かげはら志帆『ニジンスキーは銀橋で踊らない』を読みました いやー、一気読みの面白さ。

読んだ。いやーー 周りの人たちがみんな「一気読みした」と次々叫ぶ(笑)、かげはら志帆さんの新刊。前回の『ベートーベン捏造』も面白かったけど、いやー 引き込まれる。まるで漫画読んでるみたいに読めちゃう。すごいよなー まさに筆の力!?


この主人公はロモラ・ニジンスキー。あのロモラである。山岸涼子先生のファンならピンとくるだろう。

←このロモラ(笑)

山岸先生の『牧神の午後』では単なるミーハー女としか思えなかったニジンスキーの妻。彼女が主人公なのだ。

ニジンスキーと突如ツアー途中の船上で婚約し結婚したロモラ。言葉が実際通じてない二人。何も知らないおじょうさん風を装いながら、憧れのスターと結婚してしまった。

山岸先生の漫画は、振付師からの視点で書かれていたので、まったくロモラとかに興味がいかなかったのだけど、この本ではすっかりロモラに感情移入。

というか、こういうのに引き込むのかげはら志帆さん、上手なのである。どうしたらこんなエキサイティングな物語を客観的に読めよう。たぶん女子という女子は、いや「推し」がいる人なら誰でも、ロモラに感情移入しないわけにはいかない。

これは、私の物語だ。読者がみんなそう思ってこの本を読んでいる空気が、なんだか感じられる。この本を開いて、手にしている人の空気!!

この時代において「推し」なんて概念もなかったし、「推し」としての「わきまえルール」も当然なかった。だけど現代だって、「わきまえルール」がなく、ファンが暴走したら、誰でもこんなふうになるんじゃないかな。

好きな人と近づきたい、という気持ち。そしてひいては彼の才能を手伝いたいと思う気持ち。それは私も、あなたも同じじゃないのか、と。時代が違ってたら、私もロモラくらい暴走してたかも。

そうだよ、私もなんだかんだいいながら自分が20年、30年仕事をするなかで、ミュージシャンの過去の彼女や妻の数を数えたりして優越感に浸っているところもある。(なんで話がそっちにいくのかって? すみません。でも聞いて!)

たとえば「彼の元をたくさんの女がとおりすぎていったけど、日本の仕事は私がずっとしているぜよ」とか。「また女を変えてるぜ。また次の女も同じタイプだよ…ちっ!」…とか(笑)。ちょっとした優越感を女として感じているところはあるかもしれない。

よくバックステージにいる女には2種類あると言われている(って私が言ってるんだけどね)。「ミュージシャンの女になれる女」と「裏方女」。その違いは大きいのだ。私はもちろん後者。

いや、過去なんとなく良いムードになった相手がいないわけでもない。でも私にとっては仕事が大事。だから商品には手を出さない(爆)

が、ロモラは、もしかしたら…時代や環境が違えば、私みたいに裏方として活躍した可能性もある。なんだか知らないけど、すごい才能に惚れちゃう感じ? そして「結婚したい」というのは極端だけど、そのパワー。暴走感? 

なんだろう、例えば私の場合は一緒に仕事したい。そしてそうすることによって、自分も好きなアーティストと対等になれた気がするんだよな。そんな感情も実際、歪んでると思うけどね(笑)

何はともあれこの本は面白かった。またニジンスキーの死後の話、宝塚の話はまったく知らなかった。でもロモラの名前でググって出てくる古い写真は、この本の老婦人のイメージのままだ。

それにしても良い。「普通」ができないのはニジンスキーではなく自分の方なのではないかと悩むくだりなどは本当に心を打たれる。自分には母性がなのではないか、と悩むところも。普通の人ができることが自分にはできない。なんでだろう、と。

うーん。そういう感覚は私にもあるから、すっごい気持ち分かる。普通の人が我慢できることをいっさい自分は我慢できない。だからサラリーマン時代、同じ会社に3年以上いることができなかった。

そしてニジンスキーが発狂し、ロモラがプロデューサー的な立場になった時の決意の気持ちもいい。特にそれを面白がりながらも励ましてくれる女友達(心の恋人?)の存在もいい。

