まずは初来日時の写真から。懐かしいなー
カメラが小さい…
2004年の初来日後、私はすぐスウェーデンに行った。次に載せたのはその時の写真。ストックホルムにて。当時、アメリカのNo Sideのロブ・サイモンズがスウェーデン在住だったんだよね。懐かしいなー。ロブはもともとライコ・ディスクにいた人でアメリカの音楽業界人の中では有名人な人。彼の貢献なくして現在のヴェーセンはありえない。
今回の「バンドにエイド」でも、バンドが持っている原盤(マスターライト)はおそらくロブとバンドの共同原盤なんだけど、ロブが「全部バンドに直接払ってやってくれ」と言ってくれたからすべてがスムーズに実現したのだ。ちなみに彼はアメリカ人なんだけど、ポーランド系ユダヤ人のお家らしく、どういう経緯で北欧の音楽が気に入ったんだろうね。いつかゆっくり話をしてみたい。(奥様は確か北欧系のアメリカ人なので、そっちルートかもしれない)
この時のストックホルムに見に行った公演はおもしろくて、街中にある300人くらいのホールで、昼間の公演で、ラジオの中継だかなんだかがあり、なぜか飲み物と軽食もあったかな… 飲みものっていっても北欧でよく出てくる水にラズベリーの色つけたみたいなあんまり意味のない飲み物(爆)。あぁいう飲み物がこの世に存在するってのも初めて知った…。で、ロブが会場を案内してくれたんだ。それで私たちは会場の割と後ろの方で見ていたのだけど、公演を見ていてロブが「あっ、ローゲルが今、お前に気づいたぞ」と言ったのを覚えている。たぶんローゲルは演奏しながら会場を見渡していたのだろう。そしてロブに気づき、隣にいる私に気づいたようなのだ。笑える。ローゲルは演奏しながら「奴がきた!」とウーロフに話しかけたのだが、演奏中のウーロフは話すことができずアワアワしていたらしい。もちろんヴェーセンは驚かせようと彼らに私がいくことは内緒にしていた。
その後、何度も彼らに会いにヨーロッパにアメリカに飛んだが、毎回黙っておいて突然いくってのが気に入っている。一度はヴェーセン帰国の飛行機に私も同乗し、そのまま自分のヨーロッパ出張に行ったということもあった。(もちろんその時も私は一緒に飛ぶことを彼らには黙っていた)でも勘が良いミッケにわたしが妙に嬉しそうにしていることから、そのことがバレてしまったのだ。あれは爆笑ものだった。地方を回ってきてからの成田だったので、大きめのカバンを持っていることについては疑問は持たれなかったのだが、突然ミッケが「で、ヨーコ、席はどこ?」って聞くから本当にびっくりした。もっともミッケはその時確信があったわけではなく、単に「ひっかけ質問」だったのだが、私はひどく動揺しバレてしまった。ほんとは機内で「あれっ、偶然だね」ってやろうと思ってたのに!!
驚かし作戦は私は大好きで古くはメアリーからルナサ、ポール・ブレイディ、最近ではバルトロメイ・ビットマンまで、とにかく突然訪ねて行くのがクールでかっこいいと思っている。前もって言っておけば彼らもミーティングの時間をセッティングしてくれたりして、忙しいのに申し訳ないし、それに普段はバラバラの街に住んでいるから一度に会うことは手間だし、よほど直近で日本での公演やリリースがない限りは無闇に呼び出すのも申し訳ない。だからこの「驚かし作戦」は私は大好きなのである。
この写真は2回目の来日かな? 鎌倉にて。
こちらは代官山での公演。この時は本当にいいツアーができたよな…
カルテッドのヴェーセンも素晴らしくて、アンドレが来た時は楽しかったなー 「リネウス・ヴェーセン」というCDを出した時だった。トリオのヴェーセンとはまったく違い別のバンドみたいだった。アンドレは今、スナーキー・パピーの人がやってるインタナーナショナルなバンドのパーカッションをしている。なんて名前だっけ…あのバンド。ボカンテだ、ボカンテ! Blue Noteでの公演、見に行ったよなー
こちらはそのスナーキー・パピーとヴェーセン。ヴェッカ・スティーブンスの歌だよ!
楽屋お寿司ぃ〜〜!
イラスト by ウーロフ。ウーロフはこういう漫画っぽい絵を描くのがうまい。っていうか、一時期プロだったんじゃなかったけか… 焼肉屋の石焼きビビンバ。
いつもありがとうございます。楽屋にいただきいた差し入れー ニッケルハルパすごい。素敵。
上の写真はどこかの学校での公演。ヴェーセン先生なのだ!!
