村上春樹『約束された場所で』を読みました

絶好なタイミングで、この本が手元にあった。松元死刑囚を始めとするオウムの信者7名が死刑になったその日。私はこの本を手にしていた。仕事仲間が偶然「面白いよ」と紹介してくれて、アマゾンでポチったのが届いたのだ。

いや〜、実は私はオウム信者へのインタビュー本だとは知らなかったよ。どうやら友人はまったくのフィクション派でノン・フィクションはあんまり読まないのだが、私が「ノン・フィクションの面白いやつを紹介してくれ」と言ったら、村上春樹のこれ、と紹介してくれたわけ。

でもすごいね、村上春樹。この本は「Underground 2」というタイトルもついているのだけど、1の方は地下鉄サリンの被害者家族にインタビューした本なのだそうだ(こちらは未読)。人気作家で、何を書いても売れるだろうに… こういう時代の記録を自ら引受けるところが、さすがである。(最近ようやく村上春樹の良さがわかりつつあるオレ/笑)もっとも大先生のことだから、ご本人の興味がそこにあったのだろうが…。

で、当然のことながら文章が上手いので、スイスイ読めてしまう。そしてゾッとするのだ。信者たちと自分とのあまりの「違いのなさ」に。それこそ自分の「ノン・フィクション好き」もそうだけど、「小説が読めない」という信者にドキッとした。

とある信者の独白中に村上春樹が「あの、あなたは小説って読めないでしょう」と言葉を挟む。信者は「3ページであきちゃうんですよね」と言う。彼は何でも黒しろ付けたがる性格であり、物語を読んでもそこに共感できない。彼の中で他人の話が自分の感情として立ち上がってこない。

で、怖いのは、私も実は小説、物語ものの本は苦手というほどではないが、読むのは好きではないのだ。それより自分に何かの啓示を与えてくれる良質のノン・フィクションを常に探している、と言っていい。それでも、そのフィクションがSFとかだと割り切れるから良いのだけど、村上春樹みたいにすぐ意味もなく人が死んだり、まったくの他人が偶然お母さんだったりするような展開にはまったく付いていけない人間なのだ。そこを当の村上氏にグサッと指摘されたような気がして、その1行で、めちゃくちゃドッキリしてしまったのだ。「あっ、バレた?」と。そして終末思想に裏付けられた「リセット」という感覚。

私も確かに何にでも黒白付けたがる、そういう傾向があるかもしれない…。その信者は「判定できないものが苦手」みたいな言い方をしていたが、そして村上春樹は、判定できないものを書くのが小説なのだと、この信者に話したりするのだ。もっとも会話の部分は最小限で、基本、元信者達の独白でこの本は綴られている。

ある信者の話によれば、オウムでは男は東大、女では美女が優遇されるという。そして私から見たオウムの女達は確かに美人であるが、どうも不自然に髪が長い。いつだったか、佐村河内の映画を見た感想で、出て来た奥さんの印象を「オウム信者みたい」などと思った自分であるのだが… あぁいうタイプの女の人は、従順で洗脳を受けやすいのか…。一時の雅子さまと同じへアースタイルをしていた愛子さまにも、ちょっとゾッとしてしまったのだが…。女の生き様は実は髪にあらわれる…と私は思う。そして、そうやって病んでいる部分は誰にでもある。私に何が言えたことか。

最後、村上春樹と精神科医の河井隼雄との対談がついているのだが、そこで出て来た村上の言葉「計数化できるファクトと、真実との違い」の話が、適格に事情を説明していると思った。例えば夜道で男が襲ってきたとして、本当は160cmくらいの小柄な男がヘナヘナな木の枝を振り上げただけなのに、襲われた方は180cmくらいに見えた、こん棒で殴り掛かってきたと感じるだろう、と。で、村上さんとしては後者の方が真実を説明しているのではないか、と言うのである。もちろん報道や裁判などになれば、両方を並記して考えていくことが重要なわけだけど、と。うーん、さすがである。それにしてもいろいろ考える。麻原も本当は最後の方は「もう辞めたい」と思っていたのに違いない、と河井先生は分析している。ヒットラーなんかもそうだけど、自分の作った物語の犠牲に自分がなってしまう、という悲劇。

で、以前こんな番組を見たのだ。サイコパスの専門家であるケヴィン・ダットン氏の、確かNHK白熱教室だったと思う。(番組のまとめ作っている人を見つけた!)印象深かったのは、先生も実は時分もサイコパス的要素がある、ということを自分で告白していたこと。実はビジネスで成功したり、CEOみたいなことやっている人にはサイコパス的要素が多い。CEOは大げさだけど、私も自分の中にはものすごく冷酷な部分があることもなんとなく自覚している。そうでないと自分でビジネスなんか回していくことは出来ない。オウム信者はサイコパスというのともまた違うとは思うけれども、なんとなく思い出して書いた。

言いたいのは、自分にもこういう思想に落ちてしまうという危険性がある、というだ。今、日本の国はボロボロで、政治とか見れば見るだけイヤになっちゃうし、 すべてをリセットしたい…と思う日々ではあるのだけれど、そんな時こそ、グレイなままでいる勇気を持たないといけないんだわ…と。そしてそれは非常に大変なことでもある。両足で踏ん張っていてもグラグラ揺れている自分が分かる。先日のオバマ大統領の言葉じゃないけど、人生を生きて行くことはとても「面倒くさい」のだ。が、その面倒くささを引受けていかなければ、と思う。 単純にしてしまうことは誰も幸せにはしない。

そしてオウムの信者たちが口を揃えて言う「一般の人には分らないでしょうが…」という表現。どこか自分は他の人よりも頭がいいのだ、と信じている彼らがそこに間違いなくいるわけで、そんな要素が自分にもないか、常に常に自分を厳しく見て行かないといけないよな、と思う。ホントにすべてはあやうい。自分が立っている地面がグラグラとするような感覚に襲われる。が、それに自覚的でなければならないよな、と思う。



PS
こんな記事が。