過去の過ちを許せるのか、許されるのか 続き

Twitterで 江川紹子さんに「こんなひどいことを、これまでなんら問題にしてこなかった、小山田氏が属する音楽業界の人権感覚にもあきれかえっている」と呟かれてしまい、言葉もない。まったくおっしゃるとおり。私もその音楽業界の隅っこで生活している。

一方でこの件で「全然知らなかった」「当時はお金がなくて雑誌までは買えなかった。そのことはなんとなく聞いてはいたけれど」とマジで心を痛めているファンの方のツイートも見て、こちらも心が痛くなった。つらい。

でもこれは彼個人の問題ではない。載せた媒体、乗せたレコ社宣伝部、弱いものいじめを武勇伝にしていた人たち… すべてに責任がある。

このあとに書くがポリタスTVでも言われていたように本人も、もしかしたらビクビクしながら生きてきたかもしれない…というところまで想像もできる。でも彼がやったことは決して許されることではないのだけれど。

それにしてもRO社もひどいが、2002年にこの該当の掲載誌を復刊していたというQuick Japanなる雑誌もさらにひどい。

頭の中がこんがらがってきたが… 津田大介さんがポリタスでこの頃の時代背景も冷静にまとめてくださっていて、かなり頭の中が整理された。行き場のない憤りだが、ちょっとは私も落ち着いた。

津田さんによると、当時のいわゆる「渋谷系」。インタビューにはまともに答えないのがかっこいいとされた。遅刻常習、インタビュアーがあまり勉強していないとわかるといじめた、こういった過激な発言を媒体側も喜んだ、そしてそれを読者は消費していった等、なるほど言われてみれば、あれこれ私も思い出してきた。そして当時の様子が浮かび上がってくる。

そしてインターネット普及前のレコード会社はとにかくアーティストのイメージ戦略として「神秘性」を