに牡蠣とか。そうやってだらだらすごす平日の午後。

あとね、これは暗い…と思いながらも創作者としての苦しみを吐露するところも好きだった。

自分が生み出した新しい表現方法について、まだこれは一般の読者には理解されないだろう、とヘミングウェイは言う。

「そういう理論で書かれた作品は、まだ一般の読者には理解されないだろう、と私は思った。その点については疑問の余地はない。そう言う作品をもっと読みたいという声は、まず上がらないにちがいない。しかし、絵画の世界では必ず理解されるように、その理論もいずれ必ず理解されるだろう。必要なのは時間だけだ。要はこちらが自信を失いさえしなければいいのだ。」(ヘミングウェイ・高見浩訳)

「今、こんなん出しても売れないけど、いつかきっと理解してもらえる。それまで頑張ろ」的な(笑)。こんなくだりは、すべてのクリエイターが響く部分だよね。ヘミングウェイでさえ、こんなに悩んでいたのか、と。

日向さんも80年代の、YMOやカシオペア全盛の時代にあんなわかりにくい音楽(失礼!!)を作ってて、こんなふうに思ったのかな…

それにしても、冒頭のカフェで可愛い女の子を相手に妄想するところから始まって、ひたすら暗い男の世界なのであった。

フィッツジェラルドと旅に出るのにすっぽかされたりするシーンもいいし(暗い)、フィッツジェラルドが「女はゼルダしか知らないんだ」と告白するシーン(暗い!! 暗いんだ、フィッツジェラルド!)も、二人で男性器の大きさをトイレで確認するシーンも(ますます暗い)。

そう、この男性器をお互いに確認のくだりも、「何、馬鹿やってんの、二人とも!?」と私なら、後ろから二人の頭をどついちゃいそうになるが、これが、なんとも笑えない雰囲気があるんだよね。とにかく暗いから。

とある私の親友(男性)が言ってくれたアドバイスだが(このアドバイスには、私は心から感謝している)男の人がこうやってかっこつけたり、バカなことで悩んだりするのを笑っちゃいけないんだって。(なるほど、だから私ってもてないのね! 学んだわ〜)

それにしても、興味深いのは、これまた日向さんが言ってたんだけど、ヘミングウェイの小説って、めっちゃ男らしくてかっこいいんだって。その反面、こんな自伝書いているんだから、そりゃファンは惹かれるよね。なんかわかるよなぁ。

この本は彼の死後に発表され、論議の渦を巻き起こしたそう。また実際のヘミングウェイはこんなに貧しかったのかという問題も、今では研究が進み、実際は奥さんはかなりリッチで、夫婦は慎ましい生活はしていたものの、こんなに貧乏感感じる必要はなかったんじゃないかという結論が有力だ。

だから「自分たちはすごく貧乏だった」と、必要以上に暗く、都合よく彼によって回想された30年前のパリの暮らしだったのかもしれない。一方のシルヴィアが本当に大変ながらも、自分が構築した夢のような世界に住んでいたように。(私は絶対にシルヴィア派)

確かに2度3度読み返してみたい傑作だと思った。さてこの後は『老人と海』くらいは読んでみようか。

下の写真は、日向さんがこの本を好きだということを知って、エストニアの古本屋で見つけてきたドイツ語の『移動祝祭日』。キーボードの上にちょこんと乗った本がいいでしょ。ファン冥利に尽きるよねぇ〜

本当はエストニア語で書かれた『移動祝祭日』を探したかったのだけど、これしかなかった。なんと東ドイツ時代ライプチヒで発行されたもの。

冷戦時代の東ドイツで、いったいどんな人がこの本を読んでいたのだろう。そしてどんなふうな経緯でこの本は、エストニアの古本屋に辿りついたんだろう。

読めない本買ってバカだよなぁとも思うけど、私はこういうバカなお土産が好きだ。だって、内容はもう何度も読んでいるから読む必要はないわけで…。我ながら夢がある。

写真左は『老人と海』のエストニア語版。こちらも戦前のコピー。ボロボロだったけど6ユーロくらい。

それにしてもエストニアって人口あんなに少ないのに(150万くらい)、ちゃんとエストニア語の出版物がそろっていて、すごいなぁ、と思う。


昨晩、日向さんのニューアルバムのティーザーが発表になったよ〜 もう来週は発売日。ここまで大変だったけど、でもあっという間。7月27日に全プラットフォームで配信。日本ではCDも出ます〜