ヴェーセンの来日公演を思い返せば、バンド結成25周年公演も思い出深い。ゲスト:JPPってのがいいよね。あの時もこのCDの制作時と同様、一番大事なことは何かをよく考えた。ヴェーセンのゲスト、誰だったらお客さんがもっと呼べるだろう…うんぬん。でもそうじゃない、ポイントはそうじゃない。大事なのは最高の音楽を届けること。最高の北欧の音楽って? それでJPPとヴェーセンということになった。これ以上のくみ合わせは考えられない。今思い出しても自慢の公演だ。
そして共演のアイディアを作った。単にJPPを前座にしても面白くないから、こういう展開にしようと。1部ではヴェーセンの単独公演。2部頭でウーロフのソロから始まる例の曲でスタートさせよう!と。ウーロフだけにスポットライトをあてる。あそこの演出は最高にうまくいったよなー
その後、JPPの演奏。ヴェーセンはステージでのんびりシャンパンを飲みながら演奏を楽しむ。なにせお祝いにJPPがかけつけた、ってことなのだから。
ここで、実は2部における「30分のJPPの演奏」はノンストップでやってほしかった! このことはブログに前にも書いたっけ? ま、いいや、もう一度書くと、ヴェーセンのファンというすごく音楽的にも最高級の耳を持った人たちが集まった公演なのだから、JPPには是非実力を発揮してもらい新しいファンの獲得に力をいれてほしかったのだ。特にのxx分、ノンストップ、ってのをやってほしかった。
しかしペリマンニの辞書に「人を感動させる」みたいな作為的な言葉はないのであった。この日彼らはのらりくらりと新曲をやっていた。あれはちょっとないよなぁ、なんでここって時に勝負しないんだ。なんて欲がないんだと私は半ば呆れた。
なというかオレの努力が、伝統音楽に負けた瞬間だった。天然のペリマンニたちと仕事をするのは難しい。ただでさえ北欧の演奏家たちは「俺たちの演奏でびっくりさせてやろう」「すごいんだ、俺たちは」という気概に乏しく、そこが一緒に仕事をしていて辛くなることが時々ある。そういう気概も人前に立つ時には必要なのだ。まぁ、それが彼らの良いところでもあるんだけど… でもそんな生き方じゃ人生面白くないだろうよ、とも思う。まぁ、私もいろいろ学んだな…
…みたいな話を実はヴェーセンに打ち上げの場で愚痴ったところ「お前ほど頑張っているんだから、それはストレートに本人たちに言ったほうがいい」とアドバイスしてもらった。ありがとう、ヴェーセン。そう!! ヴェーセンってすごくいいんだよね。なんか私に気持ちをあわせてくれているところがある。あまり彼らのそういう優しさに甘えてはいけないと思いつつも、私もついつい甘えてしまう。
他のバンドやミュージシャンは、日本の空港に彼らを迎えると自分の中の何かのギアが入ったような感覚になる。でもヴェーセンは、ヴェーセンだけは彼らと一緒でも自分の中の何も変わらないんだ。それだけ私が甘やかされてるんだろうなとは思う。本当に本当に本当に素晴らしい人たちだと思う。
でもって最近のヴェーセンの公演は本当に面白いものが作れてるなーという自負もある。彼らのCDは特にコンセプトがあるというわけでもないから、何かお客さんを楽しませる、お客さんを飽きさせない新しいアイディアを来日ごとに考えないといけない。例えば恐竜との共演とか。
実はこの写真はクラフトビールで有名な両国ポパイさんでの写真。ヴェーセンはクラフトビールが大好き。で、ここでご飯を食べていたら、店員さんに「ちょっといいですか?」って言われて「あら、私たちうるさかったかしら」と思ったら「あちらのお客さんがヴェーセンさんじゃないかって言ってるんですけど」って言われた!? まぁ、でかいから彼らは目立つけどすごい確率ではあるよね。もっともクラフトビール屋という当時では都内でもレアな場所なので、素晴らしい音楽=素晴らしいビールということで、価値観は一致しているとは思うのだけど。あれは嬉しかったなぁ。あのお客さんがまだヴェーセンのこと忘れないでいてくれて、今日のブログも読んでくれているといいなぁ、と思う。
こちらはなんとニッケルハルパを持つ、ピーター・バラカンさん!!(笑)
