スヴェング物語 その2

 


ところでスヴェングというバンド名はどこから来たのか。下記は初期から使っているバンドのバイオグラフィーより。

スヴェングというバンド名は、実はデタラメで、フィンランド語でもなければ何語でもない。実際スウェーデン語で「ターン(Uターンのターン)」という意味があるらしいが、これは偶然の産物だそう。 

またIKEAは、とっても素敵な「スヴェング」という名前の帽子ラックを発売しているらしいけど、それはナイスなお世辞だとバンドでは思っている。

実際のストーリーは、こうだ。 シベリウス・アカデミーで、ヨーコ・クッハラ先生は何人かのハーモニカの生徒をかかえていたが、ある時授業でハーモニカのアンサンブルを作ってみようということになった。ヨーコはいつも生徒に対して熱心にサポートを与える良い先生だったが、ある日生徒たちのアンサンブルがあまりにひどい事に呆れて「お前ら、これじゃスウィングじゃなくて、スヴェングだよ」と言った。

この「スヴェング」という言葉が何人かの生徒の頭の中に残ることになる。 

 バンド自体は、エーロ・Tの2度目の卒業制作を機会に結成された。卒業制作は、インプロと自身の作品についての論文であったが、エーロはすでにルーマニアのフォークミュージックとハーモニカについてある程度のアイディアをまとめていた。

ヨーコは、エーロ・Tの先生として彼に完全なハーモニカだけのアンサンブル用の曲を書いてみてはと提案し、かつ彼自身もハーモニカ奏者として、そのアイディアを手伝うことにした。 

シベリウス・アカデミーにおける次なる優秀なハーモニカ奏者として選ばれたのがエーロ・G(ゲーロ)だ。

そして次に必要だったのが低音パートを演奏する奏者だったのだが、まずヨウコは、有名なアコーディオン奏者であるキッモ・ポヨネンにその役割を依頼しようと思った。が、キッモはこの時点であまりにも有名になりすぎていたため、キッモの推薦でパシに白羽の矢があたったというわけだ。そしてリハーサルが始まった。 

エーロ・Tは、すぐに数曲を書き上げ、12の新曲が準備された。そしてルーマニア組曲もリハーサルされ、 これが30分にもおよぶ大曲となり、その中で限界におよぶスピードに挑戦することもバンドによって試されている。 

4人で一緒に演奏することに無情の喜びをえたメンバーはエーロ・Tの卒業試験が終わった後も、そのままバンドを続けることに決め、ここにスヴェングが誕生した。

最初のアルバムを作ってみようと思った時に、バンドにはすでに充分なレパートリーがあった。 2003年、ラッキーにもフランスとベルギーからツアーのオファーがあり、そのツアーをこなすことによってバンド内の結束力はますます高まることになる。 多くのラジオやテレビ番組にも出演が決まった。ハイライトはBBCにおけるジュールズ・ホランドの年末特番だ。

…とまぁ、こんな感じ(笑)

それにしても個性的なメンバー。四人の中ではエーロが一番好き。だって本当に男らしくてかっこいいんだもん。奴はモテるんだ。離婚歴は私が知っているだけでも3回以上、子供の数は本人しか把握していないという噂もあり。うーん、でもモテるの、わかる気がする。

それにしてもバンドってどうしてこんなに性格が違う人たちが集まるんだろう。下は偶然にもおそろいのTシャツを着たエーロと私。aito recordsというのは当時の彼らのレコード会社。

私もエーロも当時は若い!


ヨーコ先生のハーモニカ・リード整理袋。すでにマッドである…


ハーモネッタ(コードハーモニカ)の大手術中。楽屋でよくやってんだよね、この作業。すでにかなりエキセントリック。こんな作業、とてもじゃないけどできない。

何がどうなっているのか。メカニックも複雑でまったくわからないし…というか知りたいとも思わない! いや、教えないでくれ(知っていると手伝いたくなるから)


このハーモネッタを演奏しているハーモニカ博士のヨーコ先生はユニクロが大好き。裾をなおしたりするのをほんの20分くらいでやってもらえるのがお気に入りだそう。ツアー用に2、3本ジーンズ買ってたな。