ロブとヴェーセン ツアー中 いい写真! |
数日前、ヴェーセン他、多くの北欧伝統音楽を世界に紹介してきたレーベルNorth Sideのロブ・サイモンズが、前々から言っていたのだけど、ついに会社をたたむことになり、権利関係のすべてをヴェーセン側に戻したというニュースが飛び込んできました。
これによって、spotifyなど配信で聴けていたヴェーセンは一時ストップとなります。でも9月中旬にはウーロフの管理のもとで配信が再スタートされますので、ぜひ配信で聞いていた人も聞き続けてくださいね。
CDについてはおそらく今、地球上に存在しているものだけで終わりでしょう。なので、お求めの方はお早めに。うちにもまだ在庫はあります。
ロブの引退については、私のところにも数週間前にきちんと連絡がありました。丁寧ないい人です。
特にマネジメントを持たないヴェーセンの場合、世界のあちこちにバンド運営の要になっているスタッフが散らばっていましたが、長くやっているのは、私とロブと、もう一人北米のブッキングエージェントやっている人の3人でした。
ロブはそのリーダーで、そんなスタッフたちのまとめ役でもありました。ヴェーセン、世界連絡係…みたいなことも、ウーロフに変わってロブがスマートに連絡してくれるのでした。
なんていうか、バンドの大ファンで、マネジメントになったとか言って、アーティストやミュージシャンにベッタリの人も結構いる中で、ロブとバンドの人間関係と、その距離の取り方はとても健全なものでした。とてもお手本になります。
そういうのってあるよね。バンドメンバーにちやほやしてマネージャーになる人もいるけど、私はそういうのは嫌いなんだわな。
他にもお手本にしてるのはチーフタンズのマネージャーだったスティーブさん(ファミリーネーム失念)。
おどろくほどパディにおべっか使わない。パディの周りのみんながパディには気を使うのに、絶対にチヤホヤしない。そのくせジョニ・ミッチェルとの共演、みたいな話は絶対に外さないで決めてくる。あぁいうミュージシャンとスタッフの対等な人間関係って、すごくかっこいいと思うんです。
アーティスト側も頭の良い人なら、そういうのをきちんと見抜いて、ちゃらちゃらチヤホヤしてくるだけ人には絶対になびかない。ロブとヴェーセンの人間関係もそういうものでした。
2004年のヴェーセンの初来日の時、ロブは「これが最初で最後の日本ツアーかもしれないから」といって、家族でツアーに同行してきました。
正直、初めてのツアーで、それやられちゃって、ちょっと面倒くさいなと当時は思ったのですが…。最初のツアーは今思い出しても大変なものでしたし、正直大赤字でしたが、不思議な「手応え」みたいなものを強く感じており、私はすぐその次のツアーを制作しました。
そしてその後10回も彼らが来日したのを誰がその時予測できたでしょう。でもあの時は私以外「初来日できっと最後」くらいに関係者全員思ってたんですね。
それから私は、ヴェーセンを追いかけてスウェーデンに行ったり、アメリカに行ったりしましたが、現地にロブがいれば、ロブは私のこともとてもよく面倒みてくれました。本当にお世話になった。
特にアメリカツアーの時や、ロブは家族で一時スウェーデンに1年間ほど住んでいたのですが、そんな時も、わたしの「驚かし作戦」のスパイとして、彼らが宿泊しているホテルをこっそり私に教えてくれたり、ゲストリストに名前を入れてくれたりなど、本当によくしてくれた。
(何度かここに書いてますが、私はあまり自分のミュージシャンに自分が彼らの公演に行くことを言わない。だいたいは突然行って驚かすのが好きなんです)
いつだったかスウェーデンでのツアーを一緒に追いかけた時、ロブと一緒にヴェーセンのコンサートを楽しんだのですが、ロブがコンサートが終わったら私の方を見て「いやー 最高だなー。最高の気分なのは、ヴェーセンのコンサートが見れたこと。そして明日もこの素晴らしい音楽が聴けることだ」と言ったのをよく思い出します。
その後、ヴェーセン30周年の5夜連続コンサートを東京でやった時も、ロブは来るだの、来ないだの言ってきたのだけど、その当時東京の宿泊費用はオリンピック前ですごいことになっており、
加えて中国のホリディ・シーズンと重なっていたため「ホテルが取れない」と挫折したのだった。あれも今や懐かしい思い出だけど、そもそも私も病気で、かなりの絶不調だったからな…
あの時はヴェーセンのちょっとスペシャルなコンサートだったということもあるんですが、あの時の来日は特にピーター・バラカンさんに全面的にイベントを手伝ってもらったりしたので、
ライコ・ディスクの創始者でもあるロブが来日したら、ピーターさんとめちゃくちゃ話があったに違いないのです。あれは本当に残念だった。
それこそInter FMとかにヴェーセン抜きで出演してもらったら、リスナーさんにめちゃくちゃウケたかも。
でもそんなすべてはもう後のまつり…というやつですかね。すべて後悔なしで、なんでもやってきた自分だけど。
ローゲルが抜けた時も、とても丁寧なねぎらいの言葉をロブからもらって、すごく嬉しかった。ローゲルがヴェーセンを抜けたことをあれこれ言う人、多いけど、こういう気持ちがわかるのは、世界中でも私とロブだけだ。
私はヴェーセンに対して、もう心残りはないし、自分としてはやれることは100%とやったと自負しています。寂しいけど、あんなすごい高揚感と手応えと…それを得られる仕事なんて、もう2度と来ない。
15年間、本当に私はいい思いをして、本当に楽しかった。こんな幸運はもう絶対にない。いや、ビジネス的には黒字になったツアーがいったい10本のうち何本あったか… それはあえて数えないようにしていますが(爆)
そして、ロブのNorth Sideのビジネスのしまい方も、かっこいいなぁと思うのでした。「もうレコード会社なんて経理業務だけだから…」と。それにしても一番売れてたヴェーセンだって、おそらく投資した分、絶対に戻ってきてないと思う。そういう献身的な人でした。
だいたいすでに15年くらい前から、ロブは「もうちゃんとこの仕事が商売になってるのは世界中でお前のところだけだよ」と力無く言ってたし、彼はレーベルの仕事は新譜を出さないで半分たたみつつ、地元の公共ホールの芸術監督の仕事などもしていました。
もっともライコが悪くない時期にイグジットしたのだろうから、それなりにお金があったということもあるんでしょうが… でも人生なんて、一度いい思いしても、そのあと続けるのが大変になるだけですからね。…ま、これは余計なお世話か。
でも最後までバンドの面倒をよく見て、バンドに権利を戻すなんて、本当に誰にでもできることじゃない。最高のレコード会社マンだったと思います。
よくロブは「自分はポーランド系ジューイッシュだから北欧にルーツはないんだけど、スウェーデンの伝統音楽のポルスカはポーランドから来ているから、それと一緒だな」なんて言ってました。
まぁ、でもロブ、今度はぷらっと100%遊びで来日してよ。ピーターさんに紹介したいからさ。本当にありがとう。バンドも私も本当によくしてもらった。いつか私もミネアポリスにも行ってみたいよ。
最後に恵比寿のBarで演奏されたヴェーセンの「Rob's Polska」を。