私とラウーをひきあわせてくれたのはこの二人です。セーラとメイジー。
今回はラウーを来日させたきっかけを書きます。まぁ、でも当時から相当話題になってたよね。私の界隈ではとにかく話題になってた。だから彼らに目をつけた私が特に早かったというわけではないと思う。すでに彼らはfROOTSとかには取り上げられていた(と思う)。
とはいえ、BBCの賞を続けて取る、その前に来日させた私は偉いよね…(爆)
そもそもBBCで話題になる、WOMEX(ワールドミュージックの見本市)で話題になる…そんなところからバンドを見つけてくるのは、これは普通に誰でもできること。WOMEXでフィーチャーされたバンドは、必ず翌年のロンドンのバービカンや、ニューヨークのシンフォニースペースとかで大きなコンサートをやる。そういう極めて政治的な世界。みなさん、世の中なんてそんなもんですって!(笑)
でも私の偉いところは、ヴェーセンだって、ルナサだって、ラウーだってWOMEXより前に見つけてきたところ。
WOMEXみたいな「ザ・業界の集まり」みたいなものは、今でも私は好きではない。ルナサは日本に来て、2、3回たったころ、やっとWOMEXに出て結構劣悪な環境の中で演奏をし、それをハラハラと見ていたプランクトンの川島さんが「すごくよかったわよ」と励ましてくれた時、「涙が出そうになっちゃったよ」と後で私に告白している。(すぐ泣くんだ、ショーンは・笑)
そりゃそうだよね、腕組みながら「このバンドは売れるのかな」とコンサートを観ている業界人の前で演奏するのは、結構きつい。(まぁ、実際のWOMEXはそんな冷たい反応は滅多にないようですが)
ヴェーセンも私が知っているだけで、WOMEXに出たのは1回…かな? それも、すでに日本での来日を3、4回終えた後だったと思う。しかも1回きりだったと思う。そもそも出演する側からたっぷりお金を取るWOMEXは、意味がなければ続けて出るメリットはない。
あと例えばだいぶ前に日本で発売になった「ユーロ・ルーツ・ポップ・サーフィン」は、すぐれた欧州トラッドのガイドブックだけど、その本にはヴェーセンはまったく紹介されていない。
時々私に「野崎さんが紹介する前にこのバンド知ってました」とマウント取ってくる人がいるけど、そういう人には私は正直疑問がうかぶよね。「じゃあ、あなたが呼べばよかったんじゃない?」って思っちゃう、黒のざき…(笑)お客さん(? お客さんなのか?)素人相手にそれを仕事にしている側が思ってどうする?(笑)
でも、そのくらいうちのバンドは世の中を先取りしているという自負が私にはある。もちろん、WOMEXとか、そういう場所に行って自分の顔を売ることも大事なんだけど、私のスタイルはそうじゃないんだ。
今でも思う。バンドと出会うって、恋に落ちるみたいこと。お見合い設定されたって無理なんだよね…
私が引退引退と引退を叫ぶのも、もう恋に堕ちれなくなったからだ。今でも、もうすべてを投げ打ってでもやりたいというバンドがいれば、恋に落ちることはできるし、残りのパワーをふりしぼってでも頑張って来日させただろう。
でも、自分の中にそういうパワーがないのは、もう痛いほど自覚しているんだわな。
それにしても、デヴィッド・マネリー、ジョン・スミス、ダミアン・ムレーンなど、そのあたり。全部私の来日ツアーはすべて早すぎの感はいなめないよなぁ。今! 今、やったら、また違う結果になってたのかな。みんな私が呼んだころは全然無名。でもその後、それぞれの分野で大活躍しているわけだけど。
と、まぁ、そいうい年寄りの自慢話はいいとして(笑)…いや、違うな、いわゆる「ザ・業界」みたいなところに行っても私なんぞが成功できる場などないんだ。それを自覚しているから、こんなことを言っているのかも。
