スヴェング物語 その4

 




なつかしー! 2回目のツアーのチラシ。2008年だったんだね。この頃は2011年に大きな地震が来ることも、その後原発事故があることも知らなかった。

「割とさくっと」最初の来日を決めてしまったこともあって、またかつその来日がとてもうまくいったこともあって、スヴェングについては、すぐ2回目のツアー実現へと動きはじめることになったのだった。

というか、バンドを手がける時は、いや事業を手がける時は「継続」って、私はすごく大事なものだと思っているんだよね。とにかく「続ける」こと。それが蓄積して、プロモーター(自分)の実績となり、信用となる。素人のツアーやイベントが信用がないのは、一回で終わるのは、そのためだ。

応援してくれたお客さんたちを裏切らないように。あなたがチケットを買ってくれたから、また来れました、という印象はすごく大事だと私は思う。

このジャンルには明確な「勝利」「ヒット」などは存在しない。ただ続けて来日できれば、それが一番の成功スタイルなのだ。

だから一発目のツアーは、あんまり頑張りすぎないよう、2回目のツアーにある程度持ちカードを残しておくよう… それは重要なことだった。

2回目のツアーは、だからすごく頑張った。1回目のツアーで「この人たちとなら一緒に続けていける」という確信も得た。それは向こうも同じだったかもしれない。(そうであったらいいな、とも思う)

ツアー前に発売になったセカンドアルバムの「ヤルータ」は、ライセンスで出したのだけど、これはAito Recordsという会社からのリリーズで、これが実は契約金がめちゃくちゃ高かったぁ!(笑)


正直、このCD、コンサート会場以外では、全然売れなかったんだけど、ほんと高かった、印税前払い金。

ここであえて正直な気持ちを言っちゃうと、フィンランドみたいなところって、ほんとビジネスに対して緊張感がないと思った。それは良い意味で。

セイフティネットがしっかりしてる社会だから失敗しても大丈夫とか、スタートアップに優しい社会だからとかあるんだけど、これは、その弊害でもある。失敗したら、もう終わり…だから死ぬ気でやらなくちゃ、という日本や他の国とは事情が違う国なのだ。

日本みたら「失敗したら終わり」みたいな国だと、みんな必死で頑張る。それの良いところも悪いところもあるわけで、だけど変化の多い今の時代には、フィンランドみたいなスタイルの方が成功率が高いんだよね。そういうことだと思う。

北欧って本当に面白い。特にフィンランドは。国がよければ幸せなのかとか、老後に心配がなければ幸せなのかという疑問を常に突きつけてくる。答えはもちろんNOで、結局のことろ、この地球上に幸せな場所などないのだ、フィンランドだってそんなんだし…ということを学ぶわけなのだ。

フィンランドのそういうところが、やっぱりすっごく面白いんだよね。私がフィンランド人が好きなのは、彼らが努力家だからだ。彼らは常に未来に向かって努力している。

スヴェングをやり始めた当時、日本ではフィンランドの教育はすごいということが良く話題になり、たくさんの本が出たり、メディアもいろいろ取り上げ、あれこれ盛り上がっていた。

当時は私もそういう勉強に時間を使うことを厭わなかったため、講演会などにせっせと顔を出したり、いろんな人と名刺交換したりしていた。(でもって、この「お勉強」プロセスがこの仕事の一番楽しいところである。ツアーの制作がはじまったら、そこは果てしない地獄なのであった・笑)

ある日訪ねていった講演で、フィンランド人の先生がフィンランドの教育事情をあれこれ説明し、会場内にいる全員が「フィンランドって、素晴らしいな」と感動に震える中、その先生は言ったのだった。

「どうも今の教育方法だと女の子の方がいい成績を収める。良い大学も女の子だらけ、良い大学こそ女の子だらけ。医者も女の方が多い。(←これだって大学病院の医学部で女子を落としていた日本からすると、大変羨ましい状況)

だから、もしかしたら教室みたいな空間で先生が授業をするみたいなスタイルそのものが男の子には不利なのかもしれません…」と。「そこが根本的に間違っているのかもしれない」とその先生は、深刻な表情で悩みつつ、暗めのトーンで話すのだった。

なんということか!!! 彼らは現状に満足しているわけではない。「まぁまぁこんなもんかな」ということで妥協し、そしてさらによくするにはどうしたらいいのか常に悩んでいる! まだその先にベターな状況を探して悩んでいる。

そしてその悩みが彼らの努力によって、解決されたとしても、その次にはまた違う一つレベルが上の何か問題が発生しているに違いないわけだ。

と、同時に思えばフィンランドは、私が子供のころは欧州でもっとも貧しい国の一つだったと思う。そのフィンランドが今や世界のフィンランドになったわけだから、本当にすごい。実際、北海道くらいしか人口ないのに、かたや北海道、かたやフィンランドなわけだ。

そこなんだよなぁ!

