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2016年6月11日土曜日

話題の映画「FAKE」を観ました

観ました。観ましたよ、話題の映画。インターネットでの評判に載せられて、ついつい行っちゃいました。あのゴーストライター事件の佐村河内守さんを撮ったドキュメンタリー「FAKE」

実は佐村河内守さんについては、私はあの事件があるまで、まったくその存在を知らなかった。でもNHKがドキュメンタリーで取り上げて、CDとかDVDとかたくさん売れてたんだってね… 

あの事件が起こった後の佐村河内さんは、ひたすら奥さんとマンションに籠った生活を続けている。この映画もそんな様子ばかりが映される。

「事件の前、僕には友達は400人いたんですよ」と彼は言う。それが1人もいなくなりました、と。400人いた、って数えたんかい?!…数字を言っちゃう彼の感覚もすごいが、ゼロになっちゃうってのもすごい。そして、今や訪ねてくるのは、引きこもった彼を引っ張りだし、なんとかメディアに載せたいテレビ局やメディアの連中だけ。そんな様子を森監督は「こちらは事務所の方ですか?」とか言われながら淡々と撮影している。

それにしても、この映画を観ておそらく多くの人がびっくりするのは、映し出される佐村河内さんの「素」の姿だ。劇場内からも,時々笑いが起こる奇行の数々。私はなんだか笑えなかった。というのは、どれもが芸術家にはありがちな姿だったからだ。

佐村河内さんが豆乳を大量に飲むシーンもすごいが、なぜかお客が訪ねて来ると珈琲と一緒に出されるケーキも、私にはかなり謎に思えた。普通、あんな風に訪ねてきた営業の連中に、生クリームなどが盛られた食べにくい立派なケーキ(しかも何故か1つ1つ種類が違う)を出すだろうか。当然のことながら、彼らもこんな緊迫した会見の間、ケーキを食べる余裕などない。ケーキに手をつけず帰っていくテレビ局のプロデューサーたち。あの、人の唾がたくさん降り掛かったであろう大量のケーキは、後で夫婦で食べるのであろうか。まったくもって謎である。

私がこの映画をみたあとで持った個人的な印象を書くとすれば、あのケーキにいわゆるポップス…つまり人気商売畑にいるアーティストによく見られる傾向が示されているということだ。彼らは自分のことを分かってほしくて分かってほしくて、寂しくて寂しく寂しくて仕方ない。だから彼らは、舞台に立ち、普通の人のように恥ずかしがることもなくそこで表現活動が出来るのだ。そして何かがあると、必要以上に自分の大事な何かをまったくの他人に向けてさらけだしてしまう。その、さらけ出した何かに、本人とはまったく面識のない人々が反応し、その心ない反応によって彼らの心は何度も何度もひどく傷つけられる。また近くにいた本当に彼らを思う人々は、そんな彼らに呆れて離れて行く。その繰り返しなのだ。だけど自分の大事なものを、他人に差し出すことを彼らは辞めることができない。それは注目されたいという気持ちを彼らは捨てることが出来ないからだ。そんなアンバランスな感覚を私はあのケーキに感じとった。

佐村河内さんにするどく切り込んだ外国人記者はすごく良かったよね。彼は一流のジャーナリストだったと思う。そういえばケーキに手を付けていたのは彼らだけだった。

そんな風に、佐村河内さんは変わった人だ。でもそれは私がいつもミュージシャンたちに抱いている感情と、ほとんど差がない。多くのミュージシャンを観てきた私に言わせれば(笑)佐村河内さんに悪意はまったく観られない。また彼ら夫婦は監督を全幅の信頼をおいていて、その様子はあまりにも無防備なのだ。

ただ… ただ悪意はなくても人間は状況に流されてしまう弱い生き物なのだ、ということを考えたとき、この状況は非常に危険なのである。ゴーストライター事件については私は詳しく知らない。だから何も言えないけど、あんな感じのアーティストであれば、なんとなく周りの注目を手放したくなくて、本人に悪意はないのに、流れ、流されてしまった…ということなんだろうな、と私は想像する。想像ですよ、想像。

