小沢慧一『南海トラフ地震の真実』を読みました。これは素晴らしい調査報道!

 


なんとタイムリーな読書。積読山から、何を読もうかなと物色したら、これが目に入った。えらいぞ、過去の自分! 面白そうな本をよく買っておいた。

それしても今回の能登半島で被害に遭われた方のニュースを見るたびに、心が痛む。今回、被害を受けられた方、みなさんにお悔やみを申し上げたいと思います。

本当にガザでもウクライナでも、こんなに多くの人が心を痛めているのに、なぜ物事は改善されないのか。無力感を感じるばかりで、本当に精神的にもよろしくない。地震は仕方ないけれど、その後のあれこれはすべて「人災」だよね…  実際ニュースを見すぎて、鬱状態になってしまった友人もいる。

で、この本ですよ。読んでみたら、マジで私の大好物の類の本。素晴らしいノン・フィクション。これは超A級のノン・フィクションです。私好み直球の素晴らしい作品でした。この方の記者魂に頭がさがる思いがした。

まず言えることは、とても読みやすい本だということ。あっという間に読破。

「南海トラフは発生率の高さでえこひいきされている」という学者の告発を聞いた記者の熱血調査報道。

なんとこの「南海トラフ」の予測の根拠になってる最初の地震の計測からして、まったくいい加減で(というと失礼だが、当時の技術ではそれが限度だった)、そこがずれているがゆえに…つまり最初の、たとえばグラフにすると始点になる場所の角度が違っているために、時間がたてばたつほど実際の事象とずれていくということが明らかになっているのだ。

実際南海トラフの確率は、他の場所の確率と同じ方法で比較したら地震の確率は20%。あれ、70%じゃなかったの? 確かに防災関係を低く見積もるのには勇気がいる。それはわかる。それはわかるけれど。

そういや山岸涼子先生のなんかの漫画で、歳取ったインディアンの方の談話が載ってたね。占いや予知は悪いことを言わないとだめだ、と。悪いことを言えば、それが当たった時「ほら見ろ」となるし、当たらなければ当たらないで「よかったね、当たらなくて」となる。

だから占いや予知は悪いことを言うのが正しいのだそうだ。

その話は棚に上げたとしても、いったん悪い情報を流したら、それを撤回するのは難しい。が、そう言う話じゃねぇだろうよ、とも思う。その結果が、この阪神、東北、熊本だ。

南海トラフの70%説を生み出した、最初の始点を証明する「久保野文書」は、個人の押入れの中に長い間眠っており、それを直接確認し検証した科学者は、この小沢さん以前一人もいなかったというから、まったくもって呆れる。えっ、そんな基準で計算してたの?と。

阪神があったあと、いろいろ改善され、この南海トラフ20%説も、70%説と一緒に両論表記でいきましょう、という説もあったという。

が、そこは結局「マスコミの人にわかりにくいとつっこまれる」等の理由で、あっという間に流れてしまたんだって。えーーーーーっっ???!

そして、この時間予測モデルを批判する論文が出てくることが、ないというのも問題だ。結局学者先生によれば「多くの地震学者は政府の長期評価にあまり興味がないんです。少しくらい変でも自分も研究の方が大事」。えーーーーーーっっ?

国の防災に大きな影響を与える重大な問題だ。日本地震学会で問題ならなったのだろうかという記者に「医学などは治療の方針にずれがないように、ある程度統一見解が必要になるのかもしれないけど、地震学は真理の追求です。また地震学会は、自身の見解を統一されせるほど、まとまりがある学会ではない」

えーーーーーえええっっ、それでいいの? それで国の方針を決めちゃってるの?

そして著者は、南海トラフ地震の大元、予測の始点である久保野文書を追うのだけど、その過程もなかなかなすごい。当時の測定の仕方(紐を船からたらして測っていた)など、当然、科学者たちに知られるべきなんだけど…。政府の採用したデータだからといって決して安心できない。これは本当にやばい。

例えば蛇口から出る水道の水に疑いを持ったら…そのリスクは果てしない。普段考えなしに信頼できるということが、どれだけ重要なことなのかそれが全然わかっていない。政府の採用したデータ=正解じゃないとなれば、いったい何を信じればいいのか?

