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2016年7月10日日曜日

鈴木大介「脳が壊れた」を読みました。ものすごい本です。

いやーーー これはものすごい本です。ものすごい情熱で書かれた本。

鈴木大介さん。貧困問題にフォーカスしたたくさんの名作を書かれてるルポライターさんです。私は読んでないけど、彼の作品「最貧困女子」は大ヒットしましたよね。あと最近は、
こんなするどい記事も書かれており、私なんぞは読みながら何度もため息をついたものですが…

その鈴木さん、実は41歳にして脳梗塞になった。倒れるまで、手や指のしびれなど、その兆候はあったのものの、ある朝、突然、言葉が話せなくなる。顔の半分がダランとさがるなど身体機能が失われる。かろうじて自力歩行は出来たものの、これはおかしいということになり慌てて病院へ。検査をしたら脳梗塞。そしてそこから壮絶なリハビリが開始されるわけです。

そしてそんなリハビリの過程で、実は、過去自分が取材してきたちょっと面倒くさい人たち、社会になじめない人たちに、脳の障害があったのではないか、と気付くわけです。

気付いたからには熱血ジャーナリスト(笑)。書かないわけにはいかない。しかも誰にでも上手く彼らの症状や気持ちが想像できるように書かねばならない。分かりやすく「脳が壊れた」状態、そしてなった本人の感覚を必死で説明していくわけです。この本はそんな大変な熱意で書かれた大傑作なのです。

「脳が壊れた」わけなので、しゃべったりすることを中心として身体の機能とか、感情のコントロールとか、いろんなことを論理的に考える事とかが不可能になる。それはホントにちょっとした段取りとかがすべてが難しくなり、本人はとてつもなく混乱してしまうわけです。例えば荷物を両手に持ちながら車の扉をあける。車の扉を開けるために片方の荷物を床に置けばよいのだけど、そんなちょっとしたことが段取れない。パニックってオロオロしてしまう。例えば人の顔をまっすぐに見ることが出来ない。人の方に顔を向けながら、なぜかあらぬ方向へ視線をそらしてしまい、まっすぐ相手に向かいあえない。そんな1つ1つの症状が、いつか見た、いつかインタビューした、「社会と上手くやれなかった」取材対象の人たちと非常に似ているんです…と。

と、まぁ、1つ1つの症例について、著者はあれこれ必死で分析するのです。

で、もちろん41歳の著者はリハビリによって機能を少しずつ回復していくわけです。だから自分が出会ったあの人たちも、もしかしたらちょっとしたリハビリで社会に復帰できるのではないか…と著者は考えます。そしてそんな風に重要な仕事を担うリハビリの先生たちはすごい!…と。でも彼らは病院ヒエラルキーの中で、非常に低い地位に置かれている、ということも指摘しています。

リハビリ中には、リハビリの先生にトレーニングとリハビリは違う、ということもするどく指摘されます。これまた「なるほど〜」と思ったのですが、著者は結構なスポーツマン。だけど、それゆえに刺激的で短期的な快感を与えてくれるスポーツしかしてこなかった。本当に大事なのは例えば必要以上に心拍数をあげないようにゆっくりジョギングすることとか、地味な地味ぃ〜な運動です。(そういう意味では、元アスリートが実は一番リハビリがやりにくい、ということらしいのです)

そんな風に、この本の前半は「脳が壊れた」時の症状の事例やリハビリの過程を鮮やかに描いています。(ちなみに悲惨さはあまり感じられません。とにかくおもしろい。声に出して笑っちゃったほどです)

後半になると、なぜ著者は脳梗塞になってしまったのかという検証が始ります。自分は現場取材から引退した「講演会ジャーナリスト」「老害コメンテーター」にはなりたくない、と発言するように、鈴木さんの仕事に対する完璧主義,抱え込み主義みたいなものが悪い方に作用した。自分の「妥協下手」「マイルール狂」「ワーカホリック」「ケチ」という性格も大きな問題だった、と鈴木さんは自分を分析していくのです。そんな性格の著者にさらに追い打ちをかけたのが、数年前におきた妻の大きな病気。

この病気で妻を失うのではないかという恐怖に駆られた著者は、一切の家事を妻から奪いとります。もともと奥さんは家事が苦手な人らしく、昼にならないと起きてこられない。物が片付けられない。そんな怠惰な性格。これも実は奥さんの注意欠陥とか、いろんな脳の問題であることが、著者本人のリハビリの中で分かっていくわけですが、当時はそれをまったく理解していない。でもそんなライフスタイルの妻が病気になった。そこから著者は、なんと生活時間帯がまったく異なる奥さんの分の食事も含め1日合計6食も作っていたそうです。家事をすべてこなし、仕事をこなし…ところが、妻は物1つまともに片付けることも出来ない(注意欠陥)。食べるの遅くて1時間以上かかることもある…(早く食べないとオレが片付けられないだろう!)そんな家庭内のイライラもつのり、著者の高血圧がズドーン!といってしまった。そういうことだったらしいのです。そんなことの反省を著者は奥さんへのたっぷりの感謝と愛情表現とともに描いていきます。(しかし愛って大変。私には絶対に無理です…)