前回の来日時には私が具合が悪くてアテンドできず、できる後輩のAkiko T Musicにアテンドしてもらった。ヴェーセンも私じゃない方が伸び伸びして楽しかったんじゃないか(笑)。
彼らとの最初の出会いはそれこそ前回の来日の時、30周年記念パーチーat Volvoさんでも話したけど、アンビョルグ・リーエンとの会話がきっかけだ。もちろんヴェーセンの音楽は前から知っていた。最初に聞いたアルバムは「ヴァルデンス・ヴェーセン」。当時からヴァルティナのマネージャーをしていた北欧伝統音楽の伝道師フィリップ・ペイジがCDをくれたのだ。「ヴァルデンス〜」を結構愛聴していた私は、2002年北欧の伝統音楽を紹介するレーベルをスタートさせた。最初のアルバムはノルウェーのアンビョルグ・リーエン「エイリアンズ・アライヴ」。
この時のアンビョルグのバンドにはローゲルが参加してたのよね〜。今でも二人は一緒にデュオで活動していたりする。下の映像は「バンドにエイド」のCDにも収録した「PirviとEskoのワルツ」のアンビョルグとローゲルの演奏。
で、アンビョルグをプロモ来日させて北欧レーベルの旗揚げを行ったわけだけど、彼女の新宿の居酒屋さんでの何気ない会話。さてアンビョルグの次に誰を呼ぼうかなぁ…と。
そしたら彼女が「背が高い男性が好きならヴェーセンがいいわよ。みんな2mくらいあるわよ」と言ったのだった。
そう、学生時代〜サラリーマン時代の私を知っている人なら知っているだろうが、私は体の大きな男性が好きで、つきあった男は180cm以下はいない…というくらいなのであった。(あ、数名いたかな。もうあまりに昔の話で忘却の彼方)もちろん「次に誰を呼ぶか」リストの割と上の方にヴェーセンはいたのだが、そこでポーーーンとヴェーセンのリストでの位置が飛び抜けたのだった。本当に何がどういうきっかけになるかはわからない。
そして初来日が決まり、彼らは日本にやってきた。その後、こんなに何度も来日することになろうとは誰も思っていなかった。不思議なもんだ。
彼らのシンプルなメロディに対する楽曲の組み立て方が好きである。たとえばこの曲なんかもそうだけど、こうメロディにふくらみがでる瞬間が大好きだ。それは割とミッケのヴィオラによるところが大きい。もちろんウーロフみたいにものすごいメロディプレイヤー、ローゲルみたいなセンスのギタープレイヤーがいてこそなんだけど。なんだろう、このコード感かなぁ。膨らむんだよね、音楽がね。あのふわっとした感じとか、ほんとたまらない。
選曲は前にも書いたけど、私の事務費用や経費を捻出するために1曲、『LIVE IN JAPAN』から選ばせてもらった。あのアルバム、一応日本国内での原盤は私が持ってるんだ。そこから「建物」と言う名の伝統曲。あれもメロディが膨らむんだよね。2ラウンド目以降の豊さというか、ふくらみがたまらない。そういうヴェーセンの音楽の特徴が出ている曲ということで、これを選んだ。ところでヴェーセンによると曲のテーマになった対象の「建物」は実はもう消失しちゃって存在しないんだって。でも曲は生き残ったわけだ。特にヴェーセンの演奏で。形ある物はなくなるが音楽は生き続ける。
そしてCDに最後に収録した「ピルヴィとエスコの結婚ワルツ」。これはギターのローゲルがエスコ・ヤルヴェラの結婚式のために書いたワルツだ。花嫁がお父さんに連れられて入場していく感じかしら。で、そのピルヴィとエスコの息子、テッポはヴェーセンの大ファンで、こんな感じでステージデビューを果たしている。かわいい!!! こんなふうに伝統音楽はずっとずっと続いていく。
この真ん中の紺色のブーツの子がテッポだと思う。上の動画から3年後のカウスティネンにて。
「バンドにエイド」のための選曲は私が自由にやらせてもらった。ウーロフが普段はマネージャー的仕事をしてくれていて彼が窓口なんだけど、ほんとに最近では何もかも任せてくれる。本当にありがたい。
ヴェーセンは次の来日の日程が一応日程仮押さえみたいになっている。まぁ、前回の近江楽堂連続公演も素晴らしかったし、あれでヴェーセンの来日は終わりでも後悔はないけどね。
それにしても、彼らの活動のためにもこのコロナ禍が収束しますように…