LAUの来日公演ツアー終了 おつかれ自分!?



写真はクリスが今回のツアーで食べたご飯の中で一番!と
評価していた外苑前の和食屋さん。

家庭において日本人はどんなものを食べているんだと聞かれて、
サウンドチェックの前に定食屋さんに連れて行ったんです。

青山のOTOTOさん。ありがとうございました。


いやーーー 終わった。終わらないツアーはないと分かってはいたけど、本当に終わった。ほっ。ほんと事故もなく、みんな元気で、美味しいものを食べ、音楽が最高だったら、もう超合格だよね。

超地震大国なのに、そんなシェイキーな土地の上に危ない原発をたくさん作って、死刑もあるような日本なんて、待っててくれてるリスナーさんがいなければ、決して良い国ではないと私は思う。

まぁ、食べ物が美味しいのは良いところだけれど。あと比較的安全なことも。ただそのどちらも、この国は、この先どのくらい維持できるかはわからないのだけど。

円安も本当に痛い。ギャラは20%減もしくはプロモーターにとっては20%増の負担が要求される。航空券も今までの2倍だ。そして、地震、台風、大雨等等、そんな国で、この事業を続けていくのは正直正気の沙汰ではないと自分でも思う。

でも音楽が最高だったから、納得できる。それを強く感じたツアーだった。このために私はこの仕事をしているんだということを改めて喜びとともに噛み締めた。

今回、特に1日2公演とか、能登への日帰りというハードスケジュールな日もあったけど、結果オフが2日丸々あったので、それはそれでバンドは良かったみたい。実際、しっかり予定通り物事が進んでいれば、ツアーはそれほど疲れない。

ひどく疲れるのは予定通りに物事が進まず、パニックになった時だ。パニックがあると、単純な日程でも疲労度はMAXとなる。

それにしても音楽がすごかった。それは断言できる。とはいえ、これでたぶん私が彼らを呼ぶのも最後になることだろう。それは彼らにも(ツアー前からすでに)話してある。

好きな音楽を紹介するというこの仕事で食べてこられた私は、ラッキーだったし、ひとつひとつのバンドをきちんと卒業させるのも、私の責務だと思っている。

でもちゃんと最後まで自分の責任を自分の納得いく形でまっとうできて、私は本当に幸せもんだよなぁ。LAUは、私がもっとも愛したバンドの一つなのだから。

普通は、引退をこういうふうに自分で決断できない。理由は経済的なことだったり、健康のことだったりするけれど、だいたいは強制終了という形で仕事を辞めるのが普通だ。それが、今の私なら、自分で決断できる。これは最高の幸せだ。

LAUは本当に出会った当初からまったく音楽に妥協がなくて、それが素晴らしかった。音楽的にはどんどんマニアックな方向に行ったけど、この年齢の男の子は成長がすごいと改めて思う。

それはルナサとかでも一緒だ。若い子と仕事するのは楽しい。自分も同じように成長していれればいいなぁと、自分よりうんと若い彼らを尊敬の眼差しで見つめる。

まだ別の彼女と付き合ってた頃から知ってる若い子たち(笑)、マーティンはすでに最初に会った時から今の奥さんと結婚して子供もいたけど、エイダンとクリスは、その後、ベストといえるパートナーと出会って結婚して、今やしっかりとパパになった。マーティンの子供たちは、もう二人ともティーンエイジャーで、もうすぐ20歳になりそうだ。

しかしこの年代の男性(30代後半から40代後半まで)は音楽的にも性格的にも、すごい成長する。そんな彼らの15年あまりと一緒に仕事ができて、本当にラッキーだったと思う。

ほんとラウーみたいなバンドの存在は稀で、前回の来日から10年間来日できなかったのが、とても悔やまれる。それにはいくつか理由がある。途中パンデミックもあったとはいえ、その間に、彼らは音楽的にずいぶん遠くまで来てしまったようだ。

