高野秀行×角幡唯介「地図のない場所で眠りたい」を読みました。おもしろい!

「この本、すごく面白いよ」と友人が薦めてくれたので、薦められたその日にポチった。角幡唯介さんマイブームは続く…。

で、台湾から戻って来たらウチに届いていたので、今、途中まで読んでいる本をほおりなげて、こっちを先に手にとり一気に読み終えてしまった。角幡さんと同じく早稲田の探検部出身の辺境ライター、高野秀行さんとの対談本。

その紹介してくれた友人が言ってた「角幡唯介はかっこいい」というのも、この本を読んだら、なんとなく分かるような気がしてきた。っていうか、探検家がかっこいいと思えるのは、男の人だけだと思う。(その友人は男性である)探検家というのは、なんというか、普通の人が理解できる範疇を越えている場所で生きている人たちで、なんでそんなところに行くのか、なんでそんな事をするのか、まったく私には(いまだに)理解できない。だから角幡さんが「かっこいい」とか、そんな風に思ったことはなかったのだが(失礼)、確かにこの本を読むとえらくかっこいいようにも思える。

というのも、その友人も指摘していたこと:高野さんが、角幡さんの存在を、すごく出来る後輩としてとても意識しているように感じられるからだ。なるほど、そうね、男の人ならそんな風に思うのかもしれないなー。私もかなり男っぽい性格だと思うけど…例えばこういうのは、とんと理解できないし、 いつだったかカメラマンの畔柳ユキさんが、自宅のプリンターのスイッチを机の裏面に装備していて、「机の下に手をいれてパチンパチンって言ってスイッチを入れるの。かっこいいでしょ!」とか言ってたのを聞いて、ユキさんは違うなぁ!と感心したもんだが…(爆)(あとユキさんは、匍匐前進、援護射撃といった表現を日常的によく使う。戦場かっっ?w)

話がそれた。でもって角幡さんの方も自身の書評エッセイ「探検家の日々本本」で、高野さんの「西南シルクロード」を絶賛し「読んだ直後に私が思ったのは、これは新聞記者なんかやっている場合ではないということだった」「この本を越えたいと思って探検をしている節が、私には今もなくはないのだ」と高野さんへの尊敬の気持ちを表している。

いいねぇ〜、こういう人間関係。まぁ、二人の場合は10歳くらい、歳が離れているというのもあると思うのだけど、こんな同業者同士の絶妙な距離感の人間関係は私みたいな仕事してる者でも存在してて、なんというか同業者って狭い業界内で結構みんな仲良しだし、似たような苦労をしているし、そんな上で、やっぱりお互いのやり方は全然違うと理解してるってのが、すごくいい。つまりは相手のやり方をすごく尊敬しているのだ。自分は自分、あいつはあいつ。そしてそれを理解していないまったくの外部から何か言われると、私も優等生ではないので、時々「あそこと一緒にはされたくないわ」と密かに思ったりもするのだが、それでも尊敬というか、いや、尊敬までいかないとしても、他の人のやり方をすごく尊重しているし、余計な批判とか絶対にしない。そもそも実際、私の周りも私が出来ない事を実現させている人ばかりだし、私より業界長い人が多いから(つまりこの業界新人が出て来てないって事かな…それも問題だな)うん、みんな個性があって、すごく良い世界だと思う。ワールドミュージックの世界は。

またまた話がそれた。が、そんな感じは探検家業界(そんなのあるのか?)にも存在するんだろう。実は私は高野さんの本は、まだ一冊も読んでない。でもこの対談読んでたら、すでに読んだ気持ちになってきちゃった。っていうか、早く読もう!と思った。友人はどちらかというと高野さんの方のファンで、そこからこの本を買い、角幡さんブームがじわじわ始っているようであった。

しかしこの本を読んでいて我に返ったというか、そうだよな、と思ったのは、私はたまたまグリーンランドのことを調べていて、角幡さんの本に出会ったのだけど(で、最初の本に出会った時はこんなにたくさん賞を取っている有名な人だとは知らなかった)、普通は逆だよね。そもそもグリーンランドは誰も興味を持たない辺境だから。でも文章が面白ければ、この分かりにくい探検に興味を持ってもらえる、と。角幡さんかな、高野さんの方かな? お二人のどちらかがこの対談の中で指摘していたのに、なるほど、となんか勇気をもらった。っていうか、これ音楽の世界でも重要だよ。分かりにくい音楽を紹介する時こそ、文章がとてつもなく上手く、読ませるものであれば、読んでもらえる。っていうか、そうじゃなくちゃいけないと思う。うん。