この映画はまた1つのゴーストライター事件の側面を映している。こんな風に佐村河内さんは流れ流され、こうやって映画監督に対して自分をさらえけ出してしまうのだ。

籠った生活も…これも問題だ。こんな風にしていると、自分の何がわるいのか、映画監督のどこがずるいのか… まったく判断できない状況に陥ってしまう。そして考える。これは単なる想像だが、もしかしたら「なんちゃらのベートヴェン」「聴覚障害者なのにすごい」とか持ち上げられていた時も、あの部屋の中は、もしかしたら社会からまったく遮断された、あんな空気だったんじゃないか、と。彼の側にいるのは奥様だけで、他の人は、あの玄関の扉を出た瞬間、彼の悪口を言い始める… そんな感じ。

この映画を見ただけだと、真実は何なのか、ますます分からなくなる、という人が多いと思う。それが真っ当な意見だと思う。まさか「こんな実情だったんだね!」とこの映画をまっすぐ捕らえる人もいないだろう。マスコミがひどいのは、別に今にはじまったことではない。それについては、何もびっくりしない。一応、この映画をみた人には、バランスを取るために、映画ではすっかり悪者にされている、文春にスクープ記事を書いた神山典士さんのこちらの寄稿もあわせて読まれることをお薦めする。こちらは論理的であって、社会性のある人の観ている視線だ、と思う。もちろん私もすべて神山さんの言う事に賛成するわけではない。例えば補聴器を使うか使わないかは本人しか判断できないことなので、そこまで言うのは言い過ぎだろうよ、などとも思う。

また私はこの監督のことをよく知っているわけではない。彼の他の作品は見たことがない。でも正直ショートショートフィルムフェスティバルで、短いながらもシャープな制作の映画を見た直後だと、この監督の作品はカメラがブレたり、落ちたり、音声が聞き取りにくかったり…制作上の基本的クオリティの低さが、ひどく気になった。それともあのヘンなエンディング近くの妙なカメラアングルは、ものすごい芸術的なクオリティがあるものなんだろうか。私には分からなかった。というか、単に観づらかった。

あとこの映画をみて奥様のことを絶賛している人が多いということだけど…。私は違う意見を持った。確かに人が訪ねてくれば手話で通訳に徹し、電気を付けるといっては佐村河内さんのためにサングラスを取りに行き、なにごとにも最高に献身的な奥さんだ。間違いなくこの夫婦の絆には真実が見える。それは確かだろう。

が、これまた私の超意地悪な視線で言うと、ああいうタイプの女性は、売れない芸術家の献身的な妻によくいるタイプなのよね。そしてそういった女性は、夫とは関係ない自分の社会的アングル(例えば職業)を持たず、皆あんな風に髪が必要以上に長い(腰まである)。そしてそれが実はアーティスト本人の活動に、前向きに機能しないケースも多々ある。また知らず知らずの悪い状況にアーティストを増長させてしまうこともある。つまり私の言いたい事は、2人が揃って社会性がないから、あの状況はとても危険だ…ということです。普通健全なカップルというのは、それぞれが社会性を保ち独立した個人でありながら、外の意見や情報を受け止め、それを2人で話し合い修正しながら、社会に対してもより良い人間に努力し成長していくものだと思う。結婚して人間的にすごく素敵になった友達が私には何人もいる。それは友人同士の人間関係でも一緒だし、ミュージシャン対プロモーターという人間関係でも同じだ。ここまで言うと彼らの絆にひがむ独り者の遠吠えのように思われるかも、だが。

彼女は、新垣さんとの仕事において完全に蚊帳の外だったというが…。果たして真実は?

最後に出て来る佐村河内さん作曲の音楽が、どういうものなのかも、私にはまったく判断がつかなかった。なんだかとてもチープなニューエイジに聞こえたのだが、それはシンセサイザーの打ち込みだったからなのであろうか。私の感覚がダメなのか。あれはあんな風に聞こえるけど、オーケストレーションがすごいんだよ…とか、そういう感想を持つ人がいるのかもしれない? 是非プロの方の意見を聞きたい。でもあの音楽から、私は何の感情もいだかなかった。

