グレゴリー・ケズナジャット『開墾地』を読みました これは…なんとも美しい本

 


ちょっと理由があって、この本を読み始めた。ご存知のとおり私は、普段フィクションは読みません。だからフィクションに対して免疫がないのだけれど(笑)えらい素晴らしい本を読んでしまった感がある。すごい。

とにかく文章が美しい。短いし、あっという間に読めちゃったのだけど、とにかく噛み締めるように味わいたい感覚だ。

この感覚は角幡唯介さん以来の感覚かも。文章自体がゴシゴシ磨かれてできたロックのクラッシック・アルバムたちのように、スタジオ録音の妙というか、とにかく磨き抜かれている印象だ。

いや、意外とご本人はさらっと書かれているのかもしれないけど、これは驚きのレベル。しかも著者は日本語のネイティブではない。すごい。

「越境文学」と帯にある。でもこの言語と文化の狭間の感じが越境なのか。いやでも著者(というかこの本の主人公)が持つ、感覚は私にもわかる、と思ってしまった。

出張に行き、現地で一人も日本人に合わなかった時、日本語が出にくくなるあの感覚。夜ホテルでメールしながらも何か違和感がある。下手すると2週間くらい英語だけで生活していると、帰宅した時に日本語にものすごく違和感が出てくる。

何もかもが違ってみえる。そして食べるものすべてが驚異的に美味しい、と思う。コンビニ飯から何から何まですべて美味しいと思えるあの感覚。私ですらちらっと感じるあの不思議な感じを、著者は見事に言語化している。

装丁もすごく素敵で、普段私は本を読んでいると「あっ、ここブログで紹介しよ」というところをドックイヤーするのだが、折るのちょっとはばかられるくらい素敵な装丁だった。いや、それでも折り曲げちゃったけど(笑)

例えばミュージシャンが来日して、そこにアテンドしていると、ついつい外国人の目で日本を見てしまう。東京はもちろん、あらゆる街が全然違って見える。それでイラッとしたり、やっぱ日本はいいなぁと思ったり。

しかし。ふと思えば、下手すると海外に一度も出ないまま大人になってしまう人もいる。音楽だって、日本のものしか聞かない人も多いよね。そういう人たちはもしかすると、この感覚はわからないかもしれない。

帯を取ると、こんな写真が現れる。すごく素敵な装丁だ。蔦のようにからまる葛の木の下に、著者と思われる子供の写真が掲載されている。海外へ行き、そこで別の名前で呼ばれ、そして地面を、廃墟を、すべてを覆う葛の葉。


英語タイトルはちなみに「A Clearing」とついている。こっちの方がなんかしっくりする。そもそもバカなわたくすは、『開墾地』ってそもそも漢字が読めなかったよ(笑)意味もググるかでわからなかった。

もっと言うと葛の花の「くず」も読めなかった(赤面)。で、ずっと蔦と勘違いしながら読んでいた。バカだよねぇ。っていうか、最近の本はルビがないのか。ルビをくれ、ルビをーーっっ。

…というのはさておき、とにかく日本語って難しい。そういや最近エジプト語で本を書いた元ニートの若者がいなかったっけか。それにしても、ネイティブじゃない言語を自由に操る人、すごい。

なんか文章が美しいんだよ。なんというか、なんでも丁寧に言葉で説明してるんだけど、それが伝わってくるというか。

「英語に戻ることも、日本語に入り切ることもなく、その間に辛うじてできていた隙間に、どうにか残りたかった」…沁みる。


「母語はむしろ檻のように感じられた」


「美しい本」という意味では、夏葉社の『昔日の客』以来かも。あと何度も言うが文章力のすごさという点では角幡唯介以来かも。それが外国からやってきた人にもたらされたという。いや、すごい。本当にすごい。

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さてさて全国ツアー中のフィンランドのハーモニカ・カルテット、スヴェング。ツアーは今日明日の公演で終わります。今日はこちらの公演。静岡の皆さん、公演にかけつけてくださいね。