実は今だから言えるが、私は彼らの当時のマネージャーがあまり好きになれなかった。ラウーは最初日本に呼んだ時はマネージャーはついていなかった。2回目も。でも3回目の来日くらいからマネージャーがついて、そいつがあれこれ口出ししてくるので、本当にやりにくかった。

しかし年月がたって、彼らは今、そのマネージャーと離れ、いろんなしがらみがなくなったので、今回は特にエイダンとマーティンに熱望されて来日を決めたのだった。私も自分がTHE MUSIC PLANTを閉める前に最後にもう一度ラウーを呼ぼう、と。

驚いたことに、彼らのお客さんの層も、以前とだいぶ変わっていた。一時はDUOを2日間いっぱいにしたことがある彼らだけど、確かに10年間、自分の周りを見回してみると、同じ状況で同じようにコンサートに行ったり美術館に行ったりしているという人は本当に少ない。

みんな仕事を引退したり、仕事が変わったり、親の介護が始まったり、自分が病気になったり、経済状況が悪くなったり(これは本当に驚くほど多い)、生活を取り巻く状況が10年変わらないという人はいない。

10年同じ…という人は稀だ。そんな同じバンドのファンでいつづけるということはとても難しいことなんだろう。

来日がこんなに開いてしまった理由はいろいろあって、私もいろいろ考えることはあるのだが、まぁ、すべては良しとしよう。詳しくは仕事をすべてやめて10年たったくらいに書けるかもしれない。でも、それは話す必要のないことだ。

結局彼らは私と3回、プランクトンで2回、そして今回の1回で、合計6回来日した。エイダンなんかKANでも来てるから、それに加えて2回か…。まぁ、よく呼んだよなぁ。そんなに来日できたバンドって、大きなアーティストでもそうはいないと思う。

特にエイダンには他にもレコーディング・プロジェクトを引き受けてもらったり、本当にお世話になった。


明るいうちから飲みます!


スタッフの皆さんにも、本当にお世話になりました。
いつも本当にありがとう!

しかし今回思ったんだけど、ツアーは本当に大変だけど楽しい。よく考えたら、病気になった時、コロナ、そして具合が悪くて出来る後輩にツアー・マネージャーやってもらってた時期… とにかくずっとずっと自分でツアーの現場を動かしていなかった。

もちろんコロナ以外では、うちは私の病気が理由でキャンセルしたものは一つもなく、予定していたプロジェクトやツアーはとどこおりなく催行できたのだけど、それは、いつも出来る後輩が助けてくれていたから可能だったのだ。

今回はファイナンス的なこともあって、彼女にお願いする予算もなく、自分だけでツアーを回すことにした。(ケルト市の日だけは、スタッフをたくさんお願いした。人件費だけでも結構かかった)

実際、例えばラウーのツアーにアシスタントをつけて、ツアーが合計4人になるか、5人になるかってすごく大きい。(タクシーが通常のものでいけるか、もしくはチャーターしないといけないか等、大きくかかわってくる。費用や時間や人件費。全然違ってくる)

で、自分でやることにしたはいいけど、いやーーー 海外旅行とかもそうだけど、ツアーを行う能力も、これまた本当に筋肉だとひしひしと実感したね。

ツアーをやる筋肉がないと、もうツアーは辛いのなんのって。一晩寝ても疲れはとれず、身体中のあちこちが痛む。腰が痛い、肩がこる、そんなこと若いころにはなかったのに。そのくせ夜はほぼ意識なくバタンキューで寝てしまうのに、朝もものすごく早く目がさめてしまう。

特に今回泣けたのが、新幹線のチケットだ。自分一人で出張に使った時、アプリで取って「こりゃ便利だ」と喜んだ私は、今回、初めてアプリでツアーの東海道新幹線を押さえていた。ツアーに必須の荷物席も、アプリで取れるではないか! イエス!

