E・L・カニグズバーグ『ジョコンダ夫人の肖像』を読みました。おもしろい!

 



いやーーー 面白かった。なんというか古い本である。1975年の本だが、今17版で2014年版というロングセラーらしい。すごいね。

一応子供向けだけど、カナの振り方とか、フォントもレトロなテイストでいい感じ。正直、ちょっと読みにくいというのはある。でもそれを棚にあげても、すごく面白い本だった。

この本を買ったのは、こちらの動画を数日前に見ていたからだ。


ぜひ最後まで見てほしい。ダ・ヴィンチってすごい。ほんとすごい。なんか唸っちゃった。誰よりも早くすごいことを思いついていた。それをモナリザで実現しようとしていたんだ。この説はおそらく正しい。すごい。

そんなふうにちょっと興奮気味に「モナリザ」に再び興味を持っていたのだが、先日とある理由で赤羽の書店営業周りをしている時、このタイトルがふと目についたのだった。

「モナリザ」じゃなくて「ジョコンダ夫人」っていうのがいい。モナリザのことをちょっと知っている人ならすぐにこれがモナリザのことだとわかる。これがフィレンツェの某商人の夫人だということを。

ダ・ヴィンチは、すごくアーティスティックな人だ。彼に食い込む…というか、近づくことが可能なのは、イエスマンでもなければ、ピュアな人間でもない。それができたのは不思議な存在の愛弟子サライだった。

サライは、師匠を騙しこっそりお金を盗み(しかしそれはとっくに師匠にばれている)、ひいては大先生とのアポを取るための間に立ちはだかりお金を人々からせびる悪徳マネージャーのような存在の男(の子)だ。

が、ダ・ヴィンチは、そんな彼をクビにしたりしない。こんなページも発見。サライのことが詳しく書いてある。(もしかしたら彼らは同性愛の関係にあったかもという考察もあるらしい)

そして、この芸術家とその愛弟子が…特にサライの方が先に心を通わせた二人の親友というかソウル・メイトともいうべき存在が、公妃ベアトリチェだった。そしてそれに対をなすようなイザベラという女性の存在。

ベアトリチェは若くして亡くなってしまうのだけど、その彼女をダ・ヴィンチに思い出させるジョコンダ夫人という存在が登場し、そこでダ・ヴィンチのアーティスト魂に火がついた、というわけだ。

芸術家をインスパイアするのは決してお金でも名誉でもない。アーティストは、とにかくめっちゃするどい。おそらく私たち凡人には見えないものが、アーティストである彼らには見えている。亡くなったベアトリーチェとサライとダ・ヴィンチ。そうやって惹き合う魂が、モナリザの肖像画を生んだ…というわけ。

レオナルドはどんなにお金を積まれても、生返事をするだけで決して作品を仕上げようとしなかった。気分が乗らなければ描かなかった。数字に夢中になれば数字に没頭し、戦機に夢中になれば設計などに没頭し、とっても気分屋だった。

どんなに偉い人にお金を積まれても気分がのらなければ作品を仕上げなかった。イザベラはイライラしながらダ・ヴィンチにプレシャーを与えるが、そんなんでは芸術家の心は動かない。

そして、ダ・ヴィンチといえば、サライ以外、直接彼と話ができる人間がいなかった。この感じは、ものすごーくわかる。よくマネジャーが、アーティストを囲ってしまう、そういう状態だ。

だからこのサライしかダ・ヴィンチに近づけなかったのもよくわかる。ほんとバカな話なんだけど、アーティストに近くなるために合理的な理由などは一切関係がない。彼らにはまったく一般常識が効かない。

私なんぞも、美しい心を持った彼らに自分の汚いところや嫌なところをアーテイストたちに見抜かれやしないかといつもビクビクしているのだ。

お金を積んでも、一生懸命お願いしても、こちらの言うことを聞いてくれないのがアーティスト。そんなダ・ヴィンチだからこそ、あのモナリザが生まれた。

これはすごい考察だ。知り合いから原田マハさんは面白いと言われ、何冊か読んで確かに面白いとは思ったけど、彼女のあの小説の感じにちょっと似ているかもしれない。でも私にとっては、こっちの方が俄然おもしろい。