ワールド・ミュージックの場合、どんなエグゼでもクラシックとかジャズとかと違ってかっこいいスーツとか着る必要がないから、それはいいとして、それ以外のところでもそういう自覚がある。
私はチビで英語もそんなにうまくないし、そもそも女だし。正直音楽のこともよくわかってないよなと自分でも思う。だからこんなことを言うのも、わざわざ「権威」にひと言言いたくなるのも、そういう自分を慰めるための「負け惜しみ」なのかもしれない。
ま、そんなもんですよ。笑ってやってください(笑)
ラウーはそんなわけでエイダンのあの壮大な音楽の、でもツアー可能なバンドということで、私のカードの中では非常に高く認識され、結構プライオリティも高かったし、注目はしていた。でもまだCDが出る前だったんじゃないかな。決定的なものには欠けていたから、何かすぐにしようとは思っていなかった。
ところが、出会うバンドには出会っちゃうんだから不思議なんだよね。
最初にラウーのライブを見たのは、ロンドンで。これが偶然だった。たまたま渡英した時に訪ねていったロンドンでセーラに会ったのだ。私はロンドンに行くからといって、ロンドンの知り合いを全員呼び出すようなセンスのないことはしない。何か具体的なオファーや用事があれば別だけど。
向こうに行けば、こういう仕事をしてる人間がチヤホヤされるのは当たり前のこと。私が行くならとあれこれ準備してくれる人もいるのかもしれない。それを自分が偉くなったと感じてしまうのは、本当によくない。
だからロンドンに行ったからといって仕事のオファーのないバンドの連中にわざわざ自宅まで会いに行くことは滅多にしないのだが、この時は特別だった。というのもセーラに娘が生まれたからだ。なので、お祝いもかねて私はセーラとメイジーに会いに行った。
あら、ロンドンにいるのね、ということで、あったセーラ親子はとっても元気そうで、メイジーつれてツアーしようよなんて話をした(かもしれない)。
そのセーラが「明日ラウーがコンサートやってるから見に行った方がいいわよ」と提案してくれ、しかもエイダンに連絡を取ってくれたのだ。私はまたあのブーツの子にも会える!と思い、嬉々としてラウーの公演に出かけていった。
確かあの時はロリーナ・マッケニットの公演をみようということで、二人のお客さんも同行していた。連絡をくれたエイダンは私に招待を2枚くれたので、二人に一緒に行かないか提案し、3人でチケット代を分割した記憶がある(笑)。あれはなかなかのセンスだった(爆)。
何はともあれ嬉々として出かけていった。小屋はもう最悪の音環境で、汚くて小さい小屋だった。それが彼らのランドンでのレコ発ライブだったのだ。
そして彼らの演奏の1曲目を聞いてその瞬間から私はこのバンドをどうやって呼ぼうか頭の中でぐるぐる考えていた。
そうして、とにかく日本に一度来てみない?というオファーに、バンドは乗ってくれた。あの時のラウーにはマネージャーがついていなかった。その後マネージャーになるリビール・レコードのトムは、その時はレコード会社という立場で、CDをライブ会場で販売していた。まぁこのトムについては、言いたいことは100くらいあるのだが、それはまた10年後くらいに書く(笑)。
ラウーが最初のBBCを取ったのは、そんなふうにして作られた初来日公演の「後」だった。だからあの時の公演で、まったく無名のバンドの公演のチケットを買ってくれたお客さんには本当に頭があがらない。あの時、お客さんが「このバンドはいいよ」という私の言葉を信じて、コンサートに来てくれたから、その後のラウーの来日が続いたのだ。
公演は「晴れたら空に豆まいて」で2日間やることにした。公演は最高に素晴らしかった。特に2日目。最高の公演って、滅多にできないのだけど、あの時の2日目は、自分が作った公演のベスト10…いや、ベスト3の中のひとつに入ると思う。
本当に初来日たのしかったよなぁ。