ルナサ:歴代マネージャー紹介 三代目マネージャー、トム・シャーロック

 


ひぇー、懐かしい。とはいえ、前にもこれアップした記憶もあり。
To 野本さんと書いてあるのは、
おそらく当時プランクトンのスタッフをしていた野本さんあてのファックスだからだ。
多分、ツアー先から照明の参考資料ということで送ったのだと思う。
こういうの、もう捨てないと…と思いつつ
また書類箱にしまう(爆)




これよく似てる! 私が描きました。
今のルナサのマネージャー、トム・シャーロック


スチュワートとルナサは、そんなわけで鉄壁のコンビだったけれども、スチュワートは結構高齢で(私より15くらい上だと思う)もう引退したいということで、ルナサのマネージャーを退くことになった。大きな病気もされてたし、なんというか、もともとガツガツ仕事をするようなタイプでもないのだ。

でも自身の病気のこともあって、スチュワートは私が病気した時、すごく心あたたまるメールをくれた。ありがとう、スチュワート。本当におつかれ様でした。

スチュワートのハッピーな引退。果たして次にルナサのマネージャーになったのはトム・シャーロック。私も昔から知ってるトムがルナサのマネージャーになったのはいつのことだったか、もう記憶にない。とにかくスチュワートの後任となったのがトムだった。

トムは有名人なので、ここを読んでいる人の中にも、もしかしたら直接・間接的にご存知の方もいるかもしれない。元々クラダ・レコードの店員をやっていたトムは、とにかく伝統音楽にめっちゃ詳しい。

そう、あのチーフタンズのパディ・モローニが創設し、最近ユニヴァーサル傘下に入ったという、あのクラダ・レコードです。

クラダはレーベルをやると同時に実店舗も持っていた。そこはテンプルバーの入り口にあって(今もあると思う)、重要なCDはそこでたいてい手に入った。

トムは、アイルランドのことだけじゃなくて、ヨーロッパの伝統音楽グループのことも大抵のことは知ってる。

もういつのことだったか記憶にないけれど、トムに連れられて、そういや行ったな、アイルランドのセシル・シャープ・ハウスみたいなところ。スクエアのところにある…(名前失念、誰か教えて。めっちゃ重要な場所です)。

行っていろんなアーカイブの資料の調べ方とか教わったりしたんだよな。ドーナルやナリグ・ケイシーの昔の写真とか引っ張り出して、うわーとか言って受けたりして(ごめんよ、ドーナル、ナリグ)。

そんな感じで楽しんでいたら隣の部屋でおじいちゃんみたいな人が録音テープのアーカイブの整理してたんだよね。昔のケイリーバンドのフィールド録音。オープン・リールだった。それをデジタル化するような作業だったのかもしれない。

トムはおじいちゃんと知り合いらしく、そのおじいちゃんの作業の部屋に入っていき、その決して状態がいいとは言えない録音のテープを聞いて、うっとりしていた。

「この感じが、いいんだ、この時代のバウロンはミュートしないんだよね」とかなんとか、「ほら、アコーディオンのこいつ、めっちゃ楽しそうだろう」とかなんとか、アーカイブじいちゃんとトムはマニアックな話題に花を咲かせる。

アイルランド音楽の、そういう学術的な面には、とんと暗く、興味もない私は、「これ面白いくないわけじゃないけど、売れはしないよな」とかなんとか、ビジネスマンらしくドライなこと考えながら、トムの横顔を見ていた。

ほんとトムったら「うーん、これはめちゃくちゃ興奮する」と、本当に蕩けそうな顔をしていた(爆)。私は、こういうフィールド録音には興味はないんだけど、トムのこの感じに感動した。ほんとにこの人、伝統音楽が好きなんだなぁ、と。

トムはクラダ退職後、アルタンのマネージャーを長くやっていたことで知られている。まぁ、とにかく顔が広い。ヨーロッパのフェスティバルのオーガナイザーたちもこぞってトムを頼りにしている。

そうそう、私は昔トムにアイルランド映画のフィルムボードの人を紹介してもらっており、その人には先日のアイルランド映画祭関連でもお世話になったりした。そんな感じで、トムはとにかく顔がめちゃくちゃ広く、欧州の伝統音楽、ひいてはアイルランドの文化の仕事している人ならトムのことを知らない人はまずいない。

