変われない私たち

「日本人は遺伝子レベルで変化を嫌う」というのは先日読んだ本からの言葉だけど、選挙で自民党が常に勝つのも、吉本興業の問題もすべてはそこにあるんじゃないかな、という風に思えてきた。すべて原因はそこにある、と。

この先おそらく具体的に大きく困ったことがないかぎり、変化よりも人は今までと同じ社会を望むだろう。「これ以上悪くなければ、それでいい」と。自分たちの努力でより良い社会に変えようなんてとんでもない事だと多くの人たちは考えている。変えようとして、今より悪くなったらどうする? だから日本において選挙では自民党が圧倒的に強いのだ。自分のSNSのタイムラインを見れば、みんながみんな「れいわ」か「立憲民主」に投票しているように見えるし、ほとんどの友人が選挙に行っているのであるが、蓋をあけてみれば世の中は保守が過半数。うーん、私が見ている世界なんて、ほんの一部。この週末だってフジロックに行かない人の方が世の中多いわけだ。もしかしたらホットクック(売上昨年で10万台)を使って料理に勤しんでいる人の方が多いかもしれない。そういうことを見失ってはいけない。

吉本問題も変わることができない芸能事務所の体質を浮き彫りにした。かつて暴力団と芸能(例:山口組と美空ひばり)は密接につながっていた。その時代遅れの体質を、今や教育事業にまで手を出すようになった大きな会社が引きずっているのが良くなかった。とにかくそこがすべての原因だ。いや、私なんぞが何を知っているのかと思うのだけど…
特に吉本の場合、国の仕事を受けているからまずい。これでは一般の人たちも黙っているわけにはいかない。

変わることは難しい。変わるとなればその変化には誰かの責任が伴う。責任を取れない監督は身体がまだできていない高校生のピッチャーに無理をさせて肩を壊してしまう。あの監督の判断は立派だ。大切な才能は大切に育てないと… いろんな人からの非難を引き受ける覚悟で監督は判断したのだろう。

それにしても吉本問題。家にいてネットばかり見てると、そっちに興味が引っ張られる。本当にみんな何を恐れているというのだろう。現在は、あんなに芸能界で力があったように思われたあの人も、あの人も、全体の顔色を伺ってびびっている状態だ。一方ではっきりした考えを持っている友近さん(彼女は昔から批判的だったよね。今の所属状態も学校出てそのまま何も交渉も話し合いもなく所属になってしまったそうで…)、心優しい近藤春菜さん(元フィンランド大統領)には心を打たれる。女芸人さんたちはみんな頭が良く素敵でまともだと思った。テレビでしょっちゅう顔をみかけあんなに有名人だったとしても誰も自分を信じられず、ファンを信じられず、芸人さんたちはみんな不安に思っているんだなというのが本当に不思議だ。お笑いを売っているのだから、暗い部分を見せるな、という先輩芸人も多いようだけど… いや、今はそういう時代じゃないでしょ。みんなが自由に発言し行動していい時代なんだと思うけれど…ファンや見ている人たちはそんなこととっくに理解していると思うけど。

一方で6,000人いるという所属芸人さんたちの中には吉本の名前を語ることで、自分がたとえ片隅でも業界の中に存在しているということを感じていたかったという人も多い事だろう。私程度の社会人だって、よく知らない人から「野崎さんはよく知っている」と第3者に勝手に言われたことを人づたえに聞き困惑することがある。誰かがわたしと知り合いなことを使って何かをやろうとしている。でも実際のところ人は誰も一人では立っていられない。人脈や組織や会社の名前を語ることで、なんとか倒れないでそこにいるだけだ。それは人気芸人さんでも、そして驚くことに社長ですらも一緒だ。みんながみんな「吉本」という幽霊を怖がっている。「吉本」っていったいなんなんだろう。

吉本を吉本たらしめているものは所属している素晴らしい芸人さんたちの才能だというのは間違いないのだけど、芸人さんたちはなぜかうだうだの会見をした社長を怖がる。一方の社長は自分の生命線である芸人さんたちが離れていってしまわないよう恐喝じみた、プレシャーじみた、DVじみた時代錯誤の行動をとる。今になって普段は行きもしないラジオに立ち会いに役員が顔を出し芸人さんに無言のプレッシャーをかけたという話も伝わってきている。誰もが会社の名前にぶらさがっている。聞けばその会社においては営業部は営業をしないのだという。ただ机にすわって仕事のオファーを受けているだけだ、と。そんな仕事をしていて何が楽しいのか。そんな仕事をしているから自分の存在価値を実感することができず不安になるのだ、と。

数日前から大量露出している元吉本のマネだという女性実業家は「マネが良ければ本人がイマイチでも売れる」とテレビで言い切っていた。ありえない奢った発言だ。視聴者やファンをなめてもらっちゃこまる。見ている人たちはそれを見抜けないとでもいうのか。それともスポンサーさえ騙しきればそれでいいのか。

