映画「パガニーニ 愛と狂気のヴァイオリニスト」を観ました

試写で拝見しました。7月公開予定の「パガニーニ 愛と狂気のヴァイオリニスト

パガニーニ…といえば、私はこの曲が好き。パガニーニの「鐘」がもとになって出来たリストの「ラ・カンパネラ」 この演奏素晴らしいね〜。辻井さん。



主演はデイヴィッド・ギャレットというヴァイオリニスト。クラシックのこのテのクロスオーヴァー物って、私は自分では良いのか悪いのか聞いてもよく分からない。ケルト音楽の「おケルト」は曲名を観ただけで大抵簡単に匂いを嗅ぎ分けられるのだが(笑)。クラシックという音楽ジャンルこそ、ユルいものは許しちゃいけないと思われるのに、クロスオーヴァー系が多すぎるよね。でもこの現代、普通にしてりゃ、いろんな音楽は自分の中に入ってくるわけで、COLD PLAYの音楽をヴァイオリンで弾いてみようとか思ったりするのであろう。それ=悪者と決めつけるのも良くない。

その主演の彼がもうすぐ来日もする、ということ。かつ、映画のクレジットを観たら,彼は制作陣…というか出資もしてるよね…こりゃ…。…という作品なので、そういう意味では,相当斜めにかまえて見に行った。でもよく考えたら,宣伝仕込むんだったら、絶対に映画の後に来日公演を仕込んだ方が良いわけで、映画宣伝担当してる友達が「いいや、偶然なんだって!」というのに「なるほど」と思った。

で、この映画です。パガニーニ。どこまで事実なのか分からないが、ロックスターみたいな出で立ち。映画は彼がオペラの幕間の休憩中にヴァイオリン演奏をするところから始まる。パガニーニの凄さが分からないバカな観客はペラペラとおしゃべり。演奏をまったく聞かないし、汚いヤジを飛ばすなど酷い状態。そこに現れた謎の敏腕マネージャー、ウルバーニが、俺がお前をスターにしてやろう、とパガニーニ持ちかける。これじゃあお前の音楽は誰にも伝わらない、観客には物語が必要なんだよ、と。

…と、まぁ、こういう… 今のミュージックビジネスとまったく変わらないよね。残念ながら音楽だけでピンと来てくれるのは、例えばウチの、それこそ今やってるkanみたいな「音楽が良いこと以外、ネタ、なんにもありません」的公演に来てくれるお客さんくらいなもんよ。東京だって500人以上の単位の客を喜ばせようと思ったら,いくら良い音楽でも、ちゃんとした物語が必要なのよ。もうそこからうなずきまくり。ま、それはさておき…(笑)

で、ウルバーニが演出したパガニーニはメキメキと人気を集めていく。長髪にサングラス、ロングコート、薬にお酒に女。もともと彼にそちらのほうの才能があったのだろうが、それが、ますます退廃的に、崩れたロックスターみたいな生活がどんどん加速していく。それにしてもウルバーニ役の俳優さんがいい。ホントにパガニーニはここで悪魔に魂を売ってしまったんじゃないか、と思わせるからだ。

でもこの時代のコンサート、本当にお客さん、楽しそうだねー パガニーニのちょっとしたフレーズに女たちは悲鳴をあげたり、手を振って騒いだり、果ては失神したり…。ものすごく楽しそうでロックコンサートみたいである。実際はどうだったんだろう。

デヴィット・ギャレットの演奏シーンも、観どころだ。いや〜,持ってくねぇ! 特にロンドンでの王様の前で演奏したGod Save The Kingの素晴らしいアレンジは圧巻でした。

そんなパガニーニは、ロンドンの興行師&指揮者のワトソンの娘、シャーロットと音楽を通じて心を通わせることになる。このシャーロット役の女優さんが、ホントに綺麗で若くて、雰囲気が出てるのよ。ワトソン役の俳優さんも、これまたいい味を出してた。伝説のパガニーニを呼ぶため私財をうって、何度もトライするところとか、なんかホント気持ち分かる!って感じだった。まぁ、映画では彼はピュアに頑張ってる様子だったけど、実際のところは相当タヌキだったに違いない、とも思うが。

