東京音楽大学指揮部会 presents 音楽と知の最前線 Vol. 2 吉原真里さん『アジア人がクラシック音楽をやるということ』に行ってきました

 


ちょっと前になりますが、札幌から戻ってきた吉原先生と私は、羽田空港からこちらの講演に直行したのでした。遅くなりましたが、better than neverということで、こちらもアップします。

東京音大って初めてきたかも。当然ながら若い学生さんたちがたくさんいてなんかワクワクします。ここにいるみなさん、音楽の世界を目指しているのだろうか。

またもや下記のレポートは、野崎が録音もしないで聞き取ったことをメモった手書きメモをベースにしており、あれこれ理解がおよんでいないことや誤解などもあるかもしれません。あくまで文責:のざきでお願いいたします。

モデレーターの坂元勇仁さんのもと、ナビゲーターの広上淳一先生と吉原さんの登壇とあいなりました。なんとオンラインもあわせると200名以上の方が参加していたそうです。

まずは吉原さんの経歴から紹介されました。吉原さんはアメリカンStudiiesで学位を取得され、専門はアメリカの文化史、アメリカ・アジア関係史、人種やジェンダーなど

小さいころからピアノを弾いてこられたのに、音楽の道に進まなかった理由がおもしろかった。今回の講演は割とフリートークっぽく『親愛なるレニー』の紹介の時とはだいぶ内容が違っています。

吉原さんが出した『「アジア人」はいかにしてクラシック音楽家になったのか? 人種・ジェンダー・文化資本』はもともと2007年に書かれた英文の本があり(こちら)それが6年たって日本語で発売になったという経緯があるのだそうです。

(逆に先に後から書き始めた2010年に『ヴァンクライバーン 国際ピアノコンクール 市民が育む芸術イヴェント』の方が先に出版されました)

その辺のお話があったあと、なぜ吉原さんがクラシックの道に進まなかったか。吉原さんは「これは偏見なんですけど」と前置きした上で、当時自分は中学生だか高校生だかでボーヴォワールの『第2の性』を読んでフェミニストになった、と。

そしてどうもクラシックの世界の、髪を長くしてお姫様カールをしてドレスを着ているような写真などに違和感を覚えてしまった、と。またちょうどそのときにやっていたリストの『パガニーニによる大練習曲』がどうにも好きになれなくて、トラウマになってしまった。一方で「学歴というはっきりした武器がほしい」と思ったとのこと。なので学問の道に進まれたのだそうです。

吉原さんは91年以降、アメリカが拠点なんで、そんなアメリカから眺めた今の日本、そして日本ついては

(1)外に向かうエネルギーが減少している(留学する若者が減っているなど)

(2)変化を恐れている、なんでそんなに嫌がるのか、なんでそんなに怖いと思うのか。

この2点が大きな問題であるとお話しされていました、

アメリカでは少なくとも「若い人たちが実現したこと」が結構(実績として)多い。音楽教育の変化、大学院生や大学生が声を上げて変わったことがいくつかある。

トップダウンでは何も変わらない、いろんな方向から変わっていくのがベスト。一方で、アメリカではたとえ状況がめちゃくちゃでも政治によって世の中は変えることができると多くの人が思っている。

日本ではそれがない。何かが変わるとみんな思っていない、諦めている。発想すらない様子なのは、すごく悲しい…とも。(いや、ほんとそうですよね)

でもこういった社会を作ってしまったのは私たちの世代なんですよ、と吉原さん。(そこで聞いている私も「はっ」としました。本当にそうです)

吉原さんいわく「私はわきまえないやつだったので、わきまえない発言ばかりしてきたけど、それを潰そうとした人はいなかったのはラッキーだった」

それと比べて今の若い人たちが声を上げないのだとすれば、声を上げられない、上げてもムダだと思わせるような社会を作ってしまった私たちの世代に問題がある。若い人たちを責める前に、私たち自身がやってしまったことを振り返って反省しなくてはいけない」

「私たちの世代が声をあげて連帯して行動を起こすことで、少しでもなにかが変われば、それを見て若い人たちも行動を起こすのではないか」

若い人たちにロールモデルを。こういう実例があるよ、とみせていくこともとても大事だと思う、とも。

特に(普段はホノルルにいて)日本に出たり入ったりしている自分だから見えることもあるのかもしれない。

そしてアジア人であることについて。話はアジア人の作曲家と演奏家の立場に及んでいきます。

作曲家はやはりアジア人だからアジア的なサウンドを期待されているというのはあるかもしれない。それはいったい何だろう? ペンタトニックスケールなのか? もちろんそれを演奏する演奏者の意思もあるし、いろんな人の思いが関わるので非常に難しい。それらの人たちの思いとどう折り合いをつけていくのか。

一方で演奏家の方は、ピアノ、ヴァイオリン、管楽器なのか打楽器なのかによっても違うし、またオペラの配役なんてことになれば、割とわかりやすく視覚化される部分もある。

アジア人の存在を語る時にBlack Lives Mater、BLMの運動との関わり合いを抜きにしては語れない。クラシック音楽界においてあらゆる意味でBLMの方が可視化されている度合いが大きい。まずは黒人問題を。人種差別など、とにかく表出の仕方が違う。

例えばアジア人、日本人の男性が歩いていても怖がられるということはまずない。でも黒人は歩くと警察に止められる、何もしていないのにやられる…といった事例など。(私もこの辺については勉強がまだまだ足りない…と吉原先生の話を聞いていて思いました by のざき)

続いて、次に書いている本の話題になり、今後、出版の予定はいくつかあるそうですが、音楽については「ピアノのおけいこ」というのをテーマに本を書こうと思っているのだそうです。
(おぉー なんかタイトルにすでにいろんな内容が想像できますよね!)

