さて今週はクロスビート編集部の荒野さんに出演いただいております。第1回、第2回、第3回、第4回目と続いて、これが最終回。荒野さん、ありがとうございました。
荒野「当時を知っている人だったらピンと来ると思うんですけど、イギリスとアメリカ両方を聞いていた人って、最初はR.E.M.とスミスを比較しながら聞いてたと思うんですよ。というのは、ギタリストのアプローチがよく似ていたから。リッケンバッカーのような音色に特徴のあるギターを使っていて、派手なギター・ソロはない代わりにアルペジオや単音弾きを駆使して、まるで編み物のように曲を構成していて…。ジョニー・マーに対してモリッシー、ピーター・バックに対してマイケル・スタイプという、ギタリスト+シンガーのあり方も似ているなと思ったし」
「直接的な交流はなかったと思うけど、並外れた音楽オタクがやっているバンド、っていう点でも、R.E.M.とスミスは近しい存在に思えました。バンドを始める前にあらかじめ浴びるほど音楽を聞いてきた人たちが、さまざまな音楽体験を経て、パンクやニュー・ウェーブも通過して、結果的にシンプルな小編成のギター・バンドに向かう… そういう世代だったのかもしれないですね」
のざき「それがほぼ同時にアメリカとイギリスにいる…と」
荒野「ええ。でもスミスはインディー・バンドとしてメジャーへいかないまま解散してしまったので…。スミスが続いていたらR.E.M.みたいに巨大な会場を埋めるバンドになったのかもしれないけど、彼らはそうしなかった…というか、そういうことはやりたくなかったのかもしれない。そこが対照的ですよね。モリッシーはソロになってアメリカで人気が出てから、大会場でもやるようになりましたけど。一方のR.E.M.は、もう初期から想像できないぐらい、規模がめちゃくちゃ大きくなった。ああいう根本的に音楽オタクの、学生バンド乗りで始まった人たちが世界的に売れて、しかも心のバランスを取れたという珍しいケースですよね。カート・コバーンみたいに苦悩し過ぎずに、名声とも付き合えたっていう意味では、異例のバンドでしょう。普通は途中でバラバラになったり、お金で揉めておかしくなったりするものですけど…。エゴイスティックな感じのメンバーがいないからうまくいったんですかね」
のざき「なるほどねー。でもR.E.M.があんなに大きくなったってのは、どういう理由だと思う?」
荒野「やっぱり曲と詞の力でしょう」
のざき「歌詞はものすごく良いよねぇ!」
荒野「はい。でも、デビューした頃は、念仏みたいで何を歌っているのかわからないって言われてたんですけどね。とにかくシンガーがモゴモゴ歌っている、っていう紹介ばかりされてましたから。だから余計にマイク・ミルズの存在が重要で。モゴモゴ歌っているリード・ヴォーカルを、マイクの綺麗な声が補っていた」
「ワーナーへ移籍する直前ぐらいになると、マイケル・スタイプがかなり明瞭に歌うようになってきて。初めて大ヒットした《The One I Love》っていうシングルは、まさにそうですよね。この曲でもマイク・ミルズが最高にいいバック・ヴォーカルを聞かせてくれますよ!! マイナー・コードの骨太な曲なのに、マイクの声がやたらと綺麗!」
The One I Love
のざき「荒野さんは、なんでR.E.M.って辞めちゃったんだと思います?」
荒野「ホントによく分からないですよね。逆に、解散しないバンドとして続けていけるタイプの人たちだと思っていたから、『なんで?』っていう疑問はありました。最近のマイケルの髭ボーボーの写真を見ても、謎が深まるばかりで…。一応、良いアルバムをつくり終えて、もうここで終わりにしようか?っていうムードの中で心を決めた、ということになるんだろうけど。解散のタイミングはもっと前にあったんでは?という気もして。そういえば、解散のイベントってやってないですよね。せめてツアーをやってから終わってくれていたら、日本での知名度や人気も、今とはもう少し違ったんじゃないかなと思います。ファンとしては、悲しみのやり場がないまま、なんとなく時が過ぎてしまった感じなので…」
のざき「なるほど」
荒野「最後のアルバムで、なんとなく自然死みたいにいなくなっちゃったから…。解散のニュース自体、思ったほど大きく取り上げられていなかったし、雑誌とかでも…。あんなデカいバンドが終わったのに、みんな騒がないんだな…と寂しく思った記憶がありますよ。クロスビートでは10ページ以上割いて特集しましたけど」
のざき「そういう意味ではクロスビートはR.E.M.とともにあったね」
荒野「表紙も飾りましたからね。R.E.M.は日本では弱かったってよく言われるけど、決してそんな事ないですよ」
