ようこそ先輩…っぽかった(笑)、山口洋先輩のカバン持ちで国際基督教大学高校へ 

毎年「好きなことを仕事にする」をテーマに国際基督教大学高校に素敵な人生の先輩方をお招きしている会。 今年はなんとエクストラスペシャルゲストの山口洋(HEATWAVE)さんに来ていただき、高校生にお話をしてもらいました。 

 以下は私が録音せずに聞き取った内容なので、間違いや誤解、理解が足りない箇所があったらすみません。文責:のざきでお願いいたします。 


「好きなことを仕事にする」というテーマですが、高校生の時のオレは本当に悪くて、今日も正門潜ったら職員室に連れていかれそうでびびりました。(笑)  

63年、福岡生まれです。小さな頃は体が弱くて、本ばかり読んでいる少年でした。で、野球を始めて地元の弱小ライオンズを救う気満々だったけれど、いかんせん身体が小さくて。(笑)  

音楽はラジオでよく聞いていました。イヤフォンをつけて。インターネットがない時代だからラジオなんだけど、好きな曲がかかるとワクワクしてね。世界とつながる「どこでもドア」のように感じていました。  

絵が描くのが好きだったんだけど、14歳の誕生日に親友がGの和音をギターで教えてくれて、そこでオレに雷が落ちました。身体中の細胞が震える感じ。一方、オレに音楽を教えてくれた親友は、その後、絵の世界へ。芸大に進んで、オランダへ。互いの才能が交錯した感じです。

父親は理解のある人で、大学で数学を教えていたけれど、勉強しろって言われたことは一度もないです。自分の人生なんだから好きに生きろ、その代わり責任は自分で取れって。

起きている時はずっとギターを弾いてました。中途半端な進学校に行ったせいで、成績はいつも最悪。周囲はものすごいガリ勉で、オレは早々と落ちこぼれ。高校の数学の先生は父の教え子だったんだけど、オレは数学で0点を3回取りました(笑)。

それを親父に見せたら、親父は「さすがオレの息子だ!」って。 

音楽以外で世界とコミットできる気がしなかったので、音楽に本気でしがみつきました。ガールフレンドM子ちゃんは頭がよくて成績が一番。当時の担任がM子ちゃんにこう言ってました。どうして山口みたいなやつと付き合ってんだ、未来を棒に振る気かって(笑)。ほんとにヒドい。この教師は未だに許せないですね。  

高校は田んぼの真ん中にあって、カエルがうるさくてね。田んぼってわかる? カエルって知ってる? とにかくそれが6万匹とかいるんです。呪いの大合唱を聞きながら、授業受けてて「こんなことやるために生まれてきたんじゃねー」って。  

そこに二回目の天啓。「バンドをやれ!」って。で、お前がベース、お前がドラムって教科書の端っこをちぎって書いて、バンドを作ったんです。それが今日まで続くHEATWAVE。44年も続くなんて(笑)。  

練習スタジオなんてあるわけもなく。農家の納屋とかで練習してました。オレンジジュースで髪を固めて(注:固まるものなのか??!!)、犬の首輪をつけてね。なんと言われようと、その時だけは生きている気がしたんです。  

大学受験の時期になるとメンバーは学業優先。仕方がないから、近所の他の学校にいってメンバーを探すんです。初めてのライヴはスナック「いこい」。生演奏可って書いてあったから。そこで演奏していいですか?って聞いて。

 そこは農家のおばさんたちがカラオケで歌う場所なんですよ。おばちゃんたちは、みんな腰を振りながらオレたちの演奏をノリノリで聞いてくれるんです。1,000円札を股間にチップとして入れてくれて。「これが音楽で稼ぐってことか」って(笑)。ちがうけど。  

福岡市内でライヴをやるようになって、それなりに人気も出てきてで、チケットも売り切れて、でも本番の前日にボーカルが突然やめて、代わりが見つからず、オレが急遽歌うことになったんです。  

「金返せー」って客席から怒号が。「金なら返せん!お願いだから2年待ってくれ、2年でなんとかするから」ってオレは言いました。

落ち込んでいるオレにライブハウスのオーナーは、お前の歌は未知数だけど、お前のギターはいつかワールドクラスになるからぜったいに諦めるな」と。励まされました。

その言葉で一年は生きられたかな。だから、励ます言葉って大事なんです。言葉って恐ろしくて、素晴らしいんです。  

今みたいにSNSとかないから、バンドのメンバー全員で福岡の街の交通量を調べて、6,000枚のチラシを作り、それを…今やったら怒られるかもしれないけど…街中に貼るんです。夜中に。翌日はなんとなく人々は「HEATWAVE?知ってるかも」って感じになるわけです。  

そしてライブでは死ぬ気で演奏するんです。最後は700人くらい来てくれたかな… 2,000円の入場料で千円札の束がすごかったです。  

でもそれだけでは食べられず、当然バイト生活です。本当に貧乏だったし、食えなかったけど、心は貧しくなかったかな。決して卑屈になることはなかったです。だって、好きなことやってるんだもん。すごく楽しかったけれど、あれをもう一度やるのはきっと無理。でも忘れられない日々。  

バイトは50種類くらいやったかも。肉体労働から家庭教師まで。大学では教職も取りましたけど、例の高校の担任に「お前が帰ってくるなんて最悪だ!」って。オレに言わせれば、「お前が教師をしてんのが最悪なんだ!」って。いやほんとうに。  

