オヤマダアツシさん、ありがとうございました。本当にお世話になりました。

 


音楽ライターのオヤマダアツシさんが亡くなられた。ショックだ。

具体的にご一緒したのは実は数えるほどしかない。むかーしむかし音楽之友社でケルト音楽のディスクガイドを出した時。95年くらいか? あの時小山田さんって音友の社員だったのか、それとももうフリーでやられていたのか。全然記憶にないが、青山で打ち合わせしたのだけは妙に覚えている。そのあとは上にはった記事、カンパネラという音楽雑誌でのインタビュー(アンビョルグ・リーエンの来日時の記事。たぶん2004年くらい)で再会。これは私がカンパネラさんに持ち込み、偶然オヤマダさんがインタビュアーとしてやってきた、というもの。いやー ご無沙汰しています、みたいな状況だった。それからしばらく交信は途絶えていた。

でもfbで再会してからは、結構楽しい交流があった。特にバルトロメイ・ビットマンを立ち上げた時、プレス資料を送ったらオヤマダさんは長い長いメールをくれて「こんなに熱のこもったプレスは久しぶりにみた。がんばってください!」と言って、ここにあたったらいいよ、あそこも味方になってくれるよ等々、アドバイスをたくさん送ってくれた。あれは涙がでるほど嬉しかった。

最近は心臓の関係で闘病されていて、入院をしたりもされていたので、入院先輩の私は先輩風をふかせて、オヤマダさんに保険のこととか高額なんちゃらのこととか教えてあげたりしていた。それで妙に交流が深まったということもあった。また最近、能町みね子さんの『結婚の奴』を読み感化された私が「誰か恋愛感情抜きに同居してくれる人いないですかねー 週2日くらいでー」とかふざけて(いや真面目に)ブログに書いたら「いいですねー、うちも両親も高齢だし、もしかしたら東京の荷物置きとかに検討したいです」と連絡をいただき、今度コロナが収まったら下見に来るみたいな話もしていたのだった。しかしそれは下見にもならずに終わった。もしかしたら面白い展開になっていたかもしれない。いや冗談だったのかもしれないが。へんな噂になるのも面倒だったから、黙っていたけど、オヤマダさん、この件、ばらしてもいいよね。

それにしてもオヤマダさんもfb大好きだったから、亡くなられた今、「僕、死んじゃったんですよー。死ぬ時ってね…」とおもしろおかしく書き込みたいと思い、それができなくて悔しがっているに違いないと思う。確かに小山田さんのfbは8月で更新が止まっていたので、ちょっと心配していたのだった。(ところでfbには追悼アカウントというのがあって、管理人を指名できる。私は英語もできる後輩を勝手に指名しているのだが、私が死んだ時はたのんだぜよーーー・笑)

しかしオヤマダさん、なんでいっちゃったんだよ、ばかーーーっっっっ。本当に納得できない。納得できないというのがまた納得できない。本人も納得してないに決まっている(と、決めつけるのもよくないが)。

それにしても、亡くなるってあるんだな、と思った。病気になっても、基本絶対に死なせないのが日本の医療だと思っていたし、それは確かにそうなんだけど、でも本当に亡くなるってあるんだなと思った。大きな難易度マックスな手術しても生きている私は、本当にラッキーとしかいいようがない。オヤマダさんは病気とも前向きに闘ってらした。いや、戦うって感じでもなくナチュラルにできることをしっかりやる、みたいな感じだった。そこがとてもかっこよく、見ていて安心できて、友達のためにも私もこういう風にあるのが理想だな、と思ってみていた。わたしも、勇気をたくさんもらった。勇気をもらった人は多いと思う。病気になって知るのだが、病気としっかり向き合えなくてダメになっちゃう人は本当に多い。また向き合いすぎて病気がなおったあと脱力して生きる気力をなくしてしまうバランスの悪い人もこれまた多いと聞く。だからその人らしくそのままでいられることはとても幸せなことなのだ。そういう意味ではオヤマダさんはきっと最後まで幸せだった。

オヤマダさん、私はまだこっちにいないといけないみたい。だからがんばります。見守っててくださいね。

この本、大好きなんだけど、オヤマダさんが解説を書いておられる。

林田さんが、しっかりまとめて書いてくださっている。これ見て、なんかちゃんと私もこのブログに書いて残しておこうと思った。

オヤマダアツシさんの訃報、喪失感が大きすぎて、まだ信じることができない。 自分にとっては本当に身近な、ある時期は二人三脚といえるくらいに一緒に仕事をしてきた仲間であり、もっとも信頼できる音楽ライターのひとりだったオヤマダさん(かつては山尾...

Linden日記(林田直樹)さんの投稿 2020年9月14日月曜日