ルナサ・ストーリー6

今でもアーティストが帰国してしまうと、ひどく落ち込んでしまう私だが、ルナサの初来日の喜びとその後のダメージは本当にひどかった。今でも自分の人生の中で、一番嬉しかった事の1つとして記憶しているルナサの初来日。

アメリカから輸入したセカンドの「アザーワールド」も好調だったルナサ。ある日、香港まで来るから、日本になんとかよれないかという話が出た。香港で公演があるのだが、週末に行われる2つの公演の間、日本まで4、5日ほど間があく。その間に日本で数日公演が作れないかという事だ。うーん、と私は困った。確かにCDは売れているから、その予算をはたいて呼ぶことは可能だけどお客さんが入るのだろうか。当時、まだ私はブーやクライブ以外に日本の公演を作ったことがなかった。バンドが自分で呼べるとは思ってもいなかった。

当然のことながら自分の尊敬するプランクトンの川島社長に相談した。最初川島さんはそれほどのっていなかったように思う。でも私は相当しつこかったし、今やどうやってそうなったのかも記憶があやふやだが、結論が出たのは、忘れもしない朝までつづいた川島邸のホームパーティ(笑)。みんなが寝てしまったり帰宅してしまったりで、なぜか川島さんと二人だけになったとき。私は「もしここでお願いしてもダメだったら、もう自分で呼ぼう」という決意を胸に川島さんに言った。「このバンドのポテンシャルがどのくらいあるのか私にも分らない。でもCDは売れているし、日本に来たらそれなりに盛り上がると思う。将来どうなっていくかは分らないが、間違いなくトレヴァーやショーンは将来アイリッシュミュージック界の重鎮になることは間違いないし,今、私としてもこの世界でやっていくなら彼らとの人間関係は決して無駄にはならないと思うのだ」「でも人の会社に迷惑はかけなられないし、誰がこのプロジェクトをやりたいんだと言われれば,それは私であって…」みたいな事を話した。そしたら、そのとき、すでにあまりにしつこい私に、川島さんはやることに決めていてくれたのか、最後の私の言葉をさえぎるようにして「そしたら、やってみましょうか」と言ってくれたのだった。あの夜明けの飲み会は、今でも、あの空気をはっきりと覚えている。たぶん朝の5時ごろだったと思う。もう外が明るかった。

いろいろ詳細を決めて、プランクトンさんは公演を作り、私がその他の飛行機やホテルの手配など基本的な事は仕込むことになった。当時まだE-ticketなんてなかったから、確か香港の彼らのプロモーターに航空券を送ったりした。(まだあの赤い文字のクーポン航空券だった!)それから今でも覚えていることの一つに地上手配のバスがある。空港から宿泊場所へのマイクロバス。これが結構高い。MUSICMANという業界ハンドブックからいくつか業者を選びだし見積もりを取った。そしたらいくつかいるトランポ会社の中で唯一、わざわざ社長が出向いて挨拶に来てくれたのが、今でもおつきあいのあるサンプラントさんなんだよねー。業界大手で大きな日本のアーティストのツアーをたくさんやっている会社だが、ウチみたいに年間さほどオーダーもしないような相手にもきちんと対応してくださる。先日もノルディックトゥリーのハーモニウム運搬でとてもお世話になったばかりだ。

そして宿泊は、今だからバラしてしまうが、なんとトレヴァーの妹さん(IT系のキャリアウーマンで東京に広い広いアパートを借りて住んでいる)が宿泊場所を提供してくれた。折しも2,000年問題で貸し布団が流行っていた後だったので(笑)、彼女は貸し布団屋さんから布団を何組も借りてきてくれた。広い家だから、まぁ6名が泊まることには問題がなかったのだが、今の私だったらバスを成田エクスプレスにしてでも宿泊を安ホテル手配するだろう。でも当時はそういうノウハウもあまりなかったし、何よりトレヴァーのベースの大きさなど楽器の量が恐怖だったのだ。妹さんの家に成田に帰る日の早朝、サンプラントさんのバスで彼らを迎えに行くと、こんな状況下の中でもしっかりジョギングしていたケヴィンが、腰に真っ白なタオルだけで出てきたのを覚えている。

それにしても今やれば、目をつぶってでも出来そうな簡単なツアーだったのに、当時の事前の準備たるや、今では考えられないくらい大変な1事業だった。何ケ月も前からいろいろ考え、想定し、何度も何度も日程表をつくりなおした。もちろんトレヴァーの妹さんは私が心配しないように、事前に自分のアパートを見せてくれたし、みんなが来たら、こんなレストランに行くのがいいと思うのと言って、二人で下見したりした。本当にありがたかった。そして名古屋! 名古屋の今井さんにもルナサは頭があがらない。日本で一番最初のルナサのコンサートは、あの名古屋のTOKUZOさんでのライブだった。今井さんが呼んでくれなければ、不可能だった名古屋公演!