でもって、そんな風に自分が倒れてしまった時、いったいどうしたらいいか。それに対する著者のアドバイスも良かった。

以前、著者は同業の先輩に、フリーランスでやっていくなら、1年くらい働かなくても大丈夫なような貯蓄をしなさい、そして借金はしないように…とアドバイスされたそうです。そんな先輩のアドバイスを守ったのが良かった、と。

そしてこれはもう基本中の基本なんだけど、人脈のネットを持つことが大事だと著者は力説します。

著者が他の「貧困本」でも書いてきた事だけど、「貧乏と貧困は違う」ということ。同じ低所得者でも人に囲まれてワイワイと楽しく生きている人は貧乏であって、QOL(クオリティ・オブ・ライフ)は決して低くない。そうした支えを失って孤独と混乱の中で抜け出せない苦痛を味わい続けている状態こそが貧困なのだ、と。

薬物依存に苦しんだ当事者が書いた「その後の不自由」という本があるのですが、その本に書かれていた「いろんな距離感のところに自分の応援団を持とう」という考え方は、自分が実際に倒れた時、とても参考になったと著者は言います。(たまたま著者はこの本の作者にインタビューもしていた)これ、「一番身近なところに強い応援団を持とう」ではないのが、重要なポイント。

実は身近な人が一番頼りたい相手か…というと、そうでもないこともあるんだよ、と著者は言います。逆に距離感のある相手だからこそ、頼れるタイミングがあったりするのだと。頼る内容によって相手を変えていかないと、相手もいっぱいいっぱいになっちゃうし、結局誰にも頼れず孤立してしまうよ、ということらしい。なんか、分かる。それに倒れた時「こいつにだけは世話になりたくない」なんて思う人も出て来る、と。うーん、なるほど!

そして、読者へのお願いとして、あなたの近くにもし孤独な当事者がいたら、まず「行動」してほしい、と著者は主張します。実はその人たちも、著者と同様、もっとも身近な人たちに頼れないでいる人たちかもしれない。著者はラッキーにも本を書く職業だから、この気持ちを本に記すことができる。でも苦しみを言語化することは多くの人にとって非常に難しいことだから、ほとんどの人ができなくて当然であると。であれば「大丈夫?」と聞くのではなく、ただその人がしてほしいだろうことを黙ってやってあげてくれと著者は言います。というのは、その人たちは「大丈夫?」と聞けば「大丈夫」とこたえてしまう、面倒臭い人たちだから。「何かしてほしいことある?」と聞いてしまえば、「大丈夫自分でやれる」と言ってしまう人たちだから。とにかく是非黙ってやってあげてほしい、と。

例えば著者夫妻と仲のよかったご夫婦は、いきなり著者の自宅へ来てピンポンしたそうです。「行った方がいい?」と聞かれれば、やはり自分は「大丈夫」と答えてしまっただろう、と著者は言います。そうやってこの御夫妻が突然来てくれたおかげで、著者はやっとご飯が食べられた。そして妻が倒れた時に枕元にもっていったお粥のお皿がカビたやつを、やっと片付けてもらったんだそうです。実は著者は奥さんが倒れてからというものの、それを見るのすらつらくて、片付けられないでいた。著者はホントにホントに苦しかったそうです。 

それにしても… 人間は弱い生き物です。そして脳は繊細。ちょっとしたことで社会からこぼれてしまうことがある。ここのところ続けて読んだ本が、全部、内容が同じ方向に向いているので、ビックリしちゃうんですが、それはすべて、この世界ではホントに1人も取りこぼしている余裕などないって事なんです。すべての人を生かして活かさなければならない。そしてそれはちょっとしたことで可能かもしれない。取りこぼした人を役に立たない人として位置づけてしまえば、それはそれで社会のお荷物となってしまう。それではいけないんです。社会的に上手くいかない人たちは、実は医療の現場に引っ張りだして、ちょっとしたリハビリで、見事に復活する可能性があります。いろんなことが劇的に回復する可能性があります。そんな研究がもっともっと進んで欲しい、そんなことをホントに思いました。 

あ、なんか政治家みたいになってきたな、オレ(笑) とにかくこの本、すごいですから、是非読んでみてください。