ドニゴールは心の故郷

山口洋のドニゴールのお母さんを追悼して、ドニゴールのリッチな音楽をいくつか紹介します。

まずはこれ。奇跡の「ホームズ・オブ・ドニゴール」ポール・ブレイディと山口洋



ドニゴールといえば…やっぱり現役バンドではアルタン!



クラナドの初期の2枚は奇跡でした。特にミホールとドーナルプロデュースのこれは素晴らしいです。プログレだと思う。



当然ボシーバンド!



ミホール♥



マレートとトリオナの姉妹。ドーナルのプロデュースで最高のトラックです。



この曲。一発で泣ける。ドニゴールの人魚。



こちらは埋め込み禁止なんだけど… ピュアで美しい音楽。若い二人。


ドニゴールについてパディ・グラッキンとドーナル・ラニーの発言から…


パディ「テレビのドキュメンタリーでドニゴールについて<そこだけは違う>というタイトルの旅行者向け番組があるんだ。歴史的に、ドニゴールはラストフロンティア(最後の未開拓地)みたいなところがあった。アイルランド語がそこでまだ話されているなんて、例えば25〜30年前まではまったく認知されてなかった。音楽も似たようなもんで、メインストリートからまったく外れていた。70年代の後半になって、そこがものすごい地域だということが発見されたんだ」


ドーナル「実際ものすごい僻地だったってのはあるよね。いつも夏の休暇で母の実家に行くとなると、夏のドライブは10時間から時々16時間もかかった。道が整備されてなくて悪いから、距離がなくても時間がかかるんだよね」
そのドーナルとパディの二人。アルバム作るとか作らないとか言ってたけど、どうなんでしょう(笑) この二人ドニゴール出身でも何でもないのに、なぜかドニゴール文化を継承してるんだよね。パディはジョン・ドハティの一番弟子だし。ドーナルもボシーバンドから何からアイルランド音楽のすべてを支えてきた。そして山口洋の中にもドニゴールの風がふいているんだよ。すごいね。



パディ「あと当時は北アイルランド問題もあったから、北の方というとものすごい気持ち的にも遠いところというイメージがあったね。実際ドーナルが話してるこの距離ってたったダブリンから170マイルくらいの場所なんだよね。178kmのコークより近いんだよ。でも気持ち的にものすごく遠かった。500マイルくらいに感じてた。ドニゴールに行くには北アイルランドを通過していかなくてはいけない、ってのもあった。そこを通りたくない、という心理的なものもあった

ドーナル「けっきょくのところ、もっとも守られたエリアだった、ってことさ。なぜならあまりにも遠かったから。道が悪くて、電気もないし、トイレも外に行くしかなかった。ひいじいちゃん宅のトイレはひどかったなー。だから言葉も残ったし、母は1314くらいで英語をやっとならいはじめた。だから伝統が生き残ったんだよ」