ちょっとググって調べたのだけど、このロモラが書いたニジンスキーの本はかなり売れたようなのだ。うーむ。

そして宝塚のスターにも興味を持つ「ミーハー」。しかし! 例えば湯川れい子先生や、スヌーピーさんなどの存在も思うにつけ、女のこういうパワーが地球を回すのよっ! これが元気の源なのよっ!と思ったり。(いまだに私はお二人と何かアイドル的なアーティストを推すようなエキサイティングな仕事がしたいと夢みている。本当に素敵だと思う。女性ならではのパワー)

あと共感マックスだったのは「家族の中でも好き嫌いが分かれ、愛しているのは血が繋がっているからではない。あるのは自分が選ぶ愛だけ」というのもいい。

「母親や子供に対する生まれ持った愛ではなく、自由意志でもって選んだ人に対する愛について言っているの」「私にとってはワツラフ(ニジンスキー)とフレデリカ(本を出せと言ってくれている親友)だけがそういう人でした。彼らはふたりとも、心に魂に善を持っています」

この「心と魂に善を持ってる」っていい表現だと思いませんか! いや昨今の芸能界をゆるがす大きなスキャンダルが明るみにでたことで「善を持っている」人かそうでない人かというのがくっきりと暴かれた気がする最近の音楽業界。なんてタイムリーな言葉。ロモラ、いい!!(いや、あくまでこの本はフィクションなのであるが…)

そして、またもやタイムリーなのが、このロモラに日本語を教えたのがあの河合隼雄さんだということ! な、なんと!

すごい、まさに今日、私は河合隼雄物語賞を受賞した吉原真里さんの受賞式のために京都に行く予定になっている!? なんてタイムリー。そうか、河合隼雄さんって、こういうこともされたのか。すごいなぁ。こりゃー、すごい人が登場したなと思いつつ、この本をドキドキと読み進める。

最後結婚を早々と決めた宝塚のスターにロモラは「私の暴走が、結果として彼女の退団を早めたのかも…と悩む。が、スターは「宝塚だけが舞台ではない。ロモラさんがそれを教えてくれたんですよ」と話す。あぁ、いい。

このくだりもいい!! いいなぁ!!

そしてこの河合先生とロモラの対話もいい。ここはどの程度フィクションなんだろうか。ロモラはニジンスキーは、実際ディアギレフとの関係で踊れていたのではないか。私が割り込んで結婚したのがよくなかった。「自分のせいなのか」という問いを河合先生に投げかける。

それに答える河合先生の言葉もいい。これはぜひ本を読んで確認して! そして河合先生があえて言わなかったと言う言葉もいいんだ。ここはかげはらワールド真骨頂!!! 本当に震える!!

でも本当に「推し」「ファン」という概念もこの頃には薄かっただろう。それと結婚願望や恋愛感情を分ける術もなかった…というのが当時の人たちの頭の中だったのかもしれない。

それにしてもこの本、著者のサイトで連載していたものをまとめたものらしい。これだけのものをすごい調査力と愛情で、自分のサイトで連載という(つまり最初はギャラとかない状態でこれを書いたんじゃないかと思う)これだけの本にした著者には、本当にすごい。

最近思うんだ。本って、著者の熱意なんだ、と。吉原さんの『親愛なるレニー』を読んでもそうだったけど、著者の熱意って絶対に伝わる。そこが本のすごいところだ。逆に熱意のない本は、すぐに読者にそれがバレる。

このあと思わずロモラの書いたニジンスキーの本とか読みたくなり、なじみの書店に注文しそうになった。危ない、危ない。こんな「夏休み自由研究」みたいなことやってたら、ほんと時間がいくらあっても足りない。

でもこのロモラのこと、ニジンスキーのこと、もっと知りたい!!…ダメダメ、ほんとマイ・ブームもいい加減にしないと。でも仕事引退したら、ニジンスキー関連の本もいっぱい読みたいなぁ。やっぱり本は買っておくべきかなぁ。

ロモラとニジンスキーの写真(あとから色付け)とっても素敵→こちら