のざき「だって武道館いっぱいにしていたんでしょ?」
荒野「なんだかんだ言われながら、武道館クラスのバンドになってましたから。僕は88年から95年頃までレコード屋でバイトしてたんですけど、店員としてアルバムを売っていた記憶の中でも、R.E.M.は洋楽で売れている方のバンドでしたよ。僕が働きはじめた頃は、ちょうどCDへの移行期で、時期的には野崎さんがキングでメアリー・ブラックとか担当されてた頃ですね…。ワーナーに移って最初に出した『Green』の時から、都内では結構売れていたはず。なので『R.E.M.は日本では人気がなかった』って簡単に言う人を見かけると、嘘ばっかり!と思います。ワーナー以降はどのアルバムもよく売れていたし、作品の質も落ちることがありませんでしたね。そして、どのアルバムにもマイク・ミルズの良いヴォーカルが入っていて…」
のざき「それ強調するねぇ…」
荒野「マイクの存在を意識して聞き出すと、発見が多くてすごく面白いですよ。またこんなところで良い仕事をしてる!みたいな…。あんまり話題にのぼらないですけど」
のざき「荒野さん的にはやっぱり初期?」
荒野「そうですね、僕はI.R.S.時代に対する思い入れが特に強いですけど。それ以降も、バンドとして変わっていくこと、成長していくって言うことを、彼らはちゃんと実践できていたから…。正直、あまりにも売れすぎて、“なんだよ〜、ちょっと歌詞も偉そうな感じになったよ〜”と思って、意図的に避けてる時期もありました(笑)。マイケル・スタイプが自信がついちゃって、堂々と歌っている姿を見た時に、“こんなバンドだったかなぁ?”って一瞬思ったのは確かです。でも、結局途中から戻りました(笑)」
のざき「スコットとかが入ってきた時代って、だいぶ後ですよね」
荒野「90年代の真ん中辺りから。それより前には、ピーター・ホルサップルもサポートしてましたよね。そのうちビル・ベイリーが抜けて…」
のざき「ビル・リーフリンが入ったのも、さらにだいぶ後ですよね。あのヘンはやっぱりピーターのラインで入ってきたのかな…」
荒野「そうでしょうね。最初はちょっと意外でしたけど。ビルはミニストリーとかやっている人だったから、サウンド的には違うかな…と思っていたので」
のざき「なんというか…時代だよねぇ。とにかく荒野さんはマイクのヴォーカルに期待、と」
荒野「一刻も早くソロ・アルバムを作ってくれ、って言いたい(笑)。マイケル・スタイプが戻ってまたR.E.M.をやる可能性が無いと仮定すると、だったらマイク・ミルズがソロ・アルバムを作ってよ、っていう…。解散後ますます、マイクはR.E.M.の大事な部分を担っていたんだな、って思うようになって。どうしても、ツートップ…マイケルとピーターのバンドっていうイメージが先に立っちゃってましたけど」 のざき「最後に荒野さん的には、どのアルバムが好きですか?」
荒野「いや〜(と散々悩み)マイク・ミルズのヴォーカルの魅力で選ぶと、『LIFES RICH PAGEANT』になりますね。《Superman》ってカバー曲と、必殺の《Fall on me》があるんで… どちらもマイクの歌がすごくいいし。結局思い入れがあるというか、一番回数を聞いたのは、あのアルバムだったかも。インディーズ・バンドの佇まいのまま、チャートの上の方に食い込んでいたので、これからこういうバンドの時代が本格的に来るんだなぁっていうワクワク感をもらえたし。その次のアルバム『DOCUMENT』で急にドカーンと売れ過ぎたので、ちょっと心配になりましたけど。彼らの場合、マネジメントも良かったんでしょうね」
のざき「R.E.M.のマネジメントは本当に素晴らしいと思う。今もしっかりホームページとSNSを管理してファンを大切にしているし、前に来日した時とかも、私が1つも頼まないのに、スコットとピーターとビルが日本に行くから、ってR.E.M.のホームページでウチのライヴを告知してくれたの。あれって、普通ならレコ社の目もあるし、誰にでも出来る事じゃなかったと思う。その前年に彼らは武道館でやってたんだから! ワーナーの人が高いワインもって楽屋に来てくれたけど。ホントにあの告知には感激した。それこそ告知を入れてもらおうか、どうしようか、スコットに言ってみようかなとか、R.E.M.側に頼もうかなとか…モジモジしてたら、自分からやってくれたんだもの」
で、今回も載せてもらった…R.E.M.の公式ページ。 すごすぎる。
荒野「なるほど、やっぱり間に入る人が大事なんですよね! ICE STATIONを見に、海外のファンも日本にやって来るんじゃないですか?」
