「バンドにエイド」アーティスト紹介:フルック Flook

おかげ様で、「バンドにエイド」のクラウドファウンディングは100万を超えた。なんとかせめて150集まってくれれば、企画自体は赤字にならなくてすむ。ミュージシャンの連中にはクラファン が失敗しても、最低これだけ送るからね、ということでアグリーしているからだ。もっとも合計150万じゃ、アーティスト1組について5万くらい?になっちゃうわけで、なんとか希望の金額を集めて、せめて一組10は送りたいんだよな。果たして…

今日ご紹介するのはフルック。フルックについてはいろいろあった。バンドが解散してた時期も8年あったし。ウチでもっとも付き合いの長いバンドの一つ。なんかここまで長く一緒にやってると、一緒にやれていること自体に幸せを感じられる。長く連れそってる夫婦みたいな感じ? セーラ、ブライアン、エド、ジョン・ジョー。みんな大好き!

そうそう、この下の写真の時の来日ではビル・ジョーンズも来たんだっけ。ビルとフルックって音楽的にすごく相性いいかなと思ったんだよね。ビルは当時英国ではほぼ引退してて、この来日のあと、また活動を復活させて、すごく良かったと思う。この来日が多少でも作用していたとしたらすごく嬉しいなぁ。なんかこれもすごく前のことのように感じる。懐かしいなー

磔磔。お客さんいっぱい入ったなぁ。ウチの磔磔のお客さん新記録だったかも。
フルックは結構食べ物は偏食系。エドをのぞき彼らは明らかに日本食のファンではない。よく行くのはタイ。そしてインド。イタリアンも好きだね。ベジタリアンが二人いるから、インドは助かるんだわ。ちゃんとした場所に行けばメニューは全世界共通だから、あれこれ説明しなくてもすむ。
こちらは京都のネパール料理屋さん。かわいい店長さん。そういや赤ちゃん無事に生まれたかしら。
このネパール料理屋さんには、その前の来日時に初めて行って、ライブ終わって遅い時間なのにいやがらずに親切にしてくれたんで、すごい感謝でまた再訪した、というわけ。それにしてもミュージシャンに優しい店は本当に助かる!!! ヤク&イエティさん。このコロナ禍でもどうかご無事でありますよう… あの店が無くなったら、困る。
フルック、最初に出会ったのは、いつだっただろう。なんかすごい僻地にライブを見に行った記憶あり。ブログがないと、もう何も覚えていない(笑)。当時はまだCDリリースだけでライブはそれほど積極的にやってなかったのだけど、彼らからファーストスタジオ作品の「フラットフィッシュ」を結構な量、輸入した。かなり売れた記憶がある。まぁ、当時は時代が違ってたからなんだけど。今思えば、よく売ったよ。内容はもちろん最高だけど、今あれを手にして「すごい! この作品!」と思えるかというとそうでもない。彼らが突出して素晴らしいバンドになったのはスタジオ盤セカンドの『ルーバイ』からだ。『ルーバイ』はどこに出しても恥ずかしくない最高の作品だ。

彼らに目をつけたのはルナサをやってたベッキー・モリスがマネジメントしてたバンドだったから。ベッキーは実は今はもう伝統音楽の仕事をしていない(クラシックの仕事をしている)のだけど、私たちはかなり仲良しだった。彼女の音楽の趣味は良かった。マンチェスターの出身でいわゆるマンチェスター・アイリッシュ業界の中心にいた人だと思う。その後、ベルファーストに移り住んだ。最後に会ったのは確か10年以上前のベルファーストだったけど、今、何をしてるんだろう。SNSをいっさいやらない人なので、まったく動向がわからない。私と最初に会うちょっと前に大きな自動車事故にあって死ぬかと思うようなめにあい、「これからはもう好きな音楽の仕事しかしないと誓った」と話していた。ベルファーストで会った時は、一緒にシャロン・シャノンのコンサートに行き、当時のルナサはシャロン・バンドとドナ&トレヴァーのスケジュールの取り合いだったから「私のバンドのベースとギターが」なんて呼び方をベッキーはしていた。そのくらいハートがある人だった。あのMy bandって言い方がいいなぁ、と思い、私もしばらく真似をしていた。

そのベッキーを紹介してくれたのは、さらに遡ってクライヴ・グレッグソンの当時のマネージャーのジョン・マーティン(ギタリストではない)だった。確か某デパートの英国展みたいなところで演奏するのに良いいわゆる営業バンドを私の友人の音楽事務所(日本の事務所)が探していて、私はそのコーディネイトを手伝っていたのだが、ジョンがその時「彼女は交通事故にあったりして大変だったから彼女にこの仕事を紹介するよ。僕より適任だし、本当にたくさんバンドも知ってるしきちんとしてるよ」とベッキーを紹介してくれたのだった。そういや、クライヴはベッキーを子供のころから知ってると言ってた。ベッキーのご両親はどうやら地元マンチェスターのフォーククラブを運営していた、とかだったらしい。(もう記憶があやふや)

まぁ、こんな風に人脈はつながっていくわけだ。その英国展での来日は結局流れてしまったのだけど、スケジュールも具体的に押さえられていたこともあって日本側の私の友人がきちんとキャンセル料を払ってくれた。なので私もちゃんとベッキーにキャンセル料を払えた。ベッキーは「普通こういうことでキャンセルになってもちゃんと払ってもらえることは多くない」と言って感激してくれた。こういう細かいことが将来の信頼関係につながるのだ。

