磯野真穂『コロナ禍と出会い直す 不要普及の人類学ノート』を読みました。重要な一冊。ものすごく良かった!


ブックレビューが、まだまだ続きます。

久しぶりにきちんとしたノンフィクションを読んだ。読み応えのある一冊。間違いない内容。わたしはとても感動しました。こうやって時代、時代の節目には、まとめてくれる学者の方が日本の社会には必要です。必読の一冊です。

磯野さんといえば、とにかく宮野真生子さんとの共著『急に具合が悪くなる』が圧巻で、本当にすごいなぁ、と。あの本のことをいまだに噛み締めているのだが、これはその磯野さんの新刊である。

まさに今、そのコロナが再び猛威を振い出すのではないかという恐怖の中、やっと積読になってたこの本を読んだ。

あのパンデミックの期間中、日本の社会がどうであったか…というのをふりっかえる本。

戸惑いの中で、なんとなく周りの空気を見ながらマスクをしてみる。果たして効果があるかどうかわからないアクリル板を使う。毎度のことながら、誰も責任を取ろうとしない。無難な道をなんとなく行く。日本社会のすべてのことが表象化してきた、あの日々。

いや、今までわかってなかったわけじゃない。わかってたのに、みようとしなかった、ということなのだ、きっと。

専門家が出ているテレビ番組すら、「こんなに対策してるなら、マスクは必要なし」と収録後に専門家自身が言っちゃうわけなのだけど、磯野さんいわく、実際の収録では「ご自身の判断で」と促された出演者は収録中全員マスクをしていたという。あれ?

つまり感染予防ということ以上に、自分が視聴者からどう見られるかということを気にしていたのではないか?

だいたい収録の前に専門家が「これなら大丈夫」と言ってくれれば、収録中もみんな安心してマスクを外せたのに… いやはや、そうはシンプルにいかない日本社会。

同じ局でほぼ同時期に収録された2つの番組で、感染対策のやり方はまるで違った。「正しい知識を身につけよう」と言っている専門家ですら、そんなテレビに出演しながらも何も言わない…などなど。

2020年のパンデミックはそんな感じだった。誰もが手探りだった。学者たちも自分の分析を信じたいが、強く自信を持って発信することがなかなかできない。

そして、それらの感覚を、今、なんとなく日常を取り戻した気持ちでいるわたしたちはすっかり忘れている。

一方で発信することをしていた数少ない先生たちはSNSで、大バッシングを浴びたりしていた。ともなれば、もう黙るのが一番賢いだろう、と。これしかない、となるわけだ。

他にもいわゆる「県外リスク」について。今、冷静に考えれば、あれはなんだったんだろうと思う。

磯野さんは「医療人類学者としてわたしが注目したいのは、行政目線の境界を住民目線の境界に変換することに、県が成功したことである」と指摘する。

いや、これよく考えたら本当にそうだ。確かに今思えば、あれは不思議だった。なんで県境=コロナの境界線となるのであろう。そしてあれは「身体統治の成功例だ」とも。

あれがなんで成功したのかも、よく理解しておかないと、わたしたちはまた意味のない身体拘束される可能性があるのだよ、ということを噛み締めないといけない。

そして県境でコロナを区切ることに確固たる裏付けは……恐ろしいことになかったりもするのだ。いったいそれってどういうこと?

「県をまたく移動の自粛」というのは「県を管理する人の目線が県民に埋め込まれた結果」だと磯野さんは解く。これ、すごく考えた。なるほど、管理目線が県民に埋め込まれてしまったのか…。

確かにあの時、国は全てを都道府県に丸投げ、都道府県は責任を押し付けられ、それぞれの首長たちは、自分たちでそれをなんとかするしかなかった。

それが結果的に良かったとも悪かったともいえるのだが、県をまたぐ人に罪悪感を感じさせたり、県外からくる人に冷たい視線を集めたわけだ。そしてこの圧倒的な意識上の「県境」を生んだ。

こんな状況にいったんなってしまえば、学者が「憎むの人ではなくウイルス」「コロナは誰でもかかる可能性がある」といった言葉はまるで意味をなさない。ただただ言葉は人々の上を横滑りしていく。

そして「気の緩み」や、介護施設でのクラスター。普段からの人間関係の歪みが、非常時にあらわになった例はことかかない…。

そしてとにかく変化を嫌う多くの人。できるだけ「これまで通り」にすべてを落ち着かせようとする。とにかく穏便にすべてを流していきたい人たち。感染拡大と医療逼迫。それはすべて果たして「気を緩めた市民のせい」なのか?

とにかく人の目を気にして、人に迷惑をかけないように振る舞うという日本人。それが良い方向にいくか、悪い方向にいくか。

また「命と経済の問題」と何度も連呼されたが、ここでいう「経済」も「命」につながる切迫したものだった、と磯野さんは解く。命と経済ではなく、(病気になって失う)命と(経済的理由で失われる)命の問題だったのだ、と。

一方で住宅型有料老人ホームにおける極めてよくマネジメントされたケースもあって、それが最後の方で紹介されている。自分たちで考えて、クラスターは発生したものの上手く収めることができた例とか、このケースはとても興味深い。

そして現場で本当に自分の頭を使って、頑張るスタッフもいる。前に勤めていたホームで悔しい思いをし、そこから確固たる目的をもって新しい場所を自分で作った方の話も。

規則でがんじんがらめにするのではなく、個人の判断を尊重し現場を動かしていく、そのことで成功した施設の話。この感じを日本社会も同じように運営できないのかなと思った。

それにしてもたったここ3、4年の話なのに、こんなに忘れてさっている自分に呆れる。もう何もかも遠い昔のことに思えるのはなぜだ!?

この本はそういうわけで、とても読み応えがあった。そして今。今!! まさにこんなにコロナ患者が増えているのに、今現在、東京のこの何にもないこのフリーダムはいったいどういうことなのだ!!? 

電車の中では咳をする人ほど、マスクをしていない。怖すぎる。いったい、この状況は? 

おそらく今のコロナの状況は、あれこれ世間が騒いでいた時期の感染状況とあまり変わりないのかもしれない。が、わたしたちは、前回のあのパニックともいえるパンデミックの状況からは何も学ばず、今はまるで「平常時」のように日々を過ごしている。

「あの時」と「今」の違いはいったいなんだろう。この本を読みながら、再び問い直していかないといけない。



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