絲山秋子さん『忘れられたワルツ』


 一気読みしてしもた…

ここのところは、こういう時期だからということで半ば義務感で原発関係の本を読んでいた。でも絲山秋子展に行ったら、ついつい絲山ワールドに浸りたくなり、短編集から一編だけならよかろうということで、買ってきた新しい絲山本の中からこれを選び、お風呂で読み始めた。10年たって普段は東北に思いを馳せたりしないダメな自分を鍛えるため、この時期だけでもあの事故のことを勉強しようと思っていたから。

…でもこの文庫本を読み始めたら、びっくりしたことに、この本も東北や震災のことが根底に流れるテーマなのであった。全然知らないで読み始めた。ほんと偶然だった。311で亡くなった人たちの精霊が、わたしをこの本に導いたのだろうか。それがわかったら、罪悪感がとけて、結局かなり夜更けまでかかって、この本を最後まであっという間に読んでしまった。

あいかわらずすべての登場人物が身近に感じられる絲山ワールドだ。こういう人、いるわ、と。そしていつも通り情報量多いわけじゃないのに「わかる、わかる」とわかっていないかもしれないのにその世界に入ってしまう。最後の解説に「絲山さんは読者を信頼して、一番伝えたいことをあえて言葉にしていない」という一節を読み、「なるほど」と思う。そうかもしれない。

会社の出入り業者を「小利口くん」とこっそり呼び、自衛隊なかったらこんな村存在すら消えてるでしょという、恋愛なんて雑用と思っている主人公が登場する最初の1編から始まり、会社のボードにNR(ノーリターン・直帰)と書いて、そのまま赤羽から本当にNRになってしまった営業マンの二人。SF的な作品。そして震災以降、データに熱中しモニターを見つめることがやめられない女友達の話とか、とにかく出てくる人たちすべてが実在しているようだった。こっちの方が、震災のデータが網羅されたノンフィクションよりも、ことを見つめ直すには正しい本なのかもしれない。あぁ、最後の女装する老人のお話しもよかったなぁ。読後感がなんかすごい。なんだっけ、心に残った一節がある。そうそう「異質なものを人は瞬時に見分ける」ってやつ。もうそういう言葉があちこちにあるんだ。

フィクションってすごいなぁ、と思う。いや、絲山さんがすごいのか。わたしは滅多にフィクションは読まないけど、ノンフィクションよりも、こっちの方が受け取るものが大きい気がする。

実際、わたしが自分のリアル友人の中で一番フィクションを読んでいると思われる某音楽ライターさんが「いま、活躍しているフィクションの作家で一番文章がすごいのは絲山秋子」と断言していたのだから間違いない。

一方で、今、途中読みかけでストップしてしまった原発のノンフィクションが、いまいちパンチかけるのだが、普段ノンフィクション専門のわたしでも、下手なノン・フィクションよりも、絲山本の方が合うようだ。来年の3月もこの本を取り出して、また読んでみようかとさえ思う。とはいえ、この原発震災ノンフィクションも絶対に読まないといけないので、またそっちの本に戻るとしようか…。

わたしって絲山さんと生まれた年が一緒なんだよね。なんか同時代に絲山さんがいて嬉しいと単純に思う。同じ震災を同時に体験して、その中から物語が生まれてきて、それを書いてくれる人がいて、それを読者として読むことができて、こんな幸せなことはないよなぁ、と思う。

 

本とは関係ないけれど、 畔柳ユキさんによる震災後行われたシンディ・ローパーの公演の写真。パワフルだ。