そうそうケヴィンといえば、当時は新婚ホヤホヤで、新しいバンドにこうやって参加していくことに奥さんの抵抗はなかったのかなと思うが、何かのインタビューでケヴィンは答えていたね。自分は実は迷ったのだけど、トレイシーが行かせてくれたんだ、と。せっかくだから行きなさい、自分の実力を試してみなさい、って励ましてくれたんだって。だからケヴィンの奥さんには、ケヴィンだけじゃなく、ルナサのメンバー、私も全員頭があがらない。本当に偉いと思う。そんな風にバンドは、みんながそれぞれの生活を犠牲にしながら必死で運営しているものなのだ。(トレイシーは今バンドのアシスタントみたいなことをやっていて、ホームページの運営などにも関わってくれている)

一方、バンドとのこの頃のコミュニケーションはあまり詳細に覚えていない。でも香港の担当者がすごく良くって、詳細な情報をこちらに渡してくれたから出来たツアーだったと言える。それが、非常に非常に助かった。来日のビザの取得のためにパスポートのコピーを送ってもらうとか、そのテの事務作業が必要だったのだが、それをバンドに任せる事に非常に不安を覚え、わざわざバンドのロンドン公演にあわせてロンドン出張した。もちろん自腹で(笑)。CDが売れていたから予算があったんだよね。そして、そのときにルナサのマネジメントをベッキーから引き継いだ現在のマネジメント、SGOのロンドン事務所(当時)でパスポートのコピーを取ったり、メンバーにビザの申請書類を書かせた事を記憶している。ビザ申請の書類を書きながら、ケヴィンはショーンの書類をのぞきこみ「どれどれ最初の答えはショーンだな」とかいいながら、爆笑させてくれる。当時はドナもいて、ドナの声も大きかったから、ほんとにうるさくて(笑)元気で中学生の男の子の集団みたいなバンドだな、と思った。

と、書きながら思い出した、ことが1つ。私はこの日ルナサと同じホテル(というかゲストハウスみたいなところ)に泊まっていたんだよねー。スチュワートの秘書のサンディが押さえてくれたホテル。翌朝、トレヴァーが「車の中にノート忘れてたよ」と部屋に届けてくれたのを記憶している。あと何故かドナと階段のところに座って朝ご飯をぱくぱく食べたことも。あれはいったいなんだったんだろう。でもホントに一つ一つが良い思い出だ。

はっきり覚えていないのだが、スチュワートのオフィスでそんなビザの作業をしながらも、まだスチュワートが正式なマネージャーというわけではなかったようにも記憶している。スチュワートは、じゃあ日本のことね、と議題がうつった時、直接話してね、と言って、ミーティングの席をはずしてしまった(みたいな事をよく覚えてるなー私!)。しかもこの日のコンサートにも仕事が忙しいから、と会場に来なかったのを覚えている。これは想像なのだが、おそらくバンドはベッキーの素人くさいながらも熱心なマネジメントよりも、ドライだったとしてもプロフェッショナルなマネジメントを欲していたのじゃないかと。スチュワートはクリフ・リチャードの楽曲出版を管理する会社の社長で、特にバンドが好きでこれを始めましたというわけではなかったと想像する。私はそういうのについては非常に敏感な性格だったから「ベッキーだったら絶対に来るのに」とちょっとムッとしていた。でも音楽出版系のマネジメントだったら、今後、映画の音楽とかタイアップがオファーされるかもしれない、という読みもあったのかも。インストバンドにとって、これは大事な事だしね。(ちなみに誤解のないように言っておくと、スチュワートもバンドのことがどんどん好きになっていったんだと思う。今ではスチュワートなしのルナサは本当に想像できない!)

そういや川島さんと関係者数名で、ルナサの演奏をイングランドのフェスティバルに観に行ったことがあったなぁ。あれはいつの出張だったか? 初来日より前だったと思うが、もうそのヘンの記憶はあやふやである。たしか前日のロンドンFladhでルナサが演奏すると聞いて駆けつけたら,言われた時間にバンドの演奏はとっくに終わっていた。仕方なく翌日の郊外のフェスに行ったのだった。そこではブーやエディやクライヴも出演している。ブーは娘のホリーを伴ってやってきていたのを覚えている。(と、つまんない事を覚えてるなー/笑)(もう1つ覚えているくだらないこと。バンドのお土産に何をもっていってよいかわかなかった私は日本酒の小瓶を全員に1本ずつ持っていったことを記憶している。今だったら絶対にありえないのだけど!)

成田に夜の便で到着したルナサ。今でもすごくよく覚えている。懐かしいなぁ。成田の出迎えにはトレヴァーの妹さんも来てくれたのだった。

ルナサの日本で最初の公演は名古屋だった。それからプランクトンさんが作ってくれたCAYの公演。これは嬉しい事にソールドアウトになった。そして今は亡きHMV渋谷でのインストアという3つの演奏が、ルナサの初来日となった。



ケルティック・クリスマス、今年はルナサ、ラウー、ヴァルラウンの3組です。詳細はこちら