同時開催:探検家本フェア(のざき選) 野崎作の熱血手書きポップに注目! |
今年も毎度恒例のICU-HIGHの講座へ出かけてきました。今まで音楽業界で働く女性や、好きなことを仕事にしている方たちをお迎えし、学校がこういう場を提供してくれることをいいことに、私も生徒さんと一緒になっていろんな方の貴重なお話しを伺ってきましたが、5回目の今日はなんと探検家の角幡唯介さん。角幡さんについては知らない人はいないだろうけど、私が今、夢中になっているノンフィクションライター/探検家さんです。
いや〜 嬉しかったなぁ。角幡さんが来てくれるなんて、なんて贅沢な学校なんだろう。本当に生徒さんたちが羨ましい。テーマは「自分の“好き”を仕事にする〜探検家になる」
以下、そのレポートですが、私が録音もせずに走り書きでメモった事なので、聞き違いや誤解があるかもしれません。その場合、すべての責任は、私にあります、すみません。
前半、今、角幡さんが手がけているグリーンランドのプロジェクトのお話。後半は、探検家としていかに食べて行くかという内容のお話になっています。後半が特にいいので、是非、すでに充分大人になった方も読んでくださいね〜
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まずは現在の探検のテーマになっている「極夜」「グリーンランド」のお話から。ナショナルジオグラフィックのブログに執筆されたりもしているので、ぜひそちらも合わせてお読みください。
今,角幡さんはグリーンランドの北西の果てシオラパルクという村を拠点に太陽が登らない「極夜」の間、1400kmとか大変な距離を犬と一緒に歩行で踏破する、という探検に取り組んでいます。なぜならもうこの地球上において地理的な秘境はほとんどないから。ずっと夜…という未知の世界を体験したい、ということがテーマになっているのだそうです。
スライドをたくさん見せていただきました |
北極ではそんな風に食料や燃料が命綱なわけですが、時々北極うさぎとか殺して食べちゃうんだそうです。警戒心の薄い北極ウサギはかなり近くまで近づけるそうで、かつ10分くらいで解体できちゃうらしく(ここで解体の写真が生徒さんに受けてました!)、頭とか内蔵とかは犬にあげちゃう(犬は何でも食べちゃうんだそうです)。肉の美味しいところは、角幡さんが自分で食べる。
野崎撮影/グリーンランドの犬ぞり(でも観光客向け) |
ここでデポを置くイヌイット小屋の写真なども見せてもらいました。そしてアッパリアス猟の話題になります。アッパリアスは日本語だとヒメウミすずめって言うらしい。(アッパリアスについては角幡さんのブログに詳しいです)これも写真が圧巻。何百羽という大群を捕らえるため、崖に座り網を手にして角幡さんも猟に挑戦。
イヌイットの人は、アザラシ、クジラなども生で食べる。今は、例えば家とかはだいぶ洗練されて綺麗なところに住んでいるイヌイットも多いのだけど、食べているものはダンボールの上においた生のアザラシだったりするそうです。みんなでそれを囲んで自分のナイフでむしゃむしゃ食べる、というスタイル。イッカク鯨の写真もインパクトあり。ちなみにクジラは脂の部分が美味しいんだって。うーん、食べてみたい!
ここで植村直己さんと同世代の日本人の方で、探検で訪れたグリーンランドに住み着いてしまい、そこで結婚し、現地で大島一族を形成している大ベテラン漁師、大島育雄さんの紹介がありました。日大の山岳部の出身。多くのイヌイットが今では大島さんに猟を習っているんだそう。おそらく大島さんは今後イヌイットの狩猟文化が衰退していくグリーンランドにおいて、最後のイヌイットの1人となるのではないか、と角幡さん。
あ、そうそう、ここで見せてもらったアッパリアス猟をする角幡さんの映像がなんか笑えました。角幡さんも最初は5羽とかしか取れなかった。でもベテランの大島さんはアッパリアスも一度に500匹とか捕っちゃうんだって。しかも最大では900匹捕ったらしい。アッパリアスは捕ったら心臓をつぶして一気に殺し、日の当たらない日陰に投げておくんだけど、そのプロセスだけでもなれないとすごく時間がかかる。イヌイットの人たちは捕ったアッパリアスをアザラシのお腹につっこんでキビア(強烈な匂いがするらしい発酵食品)を作るわけですが、角幡さんはいらないところは犬にあげて、すべて干し肉にしたそうです。全部で600羽くらい収穫したそう。
