あっという間に読めてしまった。新書って、ほんとさくっと読みやすい。
タイトルに惹かれて買ったのは事実。私自身は実は可もなく不可もない日本で一番多い日大の卒業生。しかも日芸とかではなく、日本大学文理学部哲学科という普通の偏差値の学校だ。
高校三年生の時、自分はとりあえず地元の千葉大学あたりかなぁと思い、共通一次(というものがあったんです)を受けたものの挫折し、しかし親元を早く離れたいと私大をいくつか受験することになり、5、6校受験した。
一番上は立教大学。当時あこがれていた大貫憲章さんが確か立教大学じゃなかったっけ。クリスチャンの学校というのもかっこよくてよかった。あと明治、専修、法政などなど5、6大学受けて、結局日大しか受からなかった。なにせ頭悪いですから。
…というか、地頭は悪くないとは思うのだけど、なにせ勉強するのが大嫌い。高校時代は教師にも恵まれなかったため、ひどい成績だった。それでも自分が四大に行くことは絶対にうたがってなかったのだから、まぁすごいずうずうしいよね。
合額通知が送られてきて、当時高校の教師をしていた父親が「補欠じゃないのか」と言ったほどだ。ま、ほんと、現役で通っただけでもラッキーだったよな。
とにかくもう勉強するのがいやでいやで、受かった日大にほくほくと進んだ。
大学時代は勉強はさらさらしなかったけど、良い友達に恵まれ、結構楽しかった。とはいえ大学4年には自分の進む道がわかり、大学4年はその会社にほとんど入り浸り、卒業と同時にその会社の社員となった。ま、それはまた別のお話。
当時から自分のやりたいことは諦めない性格だったらしい。そして仕事好き。仕事は勉強より100倍楽しい。100倍勉強になるし、かつ給料ももらえると来ている。
しかし! 大学を出て進んだ小さな会社を離れ、大きな会社に勤めるようになると、周りには結構高学歴の人が多いんだなと思った。
特にメーカー勤務になってからは、結構みんないい学校行ってるんだなと、仕事のできない窓際おじさんたちを見ていて思った。
ちなみに仲良しのアルテスパブリッシングのSさんは東大卒だが、普段そのことを感じさせず、逆に東大、東大とからかわれていることが多い(笑)。豊田耕三さんとか、TOKYOFMの田中美登里さんとかが芸大の楽理科卒というのも、なんだか「すごいなぁ」と思う。
学歴社会は終わったとは言われることが多い昨今だけど、いや、やっぱりいい学校に行っている人は頭がいいよなぁ、と常に思う。
とにかく社会に出てみたら、みんな結構高学歴だ。マスコミに慶応が多いのはよくある話。「三田会」とか言って、OBOGの結束も硬い。
しかし私には母校愛なんてものは存在しない。寄付のお願いみたいなものがついた機関誌が実家に届いても、私の場合ゴミ箱直行。日大のみっともないニュースが流れるたびに、しょうもないなぁ、と思う。
一方で、いわゆるスーパー学歴を持つ女性をリアルで何人か知っているのだが、最近知り合った作家の吉原真里さんに出会うまで、私は高学歴の女というものは、こんなにも不幸なんだなとずっと偏見を持っていた。これはこれでミソジニーだよなとも思うけど。
私が知ってる女性高学歴の人…いわゆる大学だけではなく、大学院まで行って、何言語か操るタイプの人…は、なぜかものすごく暗い人生を歩んでいる。会って話をきくたびに、明るい気持ちになったためしがない。
具体的には3人いるのだが、3人とも私から言わせると気の毒なくらい辛い人生を送っているのだった。それについては詳しくは書かないけれど。
でも『親愛なるレニー』の著者の吉原真里さんに出会って、いわゆるスーパー高学歴の人でも、こんなに明るくて幸せで素敵な人がいるんだ、ということに妙に感動した。
吉原さんだけではない。吉原さんをとりまく高学歴の人たちすべての人がそういう感じ。
そしてみんな世の中を良くすることに努力をいとわない。というか、この人たちが努力をやめたら実際日本は終わってしまうんだろうな、と思ったりもする。そのしょってる責任も含めて、皆さん、すごいよなぁ。
一方で、おばちゃん(私)より良い大学に進んで途中留学まで経験した姪っ子が就職してもなかなかうまくいかなかったりしているようだ。ほんと学歴ってなんなんだろうね。
「学歴なんて仕事はじめちゃえば、一緒ですよね、野崎さんと私が同じ仕事してるんだから」と昔、高卒のめっちゃ仕事できない同僚に言われ、かちんと来たこともある。そうか、そう見られているのか。
学歴ってなんだろうね。例えばOLやめて語学学校に留学し、そのまま日本にも海外に住むこともできず、漂流している女性は何人も見てきた。
語学留学後の女性はほんとに進路に悩んでいる人が多いと今でも思う。だいたいは日本社会にもなじめず、かといって海外移住はハードルが高く、みんながみんな漂流しちゃう。
そういう人たちの多くが自分の人生の「上がり」はここだという見切りをつけて、たとえば実家に戻ったり、結婚したりして自分の周りから消えていった… というと、失礼か。彼女たちは彼女たちで自分の幸せを見つけたのだから。
でも私から見ると、それらはすべて「そうか、自分のキャリアの先が見えなくなったから彼女たちはここで見切りをつけて「上がり」と決断したんだな」というふうに見えてしまう。これって、ちょっとしたミソジニーだよね。わたしは女に対して厳しいと自分でも思う。意地悪だよなと自分でも思う。
なので、学歴ってなんだろうと最近思うところが多く、この本を読み始めたのだった。
正直読み始めは、うーん、これはちょっと民法のワイドショーで短い時間で紹介されるゴミ屋敷のドキュメンタリーっぽいノリかなと思ったけれど、読み進めているうちに、少しずつ感情移入できるようになった。
ポイントは、ここに書かれた多くの人が「自分が他人からどう見えるか」「家族からどう見えるか」ということに、すごく重きをおいた生活をしている、ということ。
そういう人は高学歴になり、一歩人生でつまづいてしまうと、こうなるのか…と。そういえば私のリアル知人の不幸な高学歴女性も、このタイプかもしれない。特に大学はともかく、その多くが大学院に進むか、というところで、岐路が分かれる。
でも難民とかいいつつも、最後にはちょっとほっこりした幸せを掴み取る人たちもいる。人生諦めちゃいかんよな、と思うし、加えて人の目なんか気にすることないんだよ、とも思う。
あ、あとこれは余計なことですが、メジャーな出版社から出ている本にしては珍しく、明らかな変換ミスの誤植が多かったかも。普段、割と速読っぽい私は、あまり誤植には気づかないことが多いのだけど、私が気づいただけでも2カ所発見!
でも日本で初めて犯罪加害者と向き合った支援団体を作ったという著者の方の活動は素晴らしいと思うし、あとがきの恩師の方への言葉には、グッとくるものがあった。これからも頑張ってください!
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