それにしてもフルック。「バンド」って本当に大変だと思う。明確な一人のフロントマンがいるところは、それでもまだわかりやすい。でもバンドはいろんな意味で民主的であり、それを維持していくのは本当に至難のわざだ。彼らを見ていると、私だったら絶対に無理、といつも思う。私が出会った時のフルックは、すでにベッキーのマネジメントも離れ、4人で頑張っていた。男の子たちは音楽を演奏すること以外の才能はあまりないので(笑)マネジメント的なセーラが一切引き受けていて、すごく頑張っていた。彼らの立ち場は英国のいわゆるフォーク・マフィア系とも違ったし、ブライアンはいわゆる「ヴァレリー家」がほぼすべてを掌握しているアーマーの出身で(この件はまたあとで何かの機会があれば書く)、だけどそのエリアには拘らず、他のバンドとは違う、そしてこれまた一匹狼ってのとも違う立ち位置を確保していたインディペンデントなバンドだった。セーラはオックスフォード出のインテリだし、とにかくサラブレッド的な二世連中が活躍するのとは、また全然違うセンスがあった。そういうセンスが私は好きだった。下手なのは練習すればなおるが、センスはなかなか治らない。

だからちょっとロックバンド的なところが彼らにはある。なので、ある程度コマーシャルベースにのったバンドなら、また違うだろう。生活のため、お金のためにみんな我慢してバンドを続ける。そういうビックなバンドも多い。楽屋で、みんな目をあわせない、とか。

その点、フルックは良くも悪くもすごくお互いが民主的で、すごく近い。お互いがお互いのポケットの中に生きているところがある。そしてみんなで一緒に大人になった。バンドのお母さん役のセーラが男の子たちをよくまとめている。男の子たちはセーラにすごく頼っている。セーラはセーラでまた別の部分を男の子たちにすごく頼っている。誰一人として同じ性格の人はいなく、いろんな性格の人が集まって、ほんとうにお互いがお互いの中に生きてる。そういう感じだ。

他の、いわゆる上手い「だけ」の連中がバンドを組むたびに「あ、このバンドは続かないよ」って私にはすぐわかるのだが、フルックみたいな奇跡はそう滅多には起こらない。

彼らは一緒にツアーしていて本当に楽しいバンドだ。笑えるのは彼らが「クリスとジョージ」とお互いを呼ぶことだ。いつもお互いを呼ぶ時、セーラはクリス。他の三人はジョージ。なんで、そうなるの?と聞いたら、昔フェスティバルで夫婦に出会い、その夫婦がお互いを「クリス」「ジョージ」と常に呼び合っているのが面白いと思った4人は、それを真似しているうちにバンド内で定着したとのこと。バンド解散明けの初来日時に、まだ「クリス」「ジョージ」と呼び合ってるから「あなたたち、まだそれやってんの!?」と私も呆れたのだった。そしてだいたい1本のツアーが終わるころには私も「クリス」になっているのだった。みんなと仲良くなれたようで嬉しい(笑)

そんなフルックもいろいろこじれて8年くらい解散していたのだけど、エドはフルック解散時期にルナサに加入して、今はルナサのギタリストとしても頑張っている。エドとは、なんかそんな風にお互いこの業界長いよね…みたいな話になるのが、なんか良いんだよね! いや、ほんと消えていった人もいる、去った人もいる、なくなった人もいる、でも私たちはまだ一緒にやれているよ、と。そっちも頑張っているよね、こっちもだよ、みたいな。

フルックの2018年10月の来日時は私は手術上がりでヘロヘロだったけど、それでもみんなに助けられて優秀な後輩の助けを借りつつ、なんとかツアーを終えることができた。内容もすごく良くていいツアーだった。できれば新作とちゃんとシンクロさせたかったのだけど…  フルックはアルバムを「もうすぐ出す、出す」といってはリリースしないリリース詐欺みたいなことになっていた。このツアーをブッキングした頃(たぶん2017年の前半)、「そのころには新譜が出ていることでしょう」と言っていたのだが、当該の新作は、この来日公演が終わったあとの3ヶ月後くらいにリリースされた。まったく多少前に仕上がっていればツアーが終わったあとのリリースだったとしてもインタビューくらいは仕込むなりできたのに(笑)

まったく「バンドある、ある」だ。みんな「新作が出る」「誰々と共演する」みたいな話をして風呂敷を広げるのだが、その話は話20%くらいに聞いておいた方がいい(笑)。ま、いいんだけどね。そういうのにも慣れた。なんかもうそういう苦労は別にいいいんだ。みんなが元気で幸せでいてくれたら、それでいいんだ。何よりライブの時の演奏がいいと、それだけで許しちゃう。

前回のツアーでは、みんなにギャラも結構払えたし、このまま「あれがフルックの最後の来日でした」でもまったく後悔ないのだけど、あと1回。あと1回は呼びたいよなぁ、やっぱ。

「バンドにエイド」の選曲はセーラが速攻でこの曲を選んだ。私が病気して良かったのは、大好きなバンドが曲をプレゼントしてくれたことだ(笑)。この曲は2018年の11月名古屋での公演で、ブライアンは出来立ての新曲に「Ocean Child」とつけて演奏してくれた。最初「Sun Child」と呼ぶので「私の名前だったらOceanだよ、小野ヨーコと一緒だ」と言ったら、「Ocean Child」になった。この仕事をしている役得である。すごくかっこいい曲で、ここだけの話ヴェーセンの「台風のざき」よりこっちの方が気に入ってるんだ。ヴェーセンには内緒だよ。

これバンド結成何年かのときのツアーだよね。南青山マンダラにて。お祝いのケーキ。


これは名古屋の写真。皆さん、お世話になりました〜


日本にくるとみんなデジカメをはじめとする電化製品を買っていたあの頃。