が、発券の段階になって4名分のチケットは当然自分一人のイオカードには落とすことはできないことが発覚。しかたないので、前日の渋谷公演の時、サウンドチェックを抜け出して、紙のチケットに発券しようとしたら、これがなぜだか発券できない。

窓口の人に聞くと、これは渋谷駅ではわからない、東海道新幹線の駅、品川か東京に行ってくれ、と言う。えーーーっっ。

日本は全国のJRが一つの会社、一つのオペレーションでないことが、本当に大きく働いているよね。インバウンドさんたちは、この複雑な状況をどうやって把握しているのだろうか。東京の地下鉄だって二種類あるし…私鉄だって山ほどある。それが複雑に接続していて、料金体系や行き先もものすごく複雑だ。

とにかくもうすぐサウンドチェックだというのに、品川や東京に行くのは無理となり、仕方ないので翌朝、バンドはホテルのロビーに10時集合だったが、私は一人で朝7時に東京駅に行ったさ。

本当に泣ける。疲れてドロドロなのに。だって、バンド連れて、発券のために窓口に並んだり、待たせたりすることは絶対にしたくない。もちろん事情説明したら、優しい彼らはニコニコしながら私の作業を待っていてくれただろう。でも、それは私としてはやっぱりありえない選択なのだ。

というわけで、7時に東京駅に行き、窓口に並んだ。早朝だというのに、窓口にはお客さんが並ぶ。中には延々窓口で粘っている明らかに旅慣れてない感じの女性二人も。

おじいちゃんみたいな人が、券売機で買えるような単純なチケットを窓口で買っていたり…  いや、いいんですよ、窓口ってそういうためのものだからね。で、20分くらいは待ったかなぁ…

で、私のチケットはというと、iPhoneにあるQRコードを見せたら、窓口のお兄さんはちゃっちゃと新幹線のチケットを発券してくれた。そして私はホテルに行き、10時のロビーコールにしれっと向かったのだった。彼らには何も気づかれずにすんだ…ほっ。

ちなみに前日に打ち上げに来てくれた元プランクトンのスタッフ、K松と、N本に「新幹線のチケット、団体の場合はどうしてる?」と聞くと、団体の場合は彼らもいつも窓口に行っているそうだ。そうなんだ…。私ったら、ほんと現役感がなさすぎる。

(あぁ、しかしK松とか、N本がコンサート終わりにいると、本当に嬉しい。打ち上げの場所は見つけてくれるわ、精算している私を残してバンドを移動させてくれるわ、帰りのタクシーも拾ってくれるわ…本当に助かる。ありがとう)

だいたいアプリからの発券も搭乗日から3日以内しかできない、ということがミソだ。ツアーはその3日前に始まっていることも多いし、ツアーがいったん始まったら、もう好きな時間にJRの駅に行けるとは限らない。

ましてやトラブルがあっても品川や東京駅に行けるわけがないだろう。JRさん、これなんとかしてほしいよ!!

…ということを窓口にいたお兄さんに訴えたら、「そうすると割引もなくなるんですよね〜」と言われた。きーーーーーっっ(笑)

まぁ、でも後で聞いた出来る後輩のA子からは「私たちおばさんは紙のチケットが一番」と同じようなことを言われたので… うん、私も次からはチケットは窓口で買おうと私も思ったのであった。

ま、あとツアーするのも2回くらいだろうし…(あと10年この仕事するなら全員分の交通系IC買って、対応するとかありだろうけど。ここまできたらもう今のシステムのまま逃げ切るしかない)

…ということは、数ある例のひとつにすぎず、とにかく自分のツアー筋が著しく退化しているのをひしひしと感じたのであった。

とはいえ! とはいえ、好きなバンドの来日だ。嬉しくないはずがない。最初はツアーに出るのは嫌だ、家でのんびりしたいと思っていたのだけれど、彼らの顔を見ていたら「もう最後なんだし、最後までちゃんと頑張ろう」とパワーが湧いてきたのも事実。

そうなんだよね、体力は大丈夫なのよ。ただ気力がもうでないの。問題は集中力が、途絶えちゃうことなのよね。でも気力は、本当にやる気の問題。やる気スイッチが入れば、絶対に乗り切れる。この感じは経験していないとわからないだろうなぁ。