のざき「今回の公演も外国人の人が結構チケットをウチから買ってくれているの。すごいよ。この前スペインからも申込みがあった」
荒野「ドリーム・シンジケートはスペインでも人気ですから。再結成後にあっちまでツアーしてたはず。スペインは昔からギター・バンドが人気あるんですよね」
のざき「Japan Timesとかにも載せなくちゃー!(笑)」(で、ホントにのちほど掲載いただきました〜 こちら)
ICE STATION、開催までもうすぐ。渋谷と京都で公演があります。チケットの通販、そろそろ締め切りますので、お申し込みはお早めに〜
2月7日 京都 磔磔
2月9日 渋谷 WWW
2月10日 渋谷 WWW
詳細はこちら http://www.mplant.com/icestation
with ナヌーク、カート・ブロック、ピーター・バック、スコット・マッコイ、マイク・ミルズ、リンダ・ピットモン、スティーブ・ウイン
PS
荒野さんが手がけた名著の数々。アイルランド音楽本とアコーステイック・ギター本にはウチのアーティストも多数ご紹介いただいております。是非チェックしてみてください。
★ ★ ★
荒野「当時を知っている人だったらピンと来ると思うんですけど、イギリスとアメリカ両方を聞いていた人って、最初はR.E.M.とスミスを比較しながら聞いてたと思うんですよ。というのは、ギタリストのアプローチがよく似ていたから。リッケンバッカーのような音色に特徴のあるギターを使っていて、派手なギター・ソロはない代わりにアルペジオや単音弾きを駆使して、まるで編み物のように曲を構成していて…。ジョニー・マーに対してモリッシー、ピーター・バックに対してマイケル・スタイプという、ギタリスト+シンガーのあり方も似ているなと思ったし」
「直接的な交流はなかったと思うけど、並外れた音楽オタクがやっているバンド、っていう点でも、R.E.M.とスミスは近しい存在に思えました。バンドを始める前にあらかじめ浴びるほど音楽を聞いてきた人たちが、さまざまな音楽体験を経て、パンクやニュー・ウェーブも通過して、結果的にシンプルな小編成のギター・バンドに向かう… そういう世代だったのかもしれないですね」
のざき「それがほぼ同時にアメリカとイギリスにいる…と」
荒野「ええ。でもスミスはインディー・バンドとしてメジャーへいかないまま解散してしまったので…。スミスが続いていたらR.E.M.みたいに巨大な会場を埋めるバンドになったのかもしれないけど、彼らはそうしなかった…というか、そういうことはやりたくなかったのかもしれない。そこが対照的ですよね。モリッシーはソロになってアメリカで人気が出てから、大会場でもやるようになりましたけど。一方のR.E.M.は、もう初期から想像できないぐらい、規模がめちゃくちゃ大きくなった。ああいう根本的に音楽オタクの、学生バンド乗りで始まった人たちが世界的に売れて、しかも心のバランスを取れたという珍しいケースですよね。カート・コバーンみたいに苦悩し過ぎずに、名声とも付き合えたっていう意味では、異例のバンドでしょう。普通は途中でバラバラになったり、お金で揉めておかしくなったりするものですけど…。エゴイスティックな感じのメンバーがいないからうまくいったんですかね」
のざき「なるほどねー。でもR.E.M.があんなに大きくなったってのは、どういう理由だと思う?」
荒野「やっぱり曲と詞の力でしょう」
のざき「歌詞はものすごく良いよねぇ!」
荒野「はい。でも、デビューした頃は、念仏みたいで何を歌っているのかわからないって言われてたんですけどね。とにかくシンガーがモゴモゴ歌っている、っていう紹介ばかりされてましたから。だから余計にマイク・ミルズの存在が重要で。モゴモゴ歌っているリード・ヴォーカルを、マイクの綺麗な声が補っていた」
「ワーナーへ移籍する直前ぐらいになると、マイケル・スタイプがかなり明瞭に歌うようになってきて。初めて大ヒットした《The One I Love》っていうシングルは、まさにそうですよね。この曲でもマイク・ミルズが最高にいいバック・ヴォーカルを聞かせてくれますよ!! マイナー・コードの骨太な曲なのに、マイクの声がやたらと綺麗!」
The One I Love
のざき「荒野さんは、なんでR.E.M.って辞めちゃったんだと思います?」
荒野「ホントによく分からないですよね。逆に、解散しないバンドとして続けていけるタイプの人たちだと思っていたから、『なんで?』っていう疑問はありました。最近のマイケルの髭ボーボーの写真を見ても、謎が深まるばかりで…。一応、良いアルバムをつくり終えて、もうここで終わりにしようか?っていうムードの中で心を決めた、ということになるんだろうけど。解散のタイミングはもっと前にあったんでは?という気もして。そういえば、解散のイベントってやってないですよね。せめてツアーをやってから終わってくれていたら、日本での知名度や人気も、今とはもう少し違ったんじゃないかなと思います。ファンとしては、悲しみのやり場がないまま、なんとなく時が過ぎてしまった感じなので…」
