さて初のツアーが決まったら、ビザの手配だ。私は再びルナサの公演地であるロンドンへ飛んだ。こんなしょっちゅう出張してたら、まったく割に合わないよね。でも当時は旅をするのが好きだったし、若かったし、フットワークも今の10倍くらい軽かった。
特にロンドンなんて大阪に行く見たいな感覚だった。プロフェッショナルで有名なロンドンタクシーの運ちゃんに目的地への行き方を指示するくらいよく知ってた。(今はもう無理です)
ルナサのロンドン公演に行く前に、彼らの新しいマネージャーだというスチュワート・オングリーのオフィスにお邪魔し、集まった彼らにビザ取得のため彼らのID写真を押さえたり、ビザのフォームを書かせたりした。
スチュワートは、ロンドンで音楽出版社を経営していた。昔からクリフ・リチャード(サー・クリフ・リチャードですよ!)の仕事をしていた人で、オーストラリア人。正直、ポップス畑の人で、正直ルナサみたいな音楽はよくわかってなかったと思う。
しかしトレヴァーが昔からスチュワートのことを知っているということで、彼がマネージャーとなったんだよね。私が察するにおそらくルナサ側から、ぜひお願いします、ということでスチュワートがマネージャーになるようすごくお願いしたのだと想像する。
やっぱりルナサにはマネージャーが必要だった。今でこそ、もうマネージャーはいらないんじゃないの?といえないでもないルナサだが、たとえばフルックみたいにセーラみたいなビジネスマインドのあるメンバーがバンド内にいるわけでもない。やっぱりマネージャーは必要なのだった。
そして、インストの音楽が羽ばたくには、一にも二にも「シンクロ」が重要なのは全世界共通なのである。映画で使われた、TVCMで使われた、そういうことでもなければ、インストルメンタルの音楽は売れない。残念ながら、これも世界共通。
そういうタイアップやシンクロを取ってくるのは、作曲家と一心同体の音楽出版社の仕事だ。だからインストルメンタルのバンドが音楽出版社のマネージャーをつけるというのはしごく当たり前のことであったし、クレヴァーな選択だったと思う。
(が、残念ながらスチュワートがマネージャーをやっていた時期、ルナサにそういう美味しい話はこなかった。本当に難しいよね。まぁでもタイアップって、また別の筋肉だからなぁ…これについてはまた別の機会に書く)
スチュワートのオフィスの素敵なソファーとテーブルでビザのフォームを書くこと一つとっても彼らはさわがしく、ケヴィンなんどはショーンが書いているのをカンニングしてるようにのぞきこみ「最初の答えはショーンだな…」とかなんとか言って、大いに笑わせてくれた。
そんな感じでギャンギャン騒ぎながら作業。スチュワートのアシスタントのサンディが「これ使いなさい」と、CDのジャケットをパウチした物販テーブル用の看板を作ってくれたりしたのをみんなは「おぉー ありがとう」とか言いながら、バンド全員、とても嬉しそうにしていたのを覚えている。
でもびっくりしたのは、この日、ハマースミスのアイリッシュセンター(私に言わせれば世界一ダサいケルト音楽の小屋の一つ)で公演があったルナサなのだが、スチュワートとサンディは公演にこなかったんだよね。
正直わたしはちょっと幻滅した。なんで同じ街で公演があるのに二人は見にこないんだろう。ベッキーだったら、こんなことは絶対にないよ、と。
というか、当初、スチュワートが彼らのことにあまり興味なかったのは絶対にあったと思う。でもそれはのちに完全に覆されることになるのであるが。
そんなこんなで、ビザも無事取得し、果たしてルナサは日本にやってきた。香港での公演はほとんど営業で、音楽がわからない英国人たちの前で、ひどい音響装置で演奏させられ、彼らはすっかり辟易していた。
それが日本に来たら、ちゃんとした小屋だし、何よりお客さんは音楽わかってくれているし、ちゃんとしたPAだしっていうので、彼らはとても喜んで帰国していった。ショーンが「日本のファンは僕らがまるでビートルズであるかのように最初から扱ってくれた」とは、そのことである。
トレヴァーの妹のローナは出迎えにも見送りにも同行してくれた。彼女のヘルプなくしては、あのミニツアーは成立しなかった。
その後、2回目の来日からは全面的にプランクトンさんが制作してくれることになり、CDも『Merry Sisters Of Fate』からはライセンス(契約書をかわして日本で制作すること)体制となって、今の形が整った。
それにしてもスチュワートには世話になった。スチュワートはとても仕事が丁寧で、ファーストアルバムのメルダックとの契約解除などにもきちんと対応してくれた。もう売れないからと言って、契約を放置するようないい加減なことは一切なく、私は本当に助かった。
先日ルナサの書類ボックスを開けてみたら、その契約解除についてのファックスも出てきたから、笑える。当時はまだファックスだったのだ。そこにも「本当にお世話になりました。ですが、このあとはツアーなどに尽力してくれているヨーコに任せたい」みたいなんことが、ただの契約解除じゃなくて、丁寧に書かれていた。そのファックスを見て、「あぁ、なんかとってもスチュワートっぽいなぁ」と感じた。ほんと懐かしい。
他にもスチュワートの日本でのビジネスパートナーであるプライムディレクション(エイベックス系ですよ。当時鳴く鳥も落とす勢い!)の役員の方を紹介してもらったり(その方とは、現在でも仲良しです)、本当に悪い思い出がひとつもない。
それにスチュワートはよくバンド・メンバーたちのツアー先にいきなり訪ねてびっくりさせることをよくやっていた私の「スパイ役」もよくやってくれた。
このブログを読んでいる方ならご存知だと思うが、私はよくバンドを訪ねて海外の公演先に「突然行く」。というのも、ツアーがない時に家に行っても、家のことで忙しかったり、わざわざ呼び出したりするもの面倒だし、突然行く方がメンバー全員間違いなくそろっているから、明らかに良いのだ。
スチュワートはバンドが泊まっているホテルを教えてくれたり、こっそり会場の人やエンジニアに頼んで私の名前をゲストリストに入れてくれたり、彼らが乗る飛行機やら何やら、情報をこちらに流す役割を果たしてくれた。
そうして『Merry Sisters Of Fate』は本当によく売れた。インディーにしては珍しく10,000枚以上のセールスとなりTHE MUSIC PLANTの小さいオフィスとしては、本当に助かった。
売れる作品が1枚あるというだけで、他のカタログのバックオーダーもよく入るようになる。この感じは商売してる人ならわかるよね。本当にお世話になったメタカンパニーのF澤さんはその後退社してしまったが、本当にたくさんのCDが売っていただいた。
CD販売についての泣き笑い話は、これまたたくさんネタがあるので、別の回でまとめて紹介することにするが、まぁ、とにかくいろいろなことがあった。
明日もスチュワートの話が続きます。