でもって高野さんの指摘を読むまで気付かなかったけど、確かに角幡さんって辺境の地に行っていながら、そこに住む地元の人との交流とかそういうネタはあまりない。(例えば植村さんの「極北に駆ける」なんか、ホントにイヌイットたちとの交流がスイートでめっちゃ泣けるんだが)そして1人でいることで高野さんの指摘にあるように内面をどんどん掘り下げていく。それがめっちゃ面白い、と。

しかし対談の中で、初めて聞く二人の文章を書き進めるやり方とか、毎日どのくらい書いているとか、作家になるまでの経緯とか、これだけ角幡さんのエッセイとかもも読んでいるのに知らないこと満載だった。特に高野さんの地元のドトールには笑った! ドトールがなくなったら、いったい高野さん、どこで書くんだろう?!

そしてこの本でも指摘しているとおり、専門の研究家や学者、そして結果が分かりやすい登山家などと違って、探検家にすぐれた表現者が多いのは、つまりそっち側のまっとうな世界に対して、自分が好きで距離を取っているのにもかかわらず、探検家たちは妙なコンプレックスを持ち合わせているからだ、と。そして自分の活動は理解されにくいと自覚しているからじゃないか、と。まさに音楽家と一緒。そして…角幡さんの、仕事としての原稿を書きつつ、探検の方にはピュアなものとして誰にもさわらせない感じなのがいい。そう、探検は表現活動なのだ! これまた音楽と一緒!(笑)いい! めっちゃいい!

最後の後書きは、二人がそれぞれに書いているんだけど、これも友情(?)溢れる感じで、とにかく良い。高野さんの、角幡さんを散々褒めたあとの「こいつバカなんじゃないか」発言には布団の中で読んでいて1人で爆笑しちゃった。その感覚、めっちゃ分かる!! 確かに探検家ってバカだと思う(褒めてるんですよ)。先日のサバイバル登山家の服部さんも、北極男さんも、植村直己さんも…ちょっと常人には理解できないところがある。

以下、高野さんの後書きより。

「今後も私たちは交わりそうで交わらない道を歩んでいくのだろう。ちょっとした情報交換以外は特に協力もしないだろうし(書評くらいは書いてやってもいい)、一緒に本を作るのもこれが最初で最後だろう。

ただもし角幡が北極やニューギニアで遭難したり救助を求める状況に陥ったら、私が行く可能性が高い。私がどこかで深刻なトラブルに遭い、誰かが日本から行かねばならないという状況になったときも、第一候補は角幡だろう。

それで十分だと思っている」

うーん、かっこいいよ、高野さん! 散々笑わせたあとにしっかり締める。さすがだなぁ…。ちょっと絲山秋子さんの「沖で待つ」の友情にも通じるよね。こういう友情を育めるって素敵だと思う。お互いべったりと一緒にいたり、面倒みあったり、しょっちゅう飲んだりとか、そういうことだけが本当の友情ではない。

それにしても凡人の私にはとても「理解できない」高野さんと角幡さんだが、同じ早稲田の探検部出身ということで、雑誌やら何やらで対談を企画されることが多いんだって。でも実際のところはそれぞれ相当違うことをやっているんだから、この本で対談をやってこういう企画はもう打ち止めにしよう、という主旨の対談本だったらしい。

最後に今まで角幡さんとか読んだことのない人に。角幡さんの本は「アグルーカ」が、めっちゃパワフルだから読んでみて。最近、毎日新聞の賞を取った「探検家の日々本本」も簡単に読めるし楽しいから、角幡ワールドの導入としてはいいかも。

一方で、私は高野さんの本はどれから読んだらいいかな。やっぱり「ムベンベ」からかなぁ。とりあえずkindleでポチッたので、来週からのツアーに持っていこう!

それにしても高野さん、子供のころ川口浩探検隊を本当に心から信じていた、ってんだから、やっぱり爆笑もんである。でも探検家はある程度、馬鹿な思い込みが出来るようでなければ、続けられない。探検家は私の理解の範疇を越えている。本当に魅力的な人たちである。ミュージシャンと一緒だ。かっこいい…と言えるかどうかは別として。