札幌のSeasaw booksさんで購入した本。ちょうとお店に一緒に行った吉原真里さんが教えてくれたので、思わず買った。
私小説と言ったらいいんだろうか。「ファインダーとテキストを通して描くドキュメンタリーノベル」とある。確かにドキュメンタリーである。
一時は失踪を繰り返し生活保護を受けて暮らす父をカメラマンである著者が描いていく。写真も数点だけど掲載され、それがすごくいい。
不思議な本だ。でも親子観ってこんな感じかもとも思った。私も親とは仲が良いわけではない。
両親はガン患者である娘よりも健康で、父は糖尿病があるけれど畑を耕し、好きな本をガンガン読みとても楽しそうに暮らしている。母は足がいたいいたいと言いながらもテキパキと家を掃除し、せっせと料理しこれまた楽しそうではある。
が、実家に帰り3時間くらいすると空気が悪くなるので、わたしはあまり寄りつかないようにしている。そう言う距離感が健康的な人間関係を保つ秘訣とも思っている。一緒に暮らしたら殺人事件とか起こしちゃいそうな感じだ。ほんと親っていろんな意味で苦手。
でもそんなのは私に限ったことでもないのかなとも思った。親とはいえ所詮違う人間だ。著者のナチュラルで、無理のない、しかし冷たいわけでもないような父親との距離感がすごくいい。京都と東京で離れて暮らしているのもいいのかもしれない。
そんな毎日が淡々と綴られているだけ、と言ってしまえばそれだけなのだが、それだけにちょっとしたエピソードが面白い。特にNHKが取材にくる件は、おもわず引き込まれてグイグイ読んでしまった。
でもお父さんの気持ちもわかるな。肉親よりも、ふとした時に偶然すれ違った他人に見せてしまう顔があるというのは、わかる。それがなんだかとっても面白い。
あと、これは前半なのだけど、著者がカメラを通じて親子関係をさぐっていくのも、これまたおもしろい。それによって著者の職業意識が構築されているようにも思う。
でもそうだよね… カメラマンとは、ある意味、孤独な仕事。親に限らず、人と人との間にその価値はプカプカ浮いて漂っているようなもんなのかもしれない。
またお父さんについて相談のためにあったドクター七瀬の言葉がとても心に残ったという著者。
「人間が生きていくことにとって、何かをすることとしないことのあいだに、大きなちがいはあるのでしょうか」は、私にもとても響いた。
確かにおっしゃる通り。自分が生きるのに必死な私は、常に何か意味があることをやらねばと、常にアップアップしている。それが好きだと言えばそれまでだけど、どうしてこんなに生きることの意味を追求しなければいけないのかと、時々自分で自分を持て余してしまう。
というか、自分は、死ぬまで自分自身を楽しませることができるのだろうかと常々不安に思っている。つまらない人生なんて耐えられないと思っている。同時にお金や暇があれば誰でも出来ることをして喜ぶのはクソだと思っている自分がある。でもそれこそ偏見なのかもしれない。というか、明らかに偏見だ。
なんだろう、こんなお父さんみたいに生きるのが自然で幸せだという人はいるんだろうなと思う。問題がなければ、それで経済的にも破綻していなければ、それでいいのだ。それを認めることが、自分がサボることも認める自分になれる。
角幡唯介さんも言っていたよな。「生きるということは不快に耐えてやりすごす、時間の連なりに他ならない」(超名著「アグルーカの行方」より)」
とにかく少しでも本人が快適にやり過ごせていれば、何を成し遂げなくてもいいのかもしれない。人生なんて、それで十分合格なのかもしれない。
あとがきによると著者は家族を持つ意志がなく、しかし友達と一見不思議な(と言ってしまっていいのだろうか)共同生活を営んでいる。そんなところも、まったく自然体で好感が持てる。
私も、将来は友達数人で同居生活いいかもなぁ、と思う。二人だと煮詰まるから三人ぐらいで?(笑)
っていうか、そもそもこの著者、抜群に文章がうまい。この本はスルスルと読める。スルスル、スルスル。そんなわけであっという間だった。ほんの2日で読み終わっちゃった。
でも、このままなんだか永遠に読んでいてもいいかなと思わせる不思議な本だ。おすすめです。お父さんが出たというNHKの番組、どっかで見られないかなー。
っていうか、お父さん、写真を拝見するとなかなかのハンサムで、なんかかっこいいんだよね。実物にお会いしたいなぁと思ったり…。