のざき「なるほど」
荒野「最後のアルバムで、なんとなく自然死みたいにいなくなっちゃったから…。解散のニュース自体、思ったほど大きく取り上げられていなかったし、雑誌とかでも…。あんなデカいバンドが終わったのに、みんな騒がないんだな…と寂しく思った記憶がありますよ。クロスビートでは10ページ以上割いて特集しましたけど」
のざき「そういう意味ではクロスビートはR.E.M.とともにあったね」
荒野「表紙も飾りましたからね。R.E.M.は日本では弱かったってよく言われるけど、決してそんな事ないですよ」
のざき「だって武道館いっぱいにしていたんでしょ?」
荒野「なんだかんだ言われながら、武道館クラスのバンドになってましたから。僕は88年から95年頃までレコード屋でバイトしてたんですけど、店員としてアルバムを売っていた記憶の中でも、R.E.M.は洋楽で売れている方のバンドでしたよ。僕が働きはじめた頃は、ちょうどCDへの移行期で、時期的には野崎さんがキングでメアリー・ブラックとか担当されてた頃ですね…。ワーナーに移って最初に出した『Green』の時から、都内では結構売れていたはず。なので『R.E.M.は日本では人気がなかった』って簡単に言う人を見かけると、嘘ばっかり!と思います。ワーナー以降はどのアルバムもよく売れていたし、作品の質も落ちることがありませんでしたね。そして、どのアルバムにもマイク・ミルズの良いヴォーカルが入っていて…」
のざき「それ強調するねぇ…」
荒野「マイクの存在を意識して聞き出すと、発見が多くてすごく面白いですよ。またこんなところで良い仕事をしてる!みたいな…。あんまり話題にのぼらないですけど」
のざき「荒野さん的にはやっぱり初期?」
荒野「そうですね、僕はI.R.S.時代に対する思い入れが特に強いですけど。それ以降も、バンドとして変わっていくこと、成長していくって言うことを、彼らはちゃんと実践できていたから…。正直、あまりにも売れすぎて、“なんだよ〜、ちょっと歌詞も偉そうな感じになったよ〜”と思って、意図的に避けてる時期もありました(笑)。マイケル・スタイプが自信がついちゃって、堂々と歌っている姿を見た時に、“こんなバンドだったかなぁ?”って一瞬思ったのは確かです。でも、結局途中から戻りました(笑)」
のざき「スコットとかが入ってきた時代って、だいぶ後ですよね」
荒野「90年代の真ん中辺りから。それより前には、ピーター・ホルサップルもサポートしてましたよね。そのうちビル・ベイリーが抜けて…」
のざき「ビル・リーフリンが入ったのも、さらにだいぶ後ですよね。あのヘンはやっぱりピーターのラインで入ってきたのかな…」
荒野「そうでしょうね。最初はちょっと意外でしたけど。ビルはミニストリーとかやっている人だったから、サウンド的には違うかな…と思っていたので」
のざき「なんというか…時代だよねぇ。とにかく荒野さんはマイクのヴォーカルに期待、と」
荒野「一刻も早くソロ・アルバムを作ってくれ、って言いたい(笑)。マイケル・スタイプが戻ってまたR.E.M.をやる可能性が無いと仮定すると、だったらマイク・ミルズがソロ・アルバムを作ってよ、っていう…。解散後ますます、マイクはR.E.M.の大事な部分を担っていたんだな、って思うようになって。どうしても、ツートップ…マイケルとピーターのバンドっていうイメージが先に立っちゃってましたけど」 のざき「最後に荒野さん的には、どのアルバムが好きですか?」
荒野「いや〜(と散々悩み)マイク・ミルズのヴォーカルの魅力で選ぶと、『LIFES RICH PAGEANT』になりますね。《Superman》
ICE STATION、開催までもうすぐ。渋谷と京都で公演があります。チケットの通販、そろそろ締め切りますので、お申し込みはお早めに〜
2月7日 京都 磔磔
2月9日 渋谷 WWW
2月10日 渋谷 WWW
詳細はこちら http://www.mplant.com/icestation
with ナヌーク、カート・ブロック、ピーター・バック、スコット・マッコイ、マイク・ミルズ、リンダ・ピットモン、スティーブ・ウイン
PS
荒野さんが手がけた名著の数々。アイルランド音楽本とアコーステイック・ギター本にはウチのアーティストも多数ご紹介いただいております。是非チェックしてみてください。