その後、日本から来た28歳くらいのシーカヤックの山口さんという方を同行し、今度はカヤックで別の場所へデポを届けに出発します。ところがデポに出かけようとするとイヌイットたちが口をそろえて「危ないから気をつけた方がいい」「セイウチに殺されるぞ」と言ってくる。実際、400kmくらい離れた村では、イヌイットが殺されたりしたのだそうです。どうやらセイウチは人間を海に引きずりこみ、あとは広がる血の海…ということだったらしい。恐い! 実際セイウチはアザラシとかを見つけると抱きついて海に引きずりこみ、脂を吸い取ってしまうらしい。そんなセイウチが大量に出没する季節だったので、角幡さんと山口さんはビクビクしながら海へ出たものの、2、3日は何もおこらなかった。
ところが、これがなんの前ぶれもなく、突然、ホントにいきなり襲われたんだそうです。波をたてながら、セイウチは竜みたいに身体をうならせ、襲ってきた。それはまるで予兆もなく、本当に突然だったそうで、山口さんと角幡さんはもう必死でパドルをこいで、なんとか逃げた。角幡さんによると、おそらく人間でいうところのティーンエイジャーのセイウチだったのだろう、きっとすぐキレるタイプの若い奴だったのだろう、とのこと。
他にも塩の満ち引きを読み間違えて夜中カヤックが流されてしまい、あわてて飛び起きてドライスーツを着て北極の海に飛び込んだら,社会の窓があけっぱなしでそこから水が入ってきて死ぬ思いをしたとか…(このヘンは今売っているオール読み物に詳しいです)。イヌイットの中でも海におちて心臓麻痺で死ぬとかよくあるので、ホントに恐かったそうです。「低体温症になりかけた。本当にやばかった…セイウチよりもやばかったかも」と角幡さん。
なお夏の北極は太陽が沈まず、ずっと明るいので時間の観念がなくなるのだそうです。夜中に活動することもアリで、1日が24時間だという意味がなくなる。7月の下旬にもなるとセイウチはみんなカナダに行っちゃうし、でもすごく寒かった、と。海が氷はじめて、1cmくらいの薄い氷が海一面に広がって、パドルで氷を割りながら進んでいくこともしばしば…。
そして去年の冬にいよいよこれらのデポを利用して極夜探検に出る予定だったのですが、ビザの問題で帰国を余儀なくされた、ということなのだそうです。探検は翌年…というか、今年の冬に延期に。(この辺の下りもナショジオのブログに載っています)
そしてこれには後日談があって、東京に戻ってきて執筆活動にいそしんでいたら、大島育雄さんから突然国際電話があり「角幡くんのデポ,白クマに食われちゃったよ」と報告が! あんなに死ぬ思いで頑張ったのに、なんで!!! でも2014年に出会ったイギリスの大規模遠征隊が残して行った手つかずのデポを使わせてもらうことになったそうで、なんとかそれでチャレンジする予定にしているのだそうです。あぁ、ホントに大丈夫なのかなぁ…
…と、ここまでが角幡さんが今どういう冒険をやっているか、というお話。次は果たして探検家として食べていくにはどうしたら良いかというお話になります。
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角幡さんの場合、旅をして最終的にはそれを本にする。自分の表現活動として世の中に提示することで仕事になっています、とのこと。よく「印税生活」って聞いたことあるでしょ?と角幡さん。
でも印税だけではとても食べていけない。そもそもノンフィクションは売れないし、いわゆる人気作家の小説のように何十万部とかは売れるのは、ほんの一部。作家を名乗る人の99%は売れていない。本屋に行くと新刊並んでるでしょ? でもそんなに売れているわけではないし、あの作家の人たちもそれだけではとても食べていけないんですよ、と。
ノンフィクションの場合、売れっ子だったとしても、せいぜい初版1万部。エッセイになるともっと少なくて3,000部から4,000部。計算すると1冊1,700円として、著者印税は10%だから…収入わかりますよね…? だいたい1冊だしても170万。一方で探検には何百万とお金がかかる。増刷されたとしても、たいした収入にならない。
角幡さんの場合、本にする前に連載ものを文芸誌に書いたりして、通常文芸誌は小説が多いのだけど、自分はノンフィクッションを書いて、そこに掲載してもらっている。それがだいたい1枚につき原稿料4.000円から5,000円。
あとは前に書いた書籍の文庫本化ということもあるのだそうです。そういうのをいくつか持っていて、それでなんとか食べていけている。
ちなみにこのあとは8月に沖縄のマグロ漁師の漂流話を本にするのだけど、これも4年くらい調査をしている。そのくらい時間がかかる。他には書評書いたり、雑誌に書くような単発の仕事もある。
結局のところお金をたくさん稼ぎたい、といことはなくて、自分が経験したことを世の中に掲示する、というのが楽しいので、今はこの仕事をしている。自分の考えていること、思考、そして北極という厳しい環境で生きる事を体験し、それを文章として表現する。それによって自分の実態を世の中に提示できる。居場所を示すことが出来ると考えている、と角幡さん。