一番最初にトムに会ったのは、たぶんアルタンの来日の時だと思う。トムが関わっていたころの、アルタンのVirgin移籍時代の5枚のアルバムはどれも傑作だった。

フルートのフランキーが生きてた頃のアルタンの『アイランド・エンジェル』が最初の黄金期だとしたら、次の黄金期はこの5枚だとわたしは思う。

この曲なんかゾクゾクしちゃうよね。マレードが娘役、ポール・ブレイディがお父さん役なんだけど、もうポールの歌い出しのところとか、何度聞いても鳥肌ものだ。


そうそう、このアルバムを伴ってポールがアルタンのスペシャル・ゲストとして出演したケルティック・クリスマスは、歴代のコンサートの中でも最高だったなぁ。

そういや、ポールと初めてビジネスミーティングをダブリンのホテルのバーでやった時とか、たまたまトムが私のポールの一つ前のアポで、早めに来たポールを交えて、ポールのマネージャーが到着するまでの短い間、トムはものすごく私のことをフォローしてくれたのを覚えている。

あの時は、私はポールとちゃんとした対面は初めてだったので(その前にファンとしては何度か会っていた)、すごく緊張したから、トムには本当に感謝している。

あ、そうそう、トムは他にもドリーマーズ・サーカスとかも手がけている。デンマークのかっこよいこのバンドだ。


そのトムがルナサのマネージャーになったと聞いて「へぇー」と思った。私の中では、ちょっと意外な組み合わせっぽくもある。

ウチがやった20周年企画のコンサートの時も窓口はすでにトムだった。ということは、トムはもう7年、ルナサのマネージャーをしていたことになる。ただこの時は、もう超忙しいし、ほとんど記憶なし…でもこの来日は、ほんとうに素早くメール2本くらいで超スムーズに決まった。


まぁ、でもよくやったよね、こんなすごい公演。これについては、ルナサのブログをあと60本書くので(クラウドファンディングが終わるまで)、どっかのタイミングで書くかもしれない。

あとトムについては、すごく覚えているエピソードがある。若い女の子たちのバンドでバンブルビーズというグループがいた。アコ、ハープ、フィドルみたいな編成だったと記憶している。もうCDも市場にないし、配信もなにもやってないし、動画も上がってないから、あのバンドを紹介できないのが残念なんだけど、悪くないバンドった。ウチでCDを2枚くらいリリースしたかな…。

その彼女たちが所属してたレーベルが解散したか何かで途方に暮れていた時、彼女たちはトムに相談したんだよね。そしたらトムは「自分たちで頑張ってやったら、できると思うよ」と大層彼女たちを励ましてくれたというのだ。

その話を彼女たちから聞いた時、トムっていいなぁ、自分も若い子達を励まさないとなぁ、と私は思ったのだった。こういう人がいないと、伝統音楽の世界もなんだかんだで厳しいから、シーンが続いていかない。トムはそのくらいの重要人物だ。

長くなっちゃったけど、あともう一つ! トムのエピソード。トムはミュージシャンたちの扱い方をよく知っている。来日中のミュージシャンの宴会…というかセッション。今でこそ、みんな年取ってかなりパワーダウンしているが、シャロン・シャノン宴会部長にガソリンが入ってパワー全開の時など、私たちは本当にミュージシャンたちのセッションを止めるのに苦労したものだった。

まぁ、数時間なら楽しいからいい。でも渋谷のあっちのバー、こっちのバー、追い出されて、いよいよ困ったぞ…となった時、トム先生登場(笑)。

トムはいきなりセッションを止めることをせず、逆にセッションが最高潮に盛り上がるよう企てた。絶対にすごい盛り上がる曲を2曲くらいリクエストし(Farewell to Erinとかそのたぐいのやつ)、セッションのテンションを最高値まで、まず持っていった。

その曲が終わると、ミュージシャンたちは「すっげー盛り上がったぜ」と思うと同時に「うん、キリがいいや」「そろそろ寝るか」と思うのだった(笑)

そうやって割と上機嫌でみんなホテルの部屋に戻っていくのだった。そういうミュージシャンとの上手な心理戦をトムは得意としていた。あれは、ちょっと感動した。

ほんとツアー中は、遊びたいミュージシャンをいかに気分よく布団の中に入れるかが、明日の公演にも責任があるプロモーターの最大の責任なのだ。

まぁ、トムと一緒にいるだけで、こういう「勉強になること」は果てしなくある。毎日が学びの連続なのであった(笑)。

私がヨーロッパの新規の案件を手がける時、こんな時、あんな時、絶対に交渉相手はトムに私の評判を確認しているに違いないなと思う(笑)。いや、ほんとこの世界、すごく狭いから気をつけないと。トム先生、これからもよろしくお願いいたします。

ルナサのクラウドファンディング、続行中。明日からこのブログは別のトピックに移ります。