それにしてもこのブログにも何度か書いているように、今やエンタテイメントはお客さんからお金を取ることが非常に難しい時代になった。だから事務所やマネジメント、スタッフは発信したい側(アーティスト、ミュージシャン、芸人側)からビジネスをもらうことによって仕事をなりたたせるしかない。そしてお金を出すやつが、悲しいかな未来を決める。未来を決めるのはお客さんではない。というか、お金を出さなければお客さんですらない。見ている側はそうなるとアーティストを選べない。でもマネジメントはうまく立ち回ることによって、この仕事をいくらでも続けていける。そんなんでいいのか、そんなんで…

それにしても難しい。


高校時代の友人からメールをもらう。彼女から高校時代の野崎は自分で毎日お弁当を作り(ウチは私の世代にしては珍しく共働きだったからなぁ)、なんでも一人で決断するすごいやつだったと思っていたのだ、と言われる。自分が記憶している高校時代の自分はほんとやる気なしのダメダメ人間で、授業の教科書を忘れては、隣のクラスの彼女に借りに行っていき迷惑をたくさんかけた。そういうダメダメ人間だったので、彼女のそんなコメントを読んで、えーーーっ?!と思う。人の印象はあてにならない。

それにしても高校時代はおろか子供のころのこと、大学時代のこと、実は私はほとんど思い出せない。イシグロが言ってたけど想い出って、ちゃんとペッティングしないと(思い出して何度も愛でないと)どんどん忘れてしまうらしい。私は目の前のことで忙しいから過去を振り返ってる時間なんぞなかった… 今までは。昔の友だちにあっても、結局価値観を共有していたころの昔話をするしかなく、下手すりゃ今や相手が保守に投票しているかもしれないことをなんとなく感じながらニコニコしているしかないのだ。私にとっては今いる場所が一番好きな場所だし、今の仲間とは価値観がしっかり共有できていて幸せだと思う。でも普通の人は、きっと生活の中で「昔はあぁだった」「こうだった」と思い出す時間があるんだろうなぁ… それを人間らしい暮らしというのだろうか。それを思うにほんと私はダメダメだよな。入院中に看護師さんに塗ってもらったニベアを思い出す。あれは気持ちよかった。


昨日とあるお世話になった業界の大先輩のセミナーに私と同じような仕事がしたい、という女性があらわれたので、是非話を聞いてやってくれないかと、その大先輩言われる。その先輩は大会社の社長職の時も、私の売り込みに対応してくれたりして大変お世話になった。だから体調がよければそういう人たちに会うこともやぶさかでないのだけど… 今や「野崎塾」もやってないしなぁ。

 でも人に相談したって意味ないと思うよ。あなたのスタイルを発見しないと。最短距離を行こうとしてはいけないよ、とその女性からのメールに返事を書く。とにかく今すぐ行動あるのみ。本当にやりたいんだったら、やるべきことは私に相談ではなく、まずは日本人のミュージシャン使って公演つくってみれば、と。常識のないひどい人になるとこっちが時間を使ってそういう長い返事を書いているのに、返事はなくそれっきりということもあるのだが、その人はちゃんと「時間を使ってくださってありがとございます」と返事をくれた。まぁ、がんばってよ。いろいろ考えるより、とっとと動き出した方がいいよ。でもほんと「やらない人」の言い訳ってすごいからなぁ。やらない人は一生やらない。その割に人のやることにあれこれ言う。そしてタイミングを失う。今の世の中、タイミングがすべてだってのに… 。本当によく考えて。これから物事がよくなっていく保障は1つもない。一方で悪くなる理由だったら山積みだ。そんな中、どうやって人生生きていくのか。時間とタイミングがすべてなのは誰にでも明白だと思う。自分も変わるし、相手も変わる。可能性がある時期なんて本当に少ない。うかうかしてれば状況は変わる。私が病気になったみたいに。本当に今までやりたいことをやってきてよかったと思う。そうでなければ、どんなに後悔したことか…


さーて、そろそろ体調が悪いことを言い訳にずっと家でゴロゴロ、You TubeやらPrimeやら映像ウオッチしてないで…(笑)と思うのだけど今日も低気圧で頭が痛い。それにしても吉本の件は興味深すぎる。時代は変わっていくんだね。自分も変わらないと、と思う。

そして自分の仕事を休んでサボっていると、こうやって人のやっていることが気になり始めるもんだわ。要するに暇なんだわ、今のわたし。まったくなさけない。

写真は数日前にホットクックが作ったビーフ・トマト・シチュー。何度か作っているメニューだけど、やっと快心の出来。水なしで作ったのに、このスープ感。すごすぎる。野菜って水でできてんだね…


さて今日もがんばって生きていこう。