大山卓也「ナタリーってこうなってたのか」を読みました

あっという間に読めてしまった。昨日赤羽でこの本を買って帰りのバスで15分読んで、お風呂で10分くらい読んで、寝る前に20分くらい読んで、今朝20分くらい呼んだら読み終わった(笑)

ナタリーって私はあんまり注目してなかったけど、イヤでもTwitterのタイムラインに流れてくるし、ライターさんや音楽ファンの友人のRTを眺めてみれば、こちらがプロモーションしているわけでもないのにロビン・ヒッチコックとかメアリー・ブラックとかウチのアーティストのニュースまでもが流れてくる。(編集に誰か好きな人がいるんだろうか)

もっともワールドミュージックの世界でほとんどを過ごす私にはあまり関係のない世界なので、そんな風にたまに流れてくるRT以上には興味を持っていなかった。でも津田大介さんが設立当時関わっていたことや、今もこの本を激しく薦めているのを見つつ、ネオローグの立園さんも登場していることを知って思わず購入。あいかわらず津田大介さん&ネオローグ・ファンの自分であった(笑)

読んでみると面白いねー、この人! 大山さん。すごく強い意志があってこの事業を始めたわけでもないという部分と、頑固さも感じられる「ナタリーらしさ」の死守みたいなところが、不思議に同居している。そうなんだよねー、結構1人の人にとってすごく大事な事は、他人にとってはどうでもいい事だったりもする。人がこだわる部分って、本当に不思議。そしてネットはそれが顕著にでる世界だ。マネタイズのちょっとしたテクニック(1つの記事を幾つにも割ってPV数を稼ぐなど…)や釣りキャッチなど、読者やファンから見放される落とし穴があちこちにあるメディアだけに。

以下,心に残った部分をメモ。

大山さんは「好きなことを仕事にするには…」ということではなく「好きなことよりも得意なことを仕事にした方が効率よく稼げるし、世の中にも貢献できる」というスタンス

メディアとしては草食っぽい。下世話なネタやインパクト重視の下品な記事は載せない。大衆のニーズや欲望によりそった方が割り切ったビジネスの形としては正しいのかもしれないが。

みっともないことはしたくない。PVを稼ぐために頭に要約ページをおいたり、ページを4分割にしてみたりとか…。そうすれば簡単にPVは4倍だが。

毛皮のマリーズの志磨さんのインタビューに感銘を受けた話。「これは時代が作らせたアルバム(作品)」という言葉。時代が勝手に動いてそれを感じとったアーティストはそれを表現する。それによってリスナーが気付く。そのインタビューで志磨さんは「“戦争が終わりました”と伝えることができる事はどんなにすばらしいことだろう」と言う。戦争はなんの理由もなく終わったりしない。時代が要求して、アーティストがそれを表現し、それを感じ取った者たちがそれをまた誰かに伝えて、そうやって広がった何かが戦争を終わらせる。そんなアーティストたちの無意識のメッセージを伝えるのがメディア。(いいね!)

最初のナタリーはSNS的なものを備えていた。が、それをとある段階でばっさり切った。メールマガジン、数万人のアカウントも削除。そういう決断も重要である。おやつナタリーも苦渋の決断だか最終的には閉鎖した。

矢沢さんの名言「オレはいいけどYAZAWAはなんて言うかな」にならって(笑) ナタリーらしさというのが重要。「ナタリーに載るべきニュースか、どうか」が基準。それは言葉で説明するのが難しい。今でも社員(ニュースを書くスタッフ)にオフィスに来てもらうのはそういう価値観(みたいなもの)をシェアするため。だからライターなど外部発注にしない。(これ、すごい共感。私にとってもTHE MUSIC PLANTらしさ、ってすごく大事だから)

すべてが消えてナタリーが残ればいい。(←これ、すごい文化をやっている者にとっては実はものすごく重要なんだよね。たとえば地方に古くから残るお祭りが誰が始めたか起源が分らないように。本当の文化には個人名はない。私も私がヴェーセンを何年も手がけているのを知らない人が私の目の前で私に向ってヴェーセンの話をし始めた時は本当に感動した! あとはマイケル・ジャクソンのことを知らないのにムーンウォークを真似してみせる小学生、など)

大山さん、おもしろい人だ。とはいえ、なんとなくつかみどころがないなーと思っている中、本人像をうまく見せてくれているのが最後の津田さんとコミック・ナタリーの唐木さんの対談。これを読むと、やっぱりこの大山さんって人は謙虚だけど、やはり天才なんだな、と思う。津田さんの言う、麻雀の勝ち負け=本人の運の強さの話には笑ったけど。

あと対談中、唐木さんの言葉で感動したところがあるので、それをここにメモ。グループで働く上での重要なこと。例えば2つの選択肢があったとして、みんなでどっちが正しいか議論する。で、どっちが正解かなんていうのは結果論でしかなく、たいていは両方正解だ、ということ。大事なのは、いざ「こっちに向うぞ」となったときに、みんなで一致団結してそこに向えるか、ということ、と。もし気持ちがバラバラだったり疑いがあったら、ジャッジが正解でも失敗するんだよ、と言う。うーん、なるほど。勉強になる! でもホントにそうだよ。事業ってこうやってやるんだね。

まぁ、でもホントにインターネットっていろんな意味で、人間力が試されるメディアなのだと思う。ネットメディアだからといっていい加減な記事ではダメという事を徹底し、これだけの量をアップしているのに、いまだにデスク制をしいているとか。ナタリーは本当に真面目なメディアなんだな、と思う。

大山さんは文中でも、ニュース量を多くしたい、というのを語っていたけど、ただこのままニュースの量を増やせばそれだけ人件費が会社の収入を圧迫してくるのは当然なわけで、いったいナタリーの出口ってどこにあるのかなとも思った。今は良くても世界は変わるだろうし。いや、出口とかないのか、こういうのは… 

私自身は今48歳で、出口をどうするか、このところよく考えている。私は幸せなことに30代半ばくらいからは「仕事は今のままの感じが続けられれば充分」という考えのもと、かなり幸せにやってきた。だからこのままで終わるんで全然自分は満足なんだけど、とはいえ斜陽の音楽ビジネス。果たしてあと10年をどうやって仕事をするか、どういうゴールを見据えるか…。本当に考える。

私ももう好きなことは充分にやったんだし、もう少しユルく大きな心で! 音楽は心の共感だし!…とも思うのであるが… でもやっぱりバカな音楽って応援できないんだよ! 大山さんみたいに何でもファンの気持ちにたって媒体に徹する事ができる人は偉いと思う。私は自分の好きな音楽で、自分の主張をしちゃう。反省。

ま、でもこの本読んだからって、それだけでナタリー分ったようになってちゃダメだよね。まずはナタリー自体のいろんな記事をもう少し読んでみないと…、何を言えるのか、って事だよ。