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あらさんと撮った写真ってこれくらいしかなかった… |
びっくりするようなニュースです。カンテレ奏者のあらひろこさんが永眠されたというニュースが入ってきました。
公演はいつものペースでやられている様子だったので… こんなことになるとはまったく想像できませんでした。テレビのインタビューでも話されていたので、ここに書いても問題ないかとは思いますが、ずっと長く闘病されていたのは知っていました。
ただあらさんが受けている治療は私のように切って貼るタイプのものではなく、長く辛く大変そうだったので、今はホッとされているかと思います。
59歳だったそうで、まだまだ活躍できたと思うし、正直、ご家族はもとよりあらさんという精神の支柱を失った北欧伝統音楽の皆さんの気持ちは察してあまりあるものがあります。私たちは貴重な方を失いました。
あらさんと出会ったのは、たぶんスヴェングの札幌公演の時だったと思います。そしてその時だったかな… いや、その後だったかもしれないんですけど、あらさん、かっこいいなぁ、と思ったのは、マリア・カラニエミの来日の可能性に、地元札幌のプロデューサーと話が及んだ時。
正直「誰々呼んでください!」「名古屋にも来て」「札幌にもぜひ」みたいなメッセージは、プロモーターの看板かかげていれば、それこそ死ぬほどいただきます。そういうお客さんの他愛のない言葉は、悪いですが無責任なリクエストであり、正直私は辟易していました。
こっちは一度呼んだからには、こっちの街へも行きたいし、あっちの村にも行きたいです。それはアーティストも一緒です。が、それがどんなに大変で、どんなに苦労して公演を(特に地方公演を)作っているのか、リスナーの人にはわかるはずもないのでした。
それをリスナーの人に求めるのは無理芸だと思います。
でもあらさんは違ってた。北海道のプロデューサーに、またかつ私に聞こえるように「私たちで、50枚チケットを買いますから、マリアの公演をぜひ札幌でも実現させてください」とあらさんが言った時、私はあらさん、ほんとすごいなと思ったのでした。
実際、その後マリア・カラニエミは、無事に札幌公演を行うことができました。
また昨年の… まだ終わってから半年もたってない…ノルディック・ウーマンのツアーでは、公演のMC、そしてティモとのデュオや演奏など、本当にすべてにおいてお世話になりました。
あのツアーは、本当に大変で、あらさんがいなかったら実行することは難しかった。それどころかアイディアすら浮かばなかった。本当に本当に感謝しています。
あのツアー本来は2020年にやるべきものだったのですがパンデミックのために延期&延期に。でもやれてよかった。もう1年延期になっていたら、もうダメだった。
でも、また反対にツアー中、あらさんは弱音ははかなかったけれど、お身体は私が想像する以上に大変だったのではないか…と思ったり…。
あと
こちらのインタビューも非常に心に残りました。このインタビューも、東京に出てくることが稀なあらさんをブッキングすることは、正直大変でした。編集部から「他のカンテレ奏者でも」という話があがらなかったわけではありません。
でも、私はあらさん以外の人でやるつもりはありませんでした。最後はあらさんで実現するために「交通費を捻出するために公演を組もう」という結論になり、それが「北欧会」につながっていきました。
あぁいう「人がキューを出すのを待っていては全然ダメだ」「自分はプロデューサーなんだから、自分でリスクをとって、やるべきことはちゃっちゃと実行させないと」というのは、素晴らしいアーティストと出会えてこそなんです。アーティストから、そのパワーをもらえるんです。
そういう意志があって初めて自分の中でゴーできるも。あらさんは、私にそういう勇気をくれる数少ないアーティストの一人でもありました。
最後にお話しというかチャットをしたのは、ほんの数ヶ月前で、とある来日アーティストに関する相談を受けました。相談してきたあらさんに対して、私は結構厳しい意見を言いました。また「長く続けていくならこうしたほうがいい」ということも重ねてアドバイスしました。
あの時、あらさんはもう自分の命の先に限りがあるとわかっていてあの相談をしてきたのかなぁと想像しています。
が、もしあらさんが自分の命の長さを自覚し、そして私がそれを知っていたとしても、私はあらさんに同じアドバイスをしたと思います。だから後悔はありません。
音楽イベント制作の世界は、本当に厳しい。プロジェクトを愛するなら、プロデューサーは、残念ながら犠牲にならないといけない。責任を負わねばならない。このケースにおいてあらさんは、アーティストではなくプロデューサーだったのですから。
それにしても編み物仲間で、闘病仲間だったあらさんがいないと思うととても寂しい。もう札幌に行ってもお会いできないのか… ちょっと信じられないです。
思えば、あらさんは私がアーティストを札幌につれていくとご自身でチケットを買って必ず顔を出してくれました。(東京のヴェーセンの公演とかにもわざわざ来てくれたりもしました)北欧系だけではなく、フルックや、グリーンランドのナヌーク、そしてLAUなんかのコンサートにも来てくれたっけ。
特にLAUの公演では、記録として撮っていた映像に、アンコール曲で楽しそうに踊るあらさんの姿も映っていて、ちょっと微笑ましく思ったのでした。あらさん、本当にあぁいう音楽好きだったんだなぁ!
私は今、手術から生還したばかりだけど、そんな自分の報告をfacebookに書きつつ「病気の経験を人に公開するのは、同じ病気の人を勇気付ける意味もあるので良いことだと自分は思うけど、なんだか生還しちゃうと、武勇伝みたいだよな…」と思いました。
私にように切って貼るタイプではない治療を続けているあらさんのことがちらっと頭の中をよぎる。なんというか、まだ言葉がまとまりません。
最後にこの曲を貼っておきます。
あらさん、本当にありがとうございました。美しい音楽とともにあなたの魂は、ずっと私たちと一緒にいてくれると思います。これからも見守っていてくださいね。