(前回からの続き)それににしてもすごすぎます。最初知らなかったとは言え…この本は驚きの連続でした。そして何より…何より、すごーーーーい!!と思ったのが、楽器の話。
まずパパが、師匠であるクロチャックから楽器を譲り受けたところ。感動のシーンです。本から引用させていただきます…
「修業時代、コンクール、入団試験、そして最初のリサイタルまで、私は必ずしも最高とは言えない楽器で演奏した」
「かつて国立歌劇場管弦楽団/ウィーン・フィルの首席チェロ奏者だった師リヒヤルト・クロチャックは、私の悩みを知っていた。私がまだ歌劇場の次席奏者だった
1969年3月、クロチャックは自分のチェロを譲ると言ってくれた。私にチェロを引き渡す時の師の目に浮かんだ涙を私は決して忘れない」
「それは1727年に名称ダヴィッド・テヒラーが製作した楽器で、頭部が通常の渦巻ではなくライオンの頭になっている。クロチャックはこの楽器で1937年に
リヒャルト・シュトラウス指揮のウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団と『ドン・キホーテ』を演奏し、作曲者からメッセージを贈られた。この楽器はシュ
トラウスがソリストに捧げた言葉をまとっているのである。このことからもこのチェロで演奏することの意味をご想像頂けるだろう」
うううう、泣ける。泣けすぎる!!!
「師はおそらく、このチェロがウィーンの音楽家の頂点に至る道を切り開いてくれると信じ、これを私の手に託そうと考えたのだろう。クロチャックはまた、この楽器はそれが今までずっといた場所、つまりウィーン国立歌劇場のオーケストラ・ピットの首席に留まるべきとも言った」
くーーーーーーーーーっっ! なんかこう自分を抑えて楽器のこと、音楽のこと、そして後に続く者、そして未来を先に考えるこの感じ。この感じがたまりません。
そして…この楽器を手にして、本当にパパ・バルトロメイはウィーンの首席奏者になったわけです。凄すぎません?!!!!
でも、それで終らない。本を読み進めたら、パパ・バルトロメイは、引退を決意するわけだけど……楽器を息子に譲った!!!!!!!!????とか出てくるんで、私はもう、なんていうかひっくり返っちゃいました!!!
「1969年に師クロチャックから受け継いだライオン頭のチェロは、2012年に息子マティアスに譲った。彼が音楽への炎を秘めていると信じて。父親が歩んだ道を進むか、他の道を選ぶか、それは彼が自分で決めるだろう」
ががーーーーーん!! そんなわけで、その由緒あるライオン頭のチェロも来日するんですよ、マティアスと一緒に! ちなみに飛行機ではチェックインしません。マティアスの隣りに乗ってやってくるんです。
そう、チェロはチェックインできる楽器じゃないんです。しかし、よ、良かった。実は最初からそれ覚悟してたのよね、実は。ウィーンだし、デュオだけどチェロ奏者かぁ〜 そしたら飛行機は3席かな…って思ってたのよね。だから最初ツアーのオファーをした時からマティアスにおそらくチェロの席は必要なんだよね?って聞いていたのでした。チェックインできるヴァサラットとは訳が違う。あぁ,良かった、最初からそれ言っておいて…大恥かくところだった。
でも本音を言えば「そうです、3席必要」とメールが帰って来た時は「ちっ、面倒くせー。ヴァサラットみたいにチェックインすりゃいいのによー!」と心の中で思ったのですが… と,とんでもなかった…
マティアスに「パパがフランツ・バルトロメイって知らなかったよ…ごめん」と言ったら「That's
okay!」だって。でも、そうなの。私はパパのプロモーションしてるわけじゃないし、本人以外のことは別に知らなくてもいいのよね。自慢じゃないけど、私、グレンの仕事始めた時、スクイーズのことはよく知らなかったし
(爆)、そういう事は知らない方が、こっちの仕事に集中できる。私がやっているのは、今、現役のマティアスの、しかもクレメンスとのデュオ、バルトロメイ・ビットマンの音楽なのだから。
しかしパパはなんと来日歴50回以上のすごい親日家なんだって。年末も福岡に来日しているらしい。東京には来ないのかな。大使館の方の話によると、クラシックの世界こそ、こういう来日多いんだって。うーん,マティアス、未来はどうなるか誰にも分からないけど、パパを超えていこう、パパを!!(笑)
というわけで、良かったら、楽器も見学に来てください(爆) この映像の冒頭で出て来るよ、ライオン頭のチェロ。
バルトロメイ・ビットマンの来日公演は、2月11日(祝/月)Star Pine's Cafeにて。チケット¥6,000 詳細はこちらです。 ウィーン・フィルの伝統を運ぶこのすごい楽器もぜひ見に来てください。