日向敏文さん

どうやら「東京ラブストーリー」がリメイクされるらしい。そんなニュースが流れてきたので、日向敏文さんのことを思い出した。

この大ヒットドラマのサントラを担当した日向さんの音楽が、このリメイク版にまた使われるのかどうかはわからないけど、「リカのテーマ」を聞いて懐かしく思う人が多いんじゃないかな。

日向さんは演出家に「急に走り出す感じ」の曲が欲しいと発注されて、この曲を作ったってインタビューで話しておられた。なんかわかる(笑)

あと「Good Evening, Heartache」とか、泣けるよねぇ〜。こんな綺麗なメロディ、絶対に心の優しい人じゃないと書けないわよ。

You Tubeで検索したら、素人さんたちがカバーしている映像がたくさん出てきた。確かにこれは弾きたくなるメロディだわ… 私もピアノをまた弾き始めようかと思っちゃった。(小学生の時まで弾いていた)



日向敏文さんは、私がもっとも尊敬する日本の作曲家、音楽プロデューサー。こちらの曲も覚えてらっしゃいますか? かっこいいよねぇ、ちょっと日本人離れしているセンスというか。



続いて紹介する大ヒットしたこの曲も日向さんの作曲だ。こちらは2000年に入ってからかな? こちらも演出家の依頼で、恵美さんの声にあうメロディをということで「挿入歌」として制作されたもの。でも結果メインのテーマ曲よりヒットしちゃった。

いま聞いても、本当にいい曲。恵美さんはメアリー・ブラックとかも好きで、アイルランドものを結構応援してくれていたっけ。

「Water is wide」とか、ライブで歌ったりしてさ。南青山マンダラとかに観に行った記憶がある。そのル・クプルがこんな大ヒットになるなんて思わなかったけど、この歌の優しいメロディは恵美さんの声に本当にぴったりだ。確かこの曲で紅白でなかったっけか?



なんで、私が日向さんを知っているか、って? 

ふふふ、自慢しちゃおう。実は、私は91年に某メーカー勤務をやめて以来、しばらく旅行業界にいて、また94年くらいに再び音楽業界に戻ってきたんだけど、音楽の世界に戻ってきた最初の会社はPR会社だったんだよね。

友人が社長だったので、本当に楽させてもらったし甘やかされていた。そこで今のアイルランド音楽の輸入盤の事業をたちあげて、それが上手く行きはじめて最終的に独立できたのだ。だからその社長には今でも頭があがらない。

今は彼女も業界を離れてしまったけど、あんなに仕事ができる人はいなかった。本当に今でもすごく感謝している。Aっち、どうしてるかなぁ。SNSとかやらない人だから、最近どうしているかはわからないけど、元気にしてるといいなぁと思う。

ただ彼女には本当に申し訳ないんだけど、PR会社の仕事は正直楽しくはなかった。というのもバカな音楽ほど予算が大きかったから、お金のために自分が良いと思える音楽ではない仕事をしなければいけなかったからだ。

でもよく考えればわかるよね。バカな音楽の方が売れる可能性が高いから、宣伝費も比例して大きくなるわけで、外部のPRスタッフを雇うとなったら、当然そういう因果関係になる。若い新人の女の子のプロモーションで「肩だし、足出しオッケーですんでー」とかなんとか言って、フライデーのカメラマンさんにグラビアを売り込んだりもしてたが、今となっては、それも懐かしい思い出。

そういう音楽とは関係ない、でも広告費に換算すると大きくなるみたいな仕事の結果が予算を出してくれるクライアントさんに喜ばれていたあの頃(笑)。

そんな中でほぼ唯一といっていいほど好きな仕事が日向敏文さんのプロモーションだった。アルファレコードのTさんがこの仕事をくれたのだ。ありがたかった。

もっとも日向さんは、今、バラしてしまうと、インタビューはあまりお好きではなかったようだ。そもそも音楽を言葉で語ったところで限界あるだろうと思っていらしたんだ思う。

でも受けた取材に対しては一生懸命、真摯に言葉に語ってくれたし、切り口を音楽以外にしたら思いのほか盛り上がって楽しかった。車がお好きで、確か英国車ファンだったように記憶しているが、そんな話題をもとめて車雑誌のグラビアはずいぶんやったよなぁ。

音楽雑誌よりも部数は多いし、きちんとページをさいてカラーで、日向さんのスタジオに取材陣を案内し日向さんと日向さんの愛車の写真もしっかり撮影して取り上げてていただいた。あ、そうそう、あの時のアルバムのタイトルが『Drive My Car』だったんだ。だから車雑誌中心にあたってみましょう、って宣伝方針になったんだった。思い出したわ…