それにしてもツアーは大変だ。

だいたい苦労して考えて、ここまで続けてきた「ケルト市」というコンセプトも良かったんだか悪かったんだか。そもそもホールのコンサートというのは、本当に手がかかる。ライブハウスの方が100倍楽なのだ。

「ケルト市」はケルト文化になんとなく興味があるというグレイゾーンを取り込むべくして考えたコンセプトだったのだけど、いつの間にか「買い物だけしたい」「映画はみなくていいから」「コンサートは見る必要ないんです」と、妙な要求で、無料で入場を要求する変なお客さんも多くなった。

公共のホールとの共催というのも、これまた良くないのかもしれない。まぁ、これについても、引退したらいろいろ言いたいことを言おう。今はこのくらいにしておこうと思う。受付のスタッフには、毎回とにかく大きな負担をかけている。これは良くない。

と…いろいろ問題はあるにせよ、今回は基本自分一人で基本ツアーは回せたことで、またちょっと自信を得たのも事実。前述の新幹線みたいなミスはたくさんあったけど、ツアーに支障を与えるような致命的なミスはなかった。ほっ。

そして最後まで頑張ろう。もう最後なんだから、と思うと、なんとか頑張りきれた。不思議だよねぇ…いや、実際最後だと思わないととてもじゃないけどやってられない。それが本音だ。

ラウーの子たちは優しく、いい子で、本当に楽しいツアーでもあった。そして面白いことにツアーっていろいろあっても自分でやると「またやりたいな」と思えるようになることもこれまた事実なのであった。やっぱりツアーはツアー筋という、筋肉なのだ。

特に面白いのが、ファイナンス的な失敗。これってギャンブルみたいなもんで、結果が悪いと逆に未来へのやる気が湧いてくるんだ。不思議だよねぇ。で、「次は頑張ろう」と思ったりする。これっていったいなんなんだろう。

しかし何がいけないって、若い頃の自分は、ツアーはほぼミスなくこなし、集中力も抜群で、宣伝も目一杯頑張って、無名のバンドをなんとか日本のマーケットを紹介することができていた。私でなければ呼べなかったバンドもたくさんあったとも思う。そういう自負はある。

ツアー中で、どんなに眠くても、必ずその日のブログをアップして、翌日のチケットのために最後の最後まで頑張った。あの時のあの信じられないような頑張りはいったいどこからきたんだろうと今、振り返る。

だから、逆にその頑張りがきかなくなった(仕事ができなくなった無能な)自分に、自分自身が耐えられないということもある。昔から私は仕事ができない人や、努力をしない人のことが大嫌いだった。そういう人たちに対していつも腹をたててきた。

そして自分が自分の仕事ぶりに納得できないという、自分自身がそっち側の存在になって初めて、やっぱり自分が許せないのだ。

いや、それが悲しいというのではない。もうやれることは十分やったし、そういう(自分が思うところの)ちゃんとした自分が、やっぱり好きであることは間違いないんだよね(どんだけ自己肯定感が高いんじゃい!?)。

そういう自分の性格は最高だなと思ったりしている。あくまで最高に幸せな自分。だからいいのだ、これで。今の自分の仕事には、納得できない、だから辞める。それだ。

そして、思うに、自分はやっぱりライブハウスみたいな公演が好きなんだなぁ、と改めて。いろいろやってきたけど、今回の公演で、一番好きだった公演は、南青山曼荼羅と磔磔の公演だった。

南青山での彼らは、昔の曲もやるようにという私の司令で、20分昔の曲、そして2部は55分のLive Magic!のセットだった。ちょっと不思議な構成だったし、公演前に3時間くらいリハーサルもしたりして、緊張感もMAXで、ラウーの楽曲たちはラウーを持ってしても難しいんだな、と妙に納得した。そして、その緊張感がめちゃくちゃ良かった。そして磔磔は言うまでもなく。

磔磔、今回も頼みもしないのに、次のFLOOKのこういう告知の紙、柱に貼ってくれてた。ありがとう、磔磔。こういうところなんですよ、こういうところに音楽の神様は微笑む。音楽の神様は頑張るわたしたちを見守ってくれている。


いやー ライブハウスって、やっぱり最高!