それにしてもこの記者さんもすごい。観光案内板からヒントを得て、そのセンを追求していったり、郷土の歴史研究の中心人物(これがなかなかの偏屈おじさんだったりする。褒めてますよ!)に当たったり、本当に多角的に調査報道を勧めていく。

この郷土史家のおじいちゃんは「そんなことわざわさ年寄りに聞かんでもいい!(怒)」とヘソをまげていたのだが、間にたった人が、こっそり「きっとあの感じだったら、押したら応じてくれますよ」と間を取り持ってくれるなど、行動すれば、助け舟があらわれてくるのだから、ありたがい。(しかもこのおじいちゃん、東京もんと話す時は土佐弁が抜けるらしい。いいキャラクター!)

そして研究者の中には、地震本部で委員を歴任したえらい教授で、かつ「島崎論文は世界的にも影響力を持ってしまった。学術的なルールとしては論文の否定は論文でしなくてはならないが、この問題については誰も取り組まなかった」と反省し、著者にエールを送ってくれる人もいたという。

それにしても、日本…   こう言っちゃなんだけど、ズタボロじゃない? 国の予算は、こうやって、適当に消費されていく。そんな余裕なんてどこにもないのに。

もっと言っちゃえば、日本人個人個人がビジョンがある生き方をしている人だって、普段、滅多にお目にかかることはない。だから方針変更などややこしいことを、多くの人は嫌う。

ビジョンを持って生きていれば、時代の変化や研究の進み具合で、方針は変化して当たり前だ。でもそういう生き方してないから、そういうことが「理解されない」。それを単純化しないと多くの人には届かない。

マスコミも政府もすでに諦めている。

しかしすでに私たちには、「南海トラフ、この先30年のうちに起こる確率70%」ということが定着している。私も正直、海外のミュージシャンに質問されるといつも答えてきた「It could be tomorrow or it could be 30 years later」みたいな感じで。絶対に大きな地震が起こる、と。

これから100年くらいの間は、日本は大きな地震に定期的に襲われるだろう。しかし「南海トラフ」がエコ贔屓されるから、そんなことを言っている間に阪神大震災が起き、東北が起き、熊本が起き、そして今度は能登半島までやられてしまったというわけだ。

南海トラフは南海トラフで、それに備えることも必要だろう。でもそこを「えこひいき」するばかりに他がおろそかになっていないか、というのがこの本の提言なのだ。

そもそも地震には「予知」と「予測」があり、「予知」は無理だという結論は数年前に確定した。(「予知」はいつまでたってもオカルトの域を出ないという)

例えば今では「無理」と認定されている「地震予知」も東北の大震災があって、はじめて、やっと政府の中央防災会議は「予知は無理」と認めたのだという。

でもこの予知がダメだということは明らかになった今でも「予知はできる」とウソふいた先生方が、今でも地震研究シーンの中央に居座っているのだそうで、問題は根深い。

「予知は無理」が出たあとでも今までのデータをリセットせず、科学者たちはずるずると過去の定説にしばられてきた。それによって予算を獲得してきている研究者がいる。

同時に学問に対して余裕のない政府の方針というのもここでは問題とされるだろう。研究者の研究をサポートするのは国の義務だ。その余裕がないのも、この弊害の一つの理由なのかもしれない。

そして政府の委員を長く務める人の特徴は共通している、とも。センセーショナルなことが好きで、研究者の意見を拾いあげるよりも、役所の意見をうまく代弁できる人、そう言う人が役所に好かれるというのだ。

そして大きな地震はいつか起きると言うときに使われる「30年」。これだってなんの根拠もない。ただ「30年」というのは数値的な根拠ではなく、人が人生設計を考えるうえで「ちょうどいい長さ」ということで採用されているらしい。

2023年は関東大震災からちょうど100年だったわけだが、あぁいうタイプのような地震が発生したケースの被害は政府の中で、実は想定されていないって、知ってました? それを知る人は少ないのではないかと著者は言う。ええええっっ、私も知らんかった、知らんかったよ!

とにかくえこひいきされている「南海トラフ」に比べたら、首都圏直下や相模トラフなどはまったくの過小評価らしい。「東京Olympicをやろうってときに死者推定100万人なんて絶対に言えない」みたいなことが会議では話されているらしい。

怖い、怖すぎる。そして肝心のことを直視しない。先送りする。

とにかく予知、予測ができないという認識を改め、とにかく日頃から備えるということを著者は強く語る。あぁ…

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【前編】

【後編】

  「南海トラフ地震」発生確率70〜80%の根拠は「江戸時代から眠る古文書」…政府の検討委員である地震学者も反省した「その中身」とは