人は自分がどんなに辛い状態の中にいても、他の人の役にたちたいと願っている

最近この歳になってやっと「人は自分がどんなに辛い時でも他の人の役にたちたいと願っている」という事を学んだ。というか、自分がそう強く思っているのを今、あらためて感じる。数日前に原爆投下直後の広島のドキュメンタリーを見ていて、また強く思った。すごいよね、人間って。だって原爆投下されるって考えられるかぎり最悪の状況だよ? その中でさえ、他の人を助けよう、役にたとうとするわけだから。だから思った。「人の世話になっていいんだ」と。

原爆資料館で好きな写真がある。それは自分も頭から血を流しながらも道端で被災証明書を発行する兵士らしき人の写真だ。包帯で頭をつつまれ、包帯には血がしみている。被災者の人たちが列にならぶ。これを発行すれば保障が得られる(のかもしれない)という信念のもと兵士は必死で働く。

病気になって人から手助けを得るのは、どんなものかと思っていた。だいぶ前に婦人科系の病気で大きな手術をした友人が「あなたの性格も私と同じだと思うから言っておくけど、人の助けは受けていいのよ」みたいなことを言ってくれたことがあって、それをなんとなく思い出した。こういう素晴らしい友人たちが私の周りにはいる。そして具合が悪くて私が死にそうになりながらも「人の助けはなるべく借りるまい」と思っていた私のところに半ば強引にきてくれた友人もいる。一番最初に会いにきてくれた取引き先の女性社長。「迷惑かな、とも思ったんだけど…」とか言いながら、病院に突然訪ねてきてくれた。すごい行動力。大尊敬する先輩で一番心配をかけたくなかった人だ。次がウチに来てくれて買い出しや掃除をしてくれる大親友。ある意味一番言いたいことが言える仲だ。この「一番心配かけたくない人」と「いつも心配かけてる人」という両極端な二人が来てくれたことで私の気持ちは大きく変わった。他にも私が最悪の具合の悪さの中にいる時、来訪してくれる友達はみんな流しに洗い物が山のようになっていたのを見て、何も言わずにそれを洗ってくれた。今は食洗機があるけどね。そして思った、今、会いたくない人と会いたい人と自分の中で明確に分かれるな、と。

それにしても病気になって寂しいことは… 実は自分のことより人の応援ができなくなることだったりするんだよね、面白いことに。人のやってるイベントに行ってそのレポートやレビューを書いたり、文字起こししたり、好きな作家さんの本の感想を書いたり試写会行って感想書いたり… そういう自分のブログ(ここのこと)が好きだった。今は外出する余裕がないので、家でネットを見たりしながらあれこれ思った事を書く。本は読んでいるのだが、感想をまとめるまでのパワーが出ない。でも何冊か読み終わりながらもレビュー書いてない本があるので、近いうちに書こうと思っている。それにしても、こんなことじゃ今後映画の試写状やイベントとかの案内来なくなっちゃうなぁ、などと思う。寂しいのは元気だったころにできてた当たり前の事が出来なくなることだ。客観的に見て、自分は最悪の状態なのに良くやるよ…と自分でもあきれるが、でも早く外に出て人の役にたちたいんだよね。…っていうか、実際役にたってるかは別として、早く社会活動がしたいんだわ。

まぁ、そんな思いが1つと、あともう1つ。

加えて公演にボランティアの手伝いはいらないと常々思ったのに業界のその筋では第一人者の、すごいと言われる方お二人に、先日の北とぴあの公演をお手伝いいただいた。これ、私にとってはものすごく大きな変化なのだ。私は自分の仕事を触られるのが大嫌いで、めったなことではお手伝いは頼まない。というか、頼む相手はいつも超厳選している。ましてやボランティアでお願いするなど、今までやったことなかったのだが、お二人が「手伝いますよ〜」と言うのに甘えてついにお手伝いを頼んでしまった。ボランティアというのはよくない。いろんな意味で予定が見えないし(急にキャンセルされても文句は言えない)、金銭授受がないから命令系統もうやむやになりがちだからだ。でも当然このお二人はすっごい出来る人たちなので、それによって私も他のスタッフもめっちゃ助かったことのだった。そして…有難いことに…不謹慎にもお二人は結構楽しそうに見えたのだった。お二人は気持ちよく働いてくれたし、加えてなにせ出来る人たちですから間違いがなく仕事上の加減も非常によく(素人雇うと出しゃばったり、かえって相手しなくちゃいけなくてウザかったり、ほんとやりにくいんだわ…)とても助かって本当に感謝、感謝だった。素人のボランティアではこうはいかない。業界内いろいろあるだろうけど、私はボランティアという形態が嫌いで人にお願いする時は必ずちゃんとギャラを払うこと、それがたとえ数千円とかめっちゃ少ない金額でも…というのを身上としてきた。が、今回はついに甘えてしまったのだった。

でもお二人に社交辞令かもしれないけど「楽しかった」と言ってもらえて、心から思ったんだ。手前味噌かもしれないけど、そうか、人は人の役にたちたいんんだな、って。そう思っていいんだな、って。確かにいつぞや鷲野氏が話してくれた2つの人類の話とか、NHKでやってた人類誕生のドキュメンタリーなど、思い当たることがある。人間は強いから生き残れたのではない、互いを思いやる心が人類を発展させたのだということ。

もちろん毎度毎度ボランティアお願いしてたら、それはよくない。でも今回ほんとうに自分は具合悪かったし、スタッフの人数は一人でも欲しかった。ありがとう、ありがとう。

だから今、病気の私が言うのも都合が良すぎるかもしれないけど、人に頼ることを極端に嫌がってはいけない、と思うんだ。みんな誰かの役にたちたいのだ。そして、だからこそ、自分に余裕があるときは人に精一杯よくしてあげようと思う。

これが病気になって学んだ重要なことの1つだ。病気になると人間が丸くなって良い人間になると聞いていたが、おそらく病気を通り抜けることができた時、私は前よりもさらに白・黒はっきりさせたがる強くてキツい人間になっていることだろう(笑)。人の好き嫌いもおそらく前よりもクリアになると思う。嫌いな人にはもう会わない。でも、またお世話になったり自分が応援している人に対してはうんと役にたちたい、と思える人間になれると思う。その点だけは進歩ということになるかもしれない。将来の自分が忘れないように書いておく。

もうすぐ来日するゴサード姉妹のプレイリストが良い。選曲のセンスあるね、彼女たち。



これ、なんだと思います? 実は「しょうが」なんだよね。芽が出てきたので面白くて植えてみたら大きくなってきた。水をあげるたびに生姜のいい匂いがする。