思えば30年くらい前、南青山曼荼羅で始めた来日Show Case(と、当時は呼んでいた)、それが南青山曼荼羅で終わっていく…ってことなのかも、と思った。

私が公演終わりに「いやーー ほんと音楽がいいと最高だな。音楽以外の他のことはどうでもいいや」と言ったら曼荼羅のブッキングマネージャーのTさんに「野崎さん、いつもそんなこと言ってますよ」と言われた。はははは(笑) 

まったく! これだからうちは成功しないのかも。…と高笑い。笑いたければ笑え。オレは世界で一番幸せなプロモーターです。

いつもライブハウスさんにも動員が悪くて、たくさん迷惑をかけてきた。でも音楽がいいからってんで、うちがやりたいといった公演にダメです、って言ってくる会場はどこもなかった。それは女の個人事務所においてはすごいことだと思う。

でも本当だ! 音楽がよければ、本当にすべてのことはすべて小さい。LAUはすごかった。本当に音楽に対して真摯に取り組む彼ら。もっとこれからも発展していくのだと思う。

そうそう能登で印象的なことがあった。彼らは到着した学校で、そして神社で演奏をした。神社ではラウーの長年のファンだった能登伊都子さんが、私たちを迎えてくれた。学校も能登さんが通った高校だという。

能登空港から車に乗って、すごい状況の中、建物が、まだ片付いていない様子を見ながら、高校に到着。

昼休みの時間に、何もない階段の下で演奏した。生活が大変な中で勉強に励む生徒さんたちや学校に負担をかけてはならないと特に前告知もせず、当日校内放送だけはしてもらったものの、なかなかシュールな環境ではあった。

高校生たちはおっかなびっくりLAUの演奏を遠巻きに聞いていた。LAUにとっては、決して演奏するのにベストな環境ではなかった。でもそんな中彼らは「Long Set」を真剣に演奏してくれた。あの曲がこの環境で聴けるなんて、ほんとシュールとしか言いようがない。

でも終わったあと一人の高校生の女の子が目をキラキラさせて「どうしたら、そんなに音楽に没頭できるんですか」みたいな質問をバンドにしてきた。(「どうしたら、そんなに楽器が上手くなれるんですか」と聞かなかった、彼女もすごい)

その質問に答えてエイダンが「心の中に夢みたいなスペースを作って、そこに集中して、その場所に行けるようにするんだ」みたいなことを答えた時、なんか私はグッときた。なるほど、これがラウーの音楽の秘密か。

エイダンの答えは、私をいたく感動させた。そうか、これはそういう夢のスペースに行くための音楽なのか。世界には戦争があったり、悲しいことばかりがあって、もやもやすることが本当に多い。でもそこから自分を解き放つ。それがラウーの音楽なのだ。

すごいな。ラウーは本当にすごい。ラウー、本当にありがとう。それにしても、よく出会えたよ、私たち!


お寿司を注文してハッピーな3人! これからもずっと仲良くね。

サウンドチェックした完璧なスペースで、自分の音楽を披露することは難しいことではない。大事なのは環境が悪かった時に、いかに自分のプロフェッショナリズムをキープできるか、ということだ。

ちょっと意地悪だけど、今回の能登は私のそんなバンドに対するテストでもあったと思う。でもプロデューサーとかマネージメントって、バンドにこういうことを経験させるのも、また大事な仕事の一つなんだよね。

私の「能登に行こう」という提案に速攻でOKしてくれたバンドに、本当に感謝。

彼らは自分たちの家に帰って、人に能登ことを話すだろう。クリスなんかは、これから長いソロツアーだし、能登ことをMCで話してくれるかもしれない。もしかしたら新しい歌を作ってくれるかもしれない。

能登での経験は、バンドにも、この先これを続けていくという力を与えてくれたと思う。私も、最後までTHE MUSIC PLANTの事業をきちんとやりきるという力をもらった。

というわけで、次はFLOOKの公演になります。詳細はこちら。すでにチケットは売り出し中。