っていうか、そもそも作品の優劣は別として、あの形まで1人で持っていけるのであれば、どうして新垣さんに頼んだろうか。そこに矛盾も生まれて来る。

とまぁ、いろいろ書いているが、この事件が明るみになるまで、私は佐村河内さんの存在すら知らなかった。だから知ったようなこと書いているけど,実際は何もわからない。

一方で、この映画ではなんだか悪者にされている新垣さん。どちらかというと、狭い音楽業界内で私は新垣さんの方に近い場所にいて、本人にインタビューしたり、現場が一緒になったりした友人も何人かいるのだが、彼の悪口が私に聞こえてきたためしがない。確か新垣さんの場合は、ご家族の方が本業を辞めてマネージャーをされていると聞いている。なんかの雑誌載った対談で新垣さんが「来た仕事は全部受ける方針」と話されていた事も覚えている。あんなにマスコミに翻弄されて、バラエティに出て「壁どん」とか馬鹿やらされて、プロの芸能事務所であってもあれこれ大変だろうに、本当にご苦労なことだと思う。もっとも自分の判断でやっているのであれば、それを他人がとやかく言うことではないね。でも、この映画に出るのを新垣さん側が拒否したという事も、私には充分理解できる。私が彼のマネージャーでも同じ判断をしたと思う。

ま、結局のところこの映画で監督の言いたいこと=「すべては分からない」のだ。分からないものは分からないまま、置いておくのが一番いい。私がここに書いたのも、私が持った単なる印象。すべて私個人の感想にすぎない。っていうか、皆さんのブログやTwitterでの感想を見るにつけ、多くの人が自分の感想をはっきり公言するのを戸惑ってやしないか? そのくらいこの映画は難しい。

ここに書いたのは、私の単なる感想で、単なる直感です。それに賛同するかは、皆さんの私に対する評価で決まるのかもしれない。(また野崎がバカなこと言ってるでもいいし、野崎が言うなら20%くらいは本当にそんな感じなのかもしれないでもいい)

事実は分からないですよ。でも自分の考えや意見は持つべきだと思う。(あ、また「べき」とか言っちゃった)

それにしても、語りたくなる映画であることは間違いない。今のところ否定的な意見が少ないのが気になるけど、そのうち意見が分かれて来れば、動員にとっては最高のパブリシティにいなるよなー 興行的には成功なんだろう。

そして新垣さんの、このCM曲はやっぱり良いよな、と(笑)私にとっての真実はそれだけですよ。音楽は真実だ。皆さん、聞こえる音楽だけで、そしてそれに対する自分の感覚だけで判断しましょうよ。



しかしそんな「なんちゃらのベートヴェン」とかから比べたら、大した宣伝ネタもなく、それでもなんだかんだで業界の片隅で生き残っていけるわけだから、ウチのバンドもたいしたもんだよな。これ以上の成功は必要ないです、ホント。ヴェーセン、ルナサ、ナヌークが出演するTHE MUSIC PLANT20周年記念コンサートの詳細はこちら

PS
しかし緊迫した場所で、ケーキが出されるあの感じ。あの感じに対抗できるのは、私くらいしかいないだろうな。私だったら「わーい、ケーキだぁ! 佐村河内さん、ありがとうございますー」「これどちらのですかぁ?」「どこどこのあれも美味しいんですよねーっ。今度お持ちしまーす」「●●さんはどれにします? 私はこれー」とか佐村河内さんの前でやってみせるんだがな。

PPS
町山さんだったと思うが、森監督の映画は情報量が多いんだって言ってた。普通映画製作では無駄なものを削ぎ落す。そしてクリアに主題を打ち出す。それがないから情報量が多い、そしてそれに反応したオーディエンスが「あれはなんだろう」と考えるのだ、って言ってた。私はそれを「素人くさい」って思っちゃたけど、なるほどね…(町山さんはいつだって作品の味方だ。そこが素晴らしいと思う)

PPPS
facebookで友達から「佐村河内さんだけではなく、我々みんな弱くて流されやすい」「新垣さんのことは知らないけど、きっと彼も弱くて流されやすい」ってのを書いてくれた人がいて、ホントにホントにうなづく。

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こんな記事が出た。さすが資料を全部確認した人は鋭すぎる… 佐村河内守のウソの付き方が“まだら”なのがおもしろい 森達也監督『FAKE』をもっと楽しむ方法(飯田一史) - Y!ニュース 

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新垣さんの事務所から来た! きちんとしている。こちら。