角幡さんは1976年生まれの40歳。北海道の芦別に生まれてお家はスーパーをやっていた。お父様が経営者で角幡さんは長男だったので、スーパーを継ぐということを周りの誰もが期待していた。それが子供の頃はいやでいやでしょうがなかった。決まったレールがとにかく嫌だった。人と違うことをしてみたい、という気持ちが強い…というのは子供の頃の環境の影響かも。自分だけのオリジナルな人生。他の人が経験できない人生を追求したかった…ということだそうです。
まずは北海道を離れて早稲田大学へ入学。20年前の早稲田はとにかくフリーダム!?で、良い意味ですごくいい加減だった。就職するなんて人生の敗北者だと思っていた。自分で1人で生きて行くくらいに考えていた。探検部は特にそういう人間が多かった。特に10年上の高野秀行さんなど、OBでも適当に生きている(高野さん,失礼!)人が多かった。だから、自分もなんとかなるのではないか…と。留年なんて当たり前。探検部は特に出来損ないの吹きだまりのようになっていたそうで、とにかく就職する、社会の前に迎合するなんて格好わるいと角幡さんはずっと思っていたそうです。
みんな就職していく中で、角幡さんは道路工事(1日12,000円の日給だったそうです)のバイトで稼ぎながら2ケ月とか海外に行ったりしていたそうです。でもついに27歳の時に朝日新聞に入社。面白い経歴の奴がいるということで、朝日では割と面白がられて、記者として5年間勤めたそうです。まずは新聞社によくあるパターンで、地方にまわされ、富山支局、そして埼玉支局へ。サラリーマンにしては比較的面白い生活を送っていた。ただ新聞の仕事というのは、限界があった。自分の意見が書けない。情報を決まった字数に入れないといけない。自分はもっと海外で探検がしたいのに…
朝日新聞を辞めるときはものすごい葛藤があったそうです。辞めた時の収入は、すでに1,000万あったそうで、ここにいれば生活は安泰だった。ところが辞めてその年の収入はゼロ。翌年もゼロ。その次くらいから山岳雑誌に書くようになり、やっと50万くらい…そうこうしているうちに出した書籍が賞を取り、そこからいろんなことが軌道に載りだした。
年配の人たちに当時新聞社を辞めるときに言われたこと。地方支社でも、大きな記事をたまに書いて、みんな本当にお給料がいい。みんな1,500万とか稼いでいる。そんな良い会社を辞めようという発想がこの人たちにはない。「角幡は家族がないから辞められるんだ」みたいなことを言われた時に「あぁ、この人たちも本当は辞めたかったのかな?」と思った、と角幡さん。
本当にやりたいことは別にある、でもだいたいは経済的に安泰だから、忸怩たる思いをかかえて多くの人は生きている。自分はそれはいやだ、と。失敗して惨めな思いをしたとしても後悔はしたくない。自分で決断できたなら、それは納得できる人生。悪い人生ではない。と。決断できるのは良い人生だ、と。
熱心にお話を聞く高校生たち。 今日も探検がテーマなのに女の子が多い! |
とにかく今後大学受験や就職などで何かあっても大げさにとらえない方がいい。今、僕は40だけど、自分が20代の時は何もわからなかった。やりたいことがあっても、その時点では何も形にならない。30代になって、やっとなんとなくやりたい事が形になってくる。今までみたいにいい加減でいられないな…ということになってくる。そこで自分の方向性が見えて来る。
自分は今、40代になってようやく形になってきた。(だから高校生は)そのくらいのスパンで人生を考えていいと思う。そして45歳くらいになると、今度は体力や能力的なことが劣ってくるようになる…という事にもなる。
決断できる人生というのは幸せな人生だ、と。周りの人がどう思うかとか気にしてはいけない、空気など読む必要もない、と角幡さん。
この「決断が出来る人生」ってのに、響いた高校生が多かったみたいで、終了後のアンケートには、そのことを書いている子が多かったです。
いや〜 角幡さん、ホントにありがとうございました。またどうぞよろしくお願いいたします。
そして角幡さんは、なんとこんなに大ファンの私ですら、今日ご本人に聞くまで気付かなかったのですが、新しい本が出るじゃないですか! どうやらあちこちに書いたり,書評したり、対談したやつとかを集めた本らしいけど… 楽しみ!! さっそくポチリました。そして夏の沖縄捕鯨船本が楽しみすぎるよ。
そしてグリーンランドから、ウチのグリーンランダーたちもやってくる。ナヌークも出演する、ウチの20周年記念コンサート情報はこちらですよ! 皆さん、チェキラ!