そうそう、それから、うんと歳したの興行師の娘とアーティストが心を通わせちゃうところなんぞは、まるで実際の「Once」のグレンとマルケタみたいだ…とも思った。かつ、あの二人もそうだけど、男の方は妙にピュアな気持ちになっているが、実は女の方は確信犯であるに違いない、ともおばさんは勘ぐりたくなるのだよ。アーティストってのは、寂しい存在なのだ。

したたか…という点ではジャーナリストの女もまったくもって抜け目がない。そしてそういう女にはマネージャーがしっかりとパガニーニと近づくチャンスも与えてやる。うーん、タヌキとメスタヌキ(笑) 音楽ビジネスを取り巻く連中は、皆、タヌキだよ、こりゃ、こりゃ(笑)

ま、でも映画において、シャーロットは、退廃的な連中の中で唯一ピュアな天使みたいに描かれている。素敵な女性として凛とした姿が美しい、そんな空気感が抜群。姿勢がいいのかな、彼女。なんかスッとしている。映画における歌も、実際の彼女が歌っているそうで、この曲はまったく知らない曲だったけど、なんだかずっと耳に残って、試写室を出たあとも、しばらくこのメロディが頭から離れなかった。

いただいた資料にデイヴィド・ギャレットのインタビューが載っていたが、それによると彼はホントにいろいろ勉強したらしく、面白い内容のインタビューになっていた。19世紀には推理小説や怪奇小説が流行っていたから「悪魔的」なものが流行っていた。例えばパガニーニは公演場所を夜中にすごい勢いで馬車を飛ばして、空中移動するみたいにしてツアーをしたそうで、人々に魔法使いのような印象を与えたらしいし、まさにメディアをしっかりとコントロールし、実際の本人はそういう部分を楽しんでいた部分もあるらしい。そうそう、パガニーニはコンサートを興行と捉え、いわゆるツアーを実行した初めてのアーティストでもあるらしい。すごいね。

でもミュージシャンもすごいね。こんな風に映画を企画しちゃうわけだから。そしていろいろ勉強して企画練るの、きっと楽しいだろうなぁ! ちょっと羨ましく思う。こうやっていろいろ勉強するプロセスがまたいいんだよね。

あと例えばあまりのすごい演奏にヴァイオリンの弦が切れて、ついに1本しか残らなくなってもG線だけで曲を弾ききった…とか、そういう逸話には事欠かないパガニーニなのだが、でも実際は…都合よく高い弦から切れてくことや、あまりに頻繁にそんな事が起こったため、本当は演出ではなかったのか、という説もあり。

映画でも派手な花火の演出や、当時のシンプルながらも悪魔的演出が観ることが出来る。ホントまったくもって良く出来てる(笑)

そんな感じで、映画はちょっとしたサスペンスみたいなストーリー展開もあり、いずれにしてもあっという間に終わってしまった2時間でした。

しかしこの映画をみて、また考えた。やはり音楽は演奏家、そして時には聞く人にまで「自由」を与えてくれる、ということを。私生活はグチャグチャなパガニーニだったが、楽器を持ち演奏すると、そこには完璧な自由が存在しているわけだ。そして、それは…ここに何度か書いていることなんだけど、神になることなのだ。

でも、悲しい事に、神は自分以外の者が神になることを許さない。だっから、実はこの手に入れられたと思った「自由」はおそらく、神ではなく悪魔から与えられる物なのだ。やはり人間は、究極的には「自由」になってはいけない存在なのだ。だから「自由」をステージで手にいれたロックスターは、人間としての不自由な部分を上手くハンドルできず、人間としてはどんどん崩壊していく…

「日出処の天子」の厩戸皇子(うまやどのおうじ)じゃないけど、人間は完全なものになってはいけないのだ。不完全であるべきなのだ。そういう風に出来ているのかもしれない。パガニーニを売り出すウルバーニが、悪魔的に描かれているから、余計そう思ったり。



ところで私が気になったのは、このヴァイオリンのケースです。当時はこういう風に取っ手が付いていたのかな。確かにこの方が中に入っているヴァイオリンは安全だよね。