当時の私はまだ若くて人生の意味をわかっておらず(今も、だけど/笑)日向さんがこのタイトルにこめた思いを本当に理解していたのかどうか謎だけど、日向さんと仕事ができるのが嬉しくて、張り切って、ずいぶん取材を入れたっけ。



その後、私が会社を離れて独立してからだったんだけど、日向さんがベスト盤を出す時にお声をかけていただいた。

その時点で私はライナーノーツ執筆の経験は何度かあったけど、メジャーレーベル下では初めてだったので、すっごく嬉しかった。だって、ソニーですよ、ソニー。それがこちらの作品(笑)。



今、読めばかなり幼稚な文章だが、日向さんに取材の時間をとっていただき一所懸命書いた。日向さんの音楽のことを、CD買ってくれた皆さんに、さらによく知ってほしいと思って、頑張ったっけ。

Facebookをやるようになってからは、日向さんとも自然に交流が再開し、それがすごくよかった。何度かのタイミングでお会いする機会もあり、ウチのライブに来てくださったり、ご飯をご一緒したり…。

そんな時、私の仕事の愚痴を日向さんはニコニコしながら聞いてくれて、私なんぞが、このような日本を代表する作曲家・音楽プロデューサーの大先生とご飯を食べているのが不思議な気がしたものである。いや、本当にありがたいご縁だなぁ、といつも思っている。

それにしても日向さん、表に出るのが嫌なのか、私がライブやりましょうよとか言っても、なかなか首を縦に降ってくれない(笑)。とはいえ、なにせ記録に残っている最後のライブはオーチャード・ホール(笑)。

当時はフジテレビのドラマが最高に受けていた時代だった。だからたぶんいろんな意味で、自分の自由にはならなかったこともたくさんあったと思う。

でも今なら私たち手作りの100人くらいのライブハウス公演で、自分がやりたいことを自由にやれますよ、とかなんとか言って私は日向さんを担ぎ出そうとしたのだが(笑)、今だにそれは実現してない。

ふふふ、でも日向さん、私は諦めてないし、焦ってもいませんよ。縁があるなら、必ずなんらかの形でまた一緒に何かお仕事ができる。そう思っています。

日向さん、今は主に何をされているかというと、やはりテレビのドキュメンタリーの音楽を担当されているそうで、2月1日にその番組が放送になる。こちらの番組(リンクあり)。

お話によると弦カル使って録音したんだって。コンサートとかCDの収録ではできないであろう長くて自由な曲を作れる、って面白がってらした。いいなぁ!! 放送が楽しみ。

そしてなんとふと気づけばオランダで、こういうのも発売になったそうで…。かーーっっ、プレイヤーないのにポチっちゃったよ。断捨離作業中なのに! でもLPって持っていたいじゃーん!?







そうそう日向さん、ご自分でCDも出してらっしゃるのですよ。でも、今、アマゾンのリンクを確認したら、えらい高額になっちゃってる。あぁ、もう在庫終わっちゃったのか?!



それにしても、あの当時出会ったアーティストの皆さんの中には、「どうでしょう」の樋口了一さんとか、九州のフライイング・エレファンツの皆さんとか、今でも交流が続いている方が多い。

知り合ったばかりなのにまったく盛り上がらずあっという間に疎遠になる人も多いのに、こんな何十年も前のことなのに、なんでなんだろう。本当にありがたいことだ。SNSもお互いの様子を確認できるから、本当に便利だ。

それにしても懐かしいなぁ。あの頃は自分が好きな音楽で身をたてられるなんて夢にも思っていなかった。あの頃の自分が望んでいた自分になれている自分がいる。あの頃があるから、今の自分がいる。

そして今でも「日向さんのプロモーションやってたんです」っていうと、業界内からは超尊敬の目でみてもらえる(爆)。

本当に、今の私の活動を、私が関わらせていただいた全ミュージシャン、そして仕事仲間の皆さんが時々見てくださっていたら嬉しいし、その時、「なんじゃこりゃ」と恥かしく思われないように、しっかりとした仕事を自分もしていかなくてはと思う。

「野崎は若い時は仕事できなかったけど頑張りだけはあって」って、思い出してくださる、こういう人脈ネットワークは私の誇りだ。

しかし「東京ラブストーリー」…そうかぁ。でも実はドラマの方は見たことないんだ、私。その頃すでにテレビは卒業していたらしい。何年だっけ、あれ…(爆)漫画も読んでないわ。とほほ。

さぁ、明日の自分はどんな自分になっているのかな。今日も張り切ってまいりましょう。