口から外に出る言葉よりも、口に出せずにのみこんでしまった言葉の方がずっと切実だってことだよ。オレの未遂ツイートがどれほど豊穣であるのかについては、死後、誰かが発掘したうえで検証してくれ。たのむ。
— 小田嶋隆 (@tako_ashi) October 29, 2012
報道機関の強さのひとつは、「苦情慣れ」しているところにある。インターネットが動き出す以前から、放送局や雑誌の編集部には、毎日大量の苦情が押し寄せていたわけだから。こういう時代になった以上、マスコミは、苦情対応のコツを一般企業に向けて公開すべきだと思う。
— 小田嶋隆 (@tako_ashi) August 16, 2011
SNSを利用するうえでむずかしいのは、攻撃欲求を発散させるためには匿名の方が有利である一方で、承認欲求を満たすには実名の方が好都合なことだ。もっとも、恥知らずのウソつきは両方の欲求を同時に満たすことができる。
— 小田嶋隆 (@tako_ashi) February 18, 2012
ヘビーなネット依存者がインターネット環境を持たない人々に対して抱いている優越感の巨大さを見ていると、ネットメディアが供給している主要な恩恵が、情報それ自体ではなくて、自尊心なのだということがよくわかる。
— 小田嶋隆 (@tako_ashi) March 25, 2012
マスゴミが情報を操っているとか思ってる人たちは、雨を降らせてるのが気象庁だと考えているのだろうな。
— 小田嶋隆 (@tako_ashi) March 25, 2012
実生活でもネット上でも、われわれは思っていることの半分しか言葉にできないわけだが、別の見方をすれば、言えない半分を背負っているからこそ、言葉は重さを持っている。そういう意味で、言いたいことを全部言えてしまう環境の中から発せられる匿名の言葉を、私は、本当の言葉だとは思わない。
— 小田嶋隆 (@tako_ashi) October 29, 2012
アイドル評論と学問的な仕事を同時にこなすことで何かのバランスを取ってるつもりでいる人たちを見てると、食通自慢のディレッタントがカップ麺大好きだとか言って韜晦したがるのと似た感じを受けます。見ててつらいのでやめてくれたらうれしいです。
— 小田嶋隆 (@tako_ashi) December 16, 2013
彼らが反対している対象は、「別姓」ではない。彼らは「自由」に反対している。 ここがキモですね。
— 小田嶋隆 (@tako_ashi) February 16, 2013
ツイッターのブロックは、自分の耳をふさぐ機能であって、相手の口をふさぐ措置ではない。だからブロックされた側が言論弾圧されたみたいな言い方をするのはおかしい。自分の声を相手に届かせる権利より、先方が耳を塞ぐ権利の方が優先されるのは当然だよ。相手が公人なら話はまた別だけど。
— 小田嶋隆 (@tako_ashi) October 4, 2015
芸能界のガバナンスは、「けじめをつける」「しめしがつかない」「スジを通す」「義理を立てる」「ミソギをする」「顔を立てる」「分際をわきまえる」という感じの、英訳不能な要素だらけなわけですが、あえて3文字で要約するなら「やくざ」ということになるのかもしれません。
— 小田嶋隆 (@tako_ashi) January 18, 2016
いわゆる「リベラル」を嫌う人たちの多くは、その「リベラル」が掲げている言説の内容にではなくて、「臆面もなく正しいことを言う姿」に反発を感じているわけで、その気分は「英語の授業の時に本場っぽい発音で教科書を読みあげる生徒」を嫌っていた心情と通底する何かなのだと思う。
— 小田嶋隆 (@tako_ashi) March 6, 2016
病院の大部屋では、カーテンを隔てた隣のベッドの患者と、見舞客の会話がすべて聞こえてくる。
— 小田嶋隆 (@tako_ashi) August 17, 2019
余儀なく気付かされるのは、対等な関係の夫婦がほとんど存在しないことだ。必ずや、どちらかが威張り散らして、もう一方が屈従している。他人事ながら、よくあんな相手と…と思わずにおれない。
ときどき死にたいと考える人も、病気になりたいとは思わない。理由は、死が非現実であるのに対して、病気の方はより現実的だから。
— 小田嶋隆 (@tako_ashi) April 5, 2020
ついでに言えば、死がめんどうくささからの脱却であるのに対して、病気はめんどうくささの増加だから。
— 小田嶋隆 (@tako_ashi) April 5, 2020