初来日時に通訳の丸山京子さんと。これは…読売新聞のロビーかな。すっかり丸山さんになついちゃったウォリス。ブルーのカーディガンは私のものです。冷房がきつかったから貸してあげたんだけどウォリスのこの時の髪の色に似合ってる。
ウォリスのことを考えると、涙が出ちゃう。とにかく優しい人だ。自分よりうんと年下なんだけど、すごくウォリスのことを近くに感じる時がある。ウォリスはアイルランドのお母ちゃんだ。不思議な人だ。そういえばポールも言ってた。アイルランドの古くからいる典型的なお母ちゃんの性格だよね、彼女ってって。
ウォリスのことを初めてみたのはフェスだかTVの収録だかもう記憶がないが、他のアーティストを見に行ったとき偶然見かけた。あぁ、あの子がそうか、と。で、その時はあまりピンと来なかったけど、ある日のこの映像見てすごいな、と思ったんだよね。2009年くらいの話。
で、そっからウォリスに日本に来ないか、ずっとずーーーっとラブコールをしていた。ウォリスにはドイツ人のマネージメントがついていて、マネージャーはそもそも日本マーケットに興味がなかったみたいだった。一度ヨーロッパ内で交わしたミーティングのアポを直前にドタキャンして、ちっくしょーと思ったこともあった。それでも諦めず、何かと機会を見つけてはメールを出し続けていたのだ。
「ニューアルバム聞いたよ」「この映像いいねー」とかなんとか。「メアリー・ブラックと話したら(と、さりげなくオレはビックなアーティストととも長くやってんだとメアリー・カードでアピール。ありがとう、メアリー)、彼女の娘がウォリスの大ファンだって言ってたよー」とか。他愛のないこと。でも、こうやってコンタクトを取ることが人との信用獲得のプロセスでは必要なんだよね。でもアイルランドのマネジメントだったら、どっかの取引先から援護射撃を入れられただろうから、ほんとすべてはイバラの道だった。ドイツ人マネジメントに対して私はまったく無力だった。
ところが、ついにマネージャーが反応を見せ出した。そして、私はどっかメジャーにベストCD出してもらって、それを核にプロモーションツアーを作るからやってみない?と提案した。ベストCDは、当時仲良くしていたキングレコードさんに出してもらった。(ありがとう、キングレコードのNさん!! ここでメジャーで出せるか出せないかは新人アーティストにはデカいのだ)そしてツアーが決定し、空港で初めましてじゃなんなので、ドイツまで彼女の公演を見に行ったのだった。もちろん、それはすごく良かった。公演が終わったあと日本ツアー用にコメントを撮ったり、確か毎日新聞用に服部のり子さんの取材用の質問を持ってきていて、ウォリスにライブ前に質問に答えたりしてもらった。その時から、めっちゃいい子だな、この子と思ったのだった。ウォリスとエイダンは車で私を私のホテルまで送ってくれた。
ウォリスはアイルランドのエニスコーシーという田舎町で育ち、兄弟姉妹たくさんの家庭で、下から2番めだったかな。ギターの演奏がユニークなのは、子供のころに芝刈り機で指を4本飛ばす事故にあい、それでギターを反対に持つようになったからだ。だから一番太い弦が一番下にくる…とインタビュー記事ではよく説明されているが、でもよくよく聞いてみたら、彼女はもともと左利きで、自分のギターを手に入れたのはかなり歳が行ってからだった。自分専用の左利き用ギターが購入できず、右利き用の普通の人のギターを長く使っていたらこうなったということらしい。
しかしこの芝刈り機の事故は本当にご両親を心配させたそうで、大人になってからお父さんの芝刈り機の前に倒れ込むふりをしてふざけたら、マジでお父さんにキレられたとウォリスは言ってた。まぁ、親にしたら、そうだよね。今でも彼女の指はなんだかへんな形をしているのだが、それを取材でもなんのためらいもなく見せてくれる。爪がないところの指は「今でもギター弾くと痛いんだー」とか言ってた。「でも当時これだけの手術ができたんだから、すごいわよね」と。
何はともあれ、そうしてウォリスは元気に日本にやってきた。以下、初来日時の写真。
そうそう、あとシャロン・シャノンの来日したケルティック・クリスマスにウォリスがゲストでたことがあったっけ。あれもすごく楽しかった。シャロンのゲストとして歌って、ステージから戻ってきたウォリスをプランクトンの川島社長が抱きしめて「ウォリス、あなたは本物のソウルシンガーだ、素晴らしい」って言ってくれたのに、涙が出た。恵子さん、プランクトンの皆さん、本当に本当にありがとう!!
さて、一番最近、彼女が来日したのは去年の2月だかで、オーストリアに行く途中に寄ってくれたのだが、私は当時体調がひどく入院中で、現場はスタッフに任せ、病院に外出届を出して公演だけ観にいった。もうヘロヘロになりながら。加えて病院の門限があり、アンコールを見れなかった。月見ルでやったスタンディング公演はすごく彼女に似合ってたし、演奏もすごくよかった。翌日、彼女は花をかかえて病院まで私をお見舞いに来てくれた。
ここからあとの写真は船橋岳大くん。私が死んでいたので、この時のミニツアーは彼がアテンドしてくれたんだわ。ほんとにおつかれさん! また彼は当時フルタイムで某音楽事務所で働いていたのだけど、彼を快く貸してくれた(笑)H事務所社長のYさん。ありがとうございました。実はYさんは、その後、私より若いのに病気で亡くなられてしまったのだけど… 本当に本当にお会いしてお礼が言いたかった。
そうそう、この来日には、ウォリスのガールフレンドのトレイシーも同行していた。キングレコード最後に出したアルバム「ホーム」のアルバムのジャケットでは、彼女を抱きしめているウォリスが写っているのだけど「日本で、あのジャケットは大丈夫だった?」とウォリスはすごく心配していた。みんな素敵なジャケットだって褒めてくれるよ、何も悪いことなんかない、って言ったら嬉しそうだった。アイルランドは最近同性婚が国民投票で認められた素晴らしい国だが、やっぱりカトリックの国ゆえに保守的な部分もすごくある。ちなみに彼女が育ったのは、あのシアーシャ・ローナンが主演の映画『ブルックリン』にも出てくるエニスコーシーという街なのだ。どんな子供時代だったかは想像できる。当然メジャーデビューした時は、そのことを黙っておくようにときつーくレコ社から指示が入っていたそうだ。うーん。
正直、ベスト盤出して取材いっぱい受けて、ライヴが成功して、またその後すぐの再来日だったので、もっと派手でポップな曲が欲しいと思ったのも事実だけど、この時のウォリスの気持ちをキャプチャーした深くて良い作品に仕上がった。このプロモ映像の、自分の愛をついにみつけた、っていう、最後のトレイシーにキスするウォリスの笑顔がまぶしい。
さて、こちらはアイルランドのオーケストラとの共演。ウォリスの年齢では手にあまるかもしれない名曲を心を込めて歌っている。