でも生徒たちのことは大好きでした。ちょっとその感覚を思い出したんだけど、教室で、こんなふうに外から知らない大人が来て講義してるんだけど、話を聞いているんだか聞いてないんだかわからないような子が3人くらい教室の一番後ろの隅にいるわけ。

そういう子は目もあわせてくれない。でもその子たちこそ、まさに高校生時代のオレだし。だから、教師なんてぜったいにできない。あいつらが気になってしょうがないから。  

ミュージシャンになるまでは、いろんな仕事を経験しました。バイトとしてヒエラルキーの最下層にいて、大人たちからひどい扱いを受けたこともあったし、大手ゼネコンの下請けの下請けみたいな土木作業です。

でも中には本当に素晴らしい大人もいて、仕事中にあったかい缶コーヒーくれたりもするんです。それで自分がいったいどういう大人になりたいのかってのが、よく考えました。ミュージシャンである前に、人としてどうあるべきかって。 

今、174cmで、65kgだけど、一番痩せてた時49kgとかで。栄養失調で、歯が欠けててね(笑)。アルバム1枚出すたびに直しました。でも日本に自分が向いていないって思ったから、海外でデビューしたいとずっと思ってました。かなりいい線行ってたんだけど、結局うまくいかず、1990年にソニーからデビューしました。売れなくてもいいから、5年好きなことをやれと言ってくれた丸山茂雄さんって社長が好きだったからです。

そして福岡からトラックに乗って…座席は3人しか乗れないから、オレは荷台に乗って福岡を出発。 ときはバブル。タクシーが拾えないくらいの時代で、なんか違う、なにがが狂ってるっていつも思っていました。  

そんなある日、ネイティヴ・アメリカンの本に出会ったんです。そこに書いてあった12歳の少年が経験する「ヴィジョン・クエスト」を体験したくて。砂漠に出向き、まず自分を媒介として、宇宙と地球のエネルギーが通り抜ける場所を探すんです。そこで3日間、水だけで生きて…

車で行ってロックアウトしたら死に直行という危険な場所でもあるんだけど、満天の星を見て… 恐怖のあまりヴィジョンを見る。

ネイティヴ・アメリカンの世界では、3日間に体験したことを村に帰ってメディンスンマンに話すと、そこでようやく自分に名前が与えられるんです。

「転がる雷鳴」を見たと伝えると「ローリング・サンダー」という名前が与えられる。少年は生涯、その名前に込められたヴィジョンに向かって生きるんです。 

オレに与えられた名前は秘密です。でも、そこからなんだか音楽をやるのが楽になった気がします。

同じ頃、ニューヨークに行くようになって、日本と外国と半々みたいな生活になっていったんです。イーストビレッジ、当時は治安も悪かったんだけど…モノを創る人間にとっては最高にクリエイティビティーを刺激される環境でもあったんです。

兄貴分の家に居候してね。初日に隣で麻薬の密売で殺人。ビビりました。オレはその日、深夜にハーレムに行かなきゃいけない用があって。「オレ、大丈夫ですかね?」って。

なんという愚問。深夜に帰宅した兄貴分が呆れた表情で「お前が大丈夫だったら大丈夫かもしれないけど、大丈夫じゃなかったらぜったいに大丈夫じゃない」って。至言です。オレにとっては。目が覚めました。はじめて世界で生きる人間になった瞬間です。

恐怖に支配されると人は成長しません。でもある程度必要なもので、まったくなかったら本当に死んじゃう。なんというか、ともだちになるべき類のことです。わかりますか?  

NYで気が合うのは何故かアイリッシュが多くて。「お前、アイリッシュだからアイルランドに行け」って。で、緑の飛行機でアイルランドに行って、イミグレーションのおじさんに「音楽好きならあのフェスティバルに行け」とか言われてね。

でもアイルランドってものすごい悲しみの歴史がある国でもあるんです。大事なことは、受けた憎しみをさらなる憎しみに転化しないこと。彼らはその憎しみや哀しみを音楽や、文学や、戯曲に転化させた。そこにこころを動かされるんです。そこでオレは初めて歴史とか言語とかを勉強したいと思ったんです。  

アイルランドに忘れられない人がいてね、スティーヴンっていうんだけど、仕事は詩人です。朝起きると海藻とか集めてる。そして夕方になるとパブにいって、みんなに請われて詩を読み上げます。町に八百屋や肉屋が必要なようにこの町にはスティーヴンの詩が必要なんだって、おじいさんがオレに言うんです。

そんなふうにして自分がなんのために音楽をやっているのかが見えてきたんです。誰かに自分を聞いてほしいというよりも、オレは「メッセンジャー」なんです。 

ずいぶん長くやってきたけれど、今でも「成功」っていったいなんなのかわからないんです。だから続けていけるのかも。やってもどこにも辿り着けないんです。きっとね。だからこそ音楽に一生かけて取り組んでいけるのかも。

みんなも好きなことって自分でも何かわからないって人もいるかもだけど、ゲームが好きとか、とにかくなんでもいいから、好きなことを大切にしてほしいです。好きなことに取り組んでみてほしいです。  

今日の講座は「自分の好きなことを仕事にする」ってテーマだけど、逆に「好きなら仕事にしない方がいい」って言う人もいます。でもとにかく好きだってことは、そこになんらかの意味があると思うんです。不安かもしれない。でもその不安は力になるし、燃料になる。どんなときも希望を捨てずにいてください。


生徒さんが持ってきたギターを演奏する場面も。なんてスペシャル!

天気が良い1日でした。



山口先輩、ありがとうございました!! 

山口さんのInstagramにもレポートが。



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