昨日は昼間のランチタイムに銀座で30年前に勤めていた会社のOBOG会があった。なかなか新鮮だった。
失礼な話だけどほんとに当時のことはほとんど覚えていない。だいたい2年間くらいの話だったというのはあるけれど、本当に多くのことが記憶の彼方だ。記憶は、思い出していないとどんどん忘れる…というが、それは本当だ。いやー あまりにも忘れている自分が怖すぎる。
もっとも日々、目の前のことに忙しくて、それだけエキサイティングな毎日を送れているということでもある。昔のことを思い出して、あっためている人は、今、幸せではないんだろうと勝手に言い訳したり…。
その会社は当時ベンチャー、今上場企業というすごい会社で、社長は若く、それまで会社勤めしてたレコード会社とは全然違う雰囲気だった。窓辺でビルボード読みながら仕事サボっている人なんていなくて、みんな若くて、すごく仕事ができた。まぁ、一部??な人もいたけれど。
かつ恥ずかしいことにその会社、パソナ系だったんだよね。まさに私の黒歴史。社長はMではないので、まぁ実害はなかったのだけど、今思えば赤面ものの経歴である。世間のこと、社会のこと、政治のこと… 今でもそうだけど、まったく無知な自分であった。
いやーーー 私も若かったからね。無知以上に恥ずかしい思い出もたくさんある。でもあんなに頑張ってた&悩んでた自分もいないよなぁ。あの頃は「なんか違う」「これは本当の自分ではない」といつも思ってた。それを思うと今は、本当に幸せだ。
レコ社を辞めた時、もう2度と音楽の仕事はするまいと思ってやめた。そしてバイトで派遣を1年くらいやってぷらぷらしていた。当時派遣は割と効率の良いバイトだった。時給2,000円以上もらってた記憶もある。
その後、海外に行けるといいなぁと思って、そういう「インターナショナル」なこの会社に社員として入った。もうはっきり記憶にすらないが、93年とか94年ごろ。
上司は私よりも若い男性で、朝しょっちゅう遅刻してくるけれど仕事はできる人で、でも仕事のやり方には同意できない点もたくさんあり、私の不満は常にMAXだった。
そうこうしている間にメアリーに声をかけてもらって、また音楽の世界に戻ることになった。
音楽業界に出戻ったばかりの頃はPRの仕事をして、予算に余裕があるレコード会社さんたちをクライアントに、自分が好きではない音楽のPRをしていた。私の好きな音楽はそれほど売れないから予算も低く、だから仕事として成立させるのは至難の業だった。
なので、まさか自分の好きな音楽で身を立てられるか思わなかった。
いつも若い子に言うんだけど、悩んでる子は、時間がかかっても絶対に好きな自分に到達できると思う。20代の私は悩みの塊だった。でも独立して、30代からは、ほんとにのびのびと仕事ができている。つくづく自営業に向いていたんだなと今でも思う。
「今、野崎ちゃんはなんの仕事をしているの」と昨日の集まりでも聞かれたけど、これを説明するのはなかなか難しい。
ググれば出てくるとか言えば簡単だし、ホームページ見てくださいでもよかったのだけど、それも失礼なので、なんとか説明を試みる。「本も出してて…いや、自分で書くんじゃなくて、出版事業という意味なんですけど… あと自分で海外のバンドを呼んだり、映画祭手伝ったり、本のPRをしたり、ラジオやったり…」とかなんとか(笑)
私の仕事で一般の人に一番わかりやすいのは「無印良品のBGM」かもしれないが、それはあくまでクライアントさん案件で、私の本質ではない。クライアント案件は、私にとっては重要ではなく、自分の本質とはかけはなれたところに存在するものだ。
反対に自分の仕事の一番えらいところは無名のバンドを日本で売ることができている、という点だと思う。もっとも、その評価はあまり高いとは言えないし、ましてや普通の人にはほとんど理解されない。
それでも、本当に良いお客さん、リスナーさんに恵まれ、それによって人が一人、都内で生活し食えているのだから、これは素晴らしいこだと思う。私に家族がいたりしたら、それは不可能だったかもしれない。でも女一人で自由に生きていくには十分だ。
しかもクラウドファンディグなんてやって大好きなバンドのライブアルバムまで作ろうとしているのだから、私もこの世界の中でずうずうしく生きている。
あの会社にいたころは、まるで気づかなかったけど、もし自分が今でもあの世界の中にいたとしたら、ぞっとする。若かったせいもあったし、当時は転職も怖いものではなかったという時代だったから、辞めることはできたのだけど、本当によかった。給料なんて一時的なもので、それに縛られる必要なんぞないのだ。特に若い時は。
変わらなければ生き残っていけないし、ましてや自分の好きなことを実現なんて出来ないとは思う。
それにしてもすごい会社だったから、OBOGの皆さんもユニークな人が多く、当時の思い出を共有していない人たちとも楽しく話せた。皆さん、さすがである。20代で海外支店長とかやってた人たちだから、やっぱりすごい。しかも女性の登用もすごいある会社でもあった。
そしてこの会を主催してくれたKさんは、本当に素敵な女性なんだよなぁ。あぁいう素敵で優しくて、仕事ができる感じに私もなりたいといつも思っているのだけど、ズボラでいい加減な性格も手伝って、なかなかあぁはなれない。Kさん、本当にありがとうございました。
子供がいる人、いない人、2回離婚してシングルファーザーで4歳の娘さんを育てたなんて人もいた。この30年、いろんな人がいろいろな人生を歩んだわけだけど、いや、刺激的な集まりではあった。
あの頃の自分と、今、ルナサのクラウドファンディングやっている自分とを比較する。いつも忘れてることだけど、自分がいかに恵まれているかをしみじみと感じてしまった。
そんな会が終わったあと、日本橋に移動し、これまた95、96年ごろ一緒にお仕事した樋口了一さんの映画の公開前のイベントに参加。いろいろ思うところはあるが、本当に多くの人に見てほしい映画。パーキンソン病への理解が進みますよう。
病気でつらい、立っているのもしんどいみたいな中でも頑張って、撮影は行われたそうである。樋口さんはきちんといつでも真面目に自分の置かれた立場と向き合っている。その誠実さが歌にもあらわれていると思う。