…ま、いいや(笑)。話をバンドに戻そう。

とにかく話題をこのアルバムに戻すと、このアルバム、私が過去ライセンスしたどのアルバムよりもアドバンス(印税前渡金)が高かった。

スヴェングの当時のレコ社のオーナーはベーシストで、いい人だったけど、結局素人だったんだよね。

私がとりあげたスヴェングのアルバム以外、海外ライセンスにおいても一つも成功してないし、そのくせ高いこと言って、実際あまり良いビジネス仲間とは言えなかった。

偉そうに言えば、経験を重ねないとこのジャンルにおける海外ライセンスのスタンダードがまったくわからないわけで、正直、ミュージシャンとしてはいい人でもレコ社としてはかなり疑問な相手だった。

それでも交渉を長引かせるのは時間の無駄と思い最終的には、私は向こうの提案をのんだ。

ま、でもいいアルバムではある。スヴェングはファーストもよかったけど、「ハウルの動く城」の曲も入ったりしてて、このセカンドアルバムは、すごく良い内容の作品になった。

「ハウル」については、なんの経緯だか忘れちゃったけど、私が久石さんの事務所に電話して「カバーしていいですか」と確認したりもした。もう記憶にないけど、たぶんバンドに頼まれたのだろう。

電話では、女性の受付嬢らしき方が出て「下品なアレンジにならなければ、良いですよ」みたいなことを言われて、「これは書面でもらっておかなくていいのかな、と不思議に思ったりもした。できたCDを事務所に送ったりもしたけど、反応はまったくなかった。

ま、そんなもんよね。っていうか、カバーする全員に感想書いて労ってたら、事務所回らないもんね(笑)

でもこのハウルのアレンジは本当に素晴らしく、スヴェングの今や18番となった。ちなみにこのトラックは現在スヴェングのSpotifyで一番再生された曲になっている。(まぁ、こういうの聞く人って、タイトルで検索したりするから、配信においては、カバー曲は有利なんだよね…)

セカンドツアーは、「サクッと作った」最初のツアーと違って、本当に丁寧に時間をかけて作った。

船橋や、兵庫でやったのもこの時じゃないかな。船橋の公演には、うちの母親がやってきて全員に浴衣だかなんだかプレゼントしてくれた他、同行の友人5人全員にCDを買ってあげていおり、スヴェングの「おばちゃん」戦略にまんまとハマっているなと思った(笑)

他にもハーモニカの講義をコンサートにくっつけたり、「ハーモニカの町」と呼ばれていた厚木でも公演を行った。厚木のホールの人はえらい張り切って大ホールでやろうとか言ってくれたのだけど、それは難しいからやめてくださいと言ったのは私の方だった。

実際、小ホールもソールドアウトになったわけではなく、それで正解だったと今も思っている。

というかプレイヤーの人は概してコンサートにはあまり来ない。自分が良い演奏をするためには良い演奏に直に触れることはとても大事だと思うのだが、実際はそう簡単にはいかない。

しかも楽器を演奏する人は、自分の楽器のためのお金が必要で、コンサートチケットを買う余裕などないんだろうなと私は理解した。

さてさてツアーの写真をいくつかアップしよう。

これはもしかしたら初来日時だったかもしれない。日本橋三井タワーのロビーでのコンサート。当時、某音楽財団がブッキングをやっていて、ギャラがしっかり出るので、とても助かった記憶がある。


ラジオにも出た。これは文化放送だね。


そんなわけで、セカンドツアーは、なかなかの成功を収めたのだった。

今回は、素晴らしいツアーを作ってくれたハーモニー・フィールズさん主導のツアーです。スヴェング。ただ東京公演はウチで作りました。南青山曼荼羅で、アットホームなライブハウス公演です。


ハーモニカだけで、すべてを演奏してしまうフィンランドからやってきたカルテット。宮崎アニメのテーマ曲や、ハリー・ポッターなどの映画音楽、「恋のバカンス」や「赤とんぼ」もやるよ。シベリウスとショパンも! 詳細はこちら。