つまり子供のころから正統的な教育、きちんとした先生につかないといけない、プロにはなれない。経済力が必要などなど。

「おけいこ」とはそもそも何なのか。プロトコルがあるのか。雰囲気の文化。日本では物を習うという時に、まずお手本があって、その真似をするのが基本、それが正しい方法という考え方がとても強い。もしかしたら、これは日本特養なものなのかという気もしている。それは音楽に限らない、等々。

うーん、面白いテーマですね。私もそれこそ子供のころ「ピアノのおけいこ」をしていた世代ですが(私の世代はほぼ100%の女子がピアノを習っていた)、確かに深く考えたことなかったけれど、ここになんか洗脳的な何かがあったような匂いもしてきます。ふむふむ…

そしてまた未来の音楽家の方へメッセージとしてバーンスタインの例を紹介し「音楽家であるということと一市民であるということが別個の物であるはずがない」と。

自分がアジア人であるということ、日本人であるということが、自分のアイデンティティの一番に上にあるわけではなく、一人の人の中にいろんなアイデンティティがある。音楽家としてやっていく上での葛藤はいろんな形があり、音楽大がそれを育ててくれればいいなと思う。

日本ならではのクラシック音楽を追求していくのが良いかもしれない。たとえば無批判に日本人の信じる白人男性の作品を演奏するだけではなく、人類における音楽の歴史を考えてほしい。意識的にそれを考えた上で、クラシック音楽に向き合ってほしい。

たとえば札幌で続いているバーンスタインが始めたパシフィック・ミュージック・フェスティバルが33年も続いているのは本当に素晴らしい。ただたとえばロンドン、ロサンゼルス、ドバイ、シンガポールみたいな場所でやるのと同じようにやっていては未来は厳しい。

世界トップレベルの音楽家を育てるというだけでは、続いていかない。

クラシック音楽家として最高のものを目指しながらも、アイヌや開拓の歴史、ロシアとの交渉日本の中でも固有の歴史や文化をもつ札幌ならではの音楽文化を追求するのがよいのではないか。そんなふうに北海道独自のものを打ちだしていって欲しいと願っている。

たとえばバーンスタインはハーバードを出ている。つまり音楽家として、全人格としての教養が重要。リベラルアーツの重要性。リベラルアーツの教育をもっと真剣に取り組んでいってほしい。ジュリアードとかもそう。なかなか時間がかかるけど、それが重要視されるといいなぁと思っています。

あとは広上先生がお話ししていた「からくり」の話も面白い視点でした。

確かに(世の中の)「からくり」を変えないと変わっていかない。「からくり」とは運営側のこと。運営側にも女性が参加していくような多様性が求められているのだと思う。

「からくり」を知ることで世の中汚いと感じることも多い。でも「からくり」を超越した強い価値観があるのは事実。演奏力と同時に処世術も磨いていけばいいと思うので、ぜひ若いみなさん、あきらめないで…と吉原さんは強調されていました。

たとえせめぎ合いがあっても、数百年単位で考えたら、別にクラシック音楽がなくても人類は音楽をやっていたわけだから、とも。

たとえば中国を舞台に実際に起こった事件を題材にして、プッチーニの『蝶々夫人』のオリエンタリズムを問い直した中国系アメリカ人劇作家による演劇を、中国系アメリカ人の作曲家がオペラ化して、2022年にサンタフェ・オペラで世界初演されたもの「Mバタフライ」のオペラ版はおもしろかった。

また女性指揮者の登場も多様性のアイコンになってきている。指揮者というのは、オーケストラの前にたっていろんなことが要求される役割を担う。音楽性、才能以外にも、人格、ジェンダー、ドナー(寄付者)との関係、ユニオンとの関係経など多くのことを背負わないといけない。

指揮科も女性の方が元気。野心のある女性も非常に多い…と広上先生もお話しされていました。

クラシック音楽はえらいものという意識は日本ではとても強く、富裕層がやるイメージがあるけれど、マーケットは縮小し、聴く人も少なくなってくるし、ゆっくりと絶滅に向かっているのかもしれない。同時にとてもコアなファンがいて、変化させるのも難しい。

なぜ変化をおそれるのか…それは怖いから、責任を持ちたくないというのもあるのかも、とも。(この辺は本当に社会保障が弱いこととか、そういった問題に直結していそうですね)

と、いろいろ問題はあれど元気な吉原さんに、会場からはたくさんの質問もあがったのでした。特に吉原さんとほぼ同じ学歴の若い二人が参加していたことは、びっくり(まさに20年後の吉原さんか?!)。

というわけで、なんか若い人たちに元気をもらったのでした。モデレーターの坂元さん、広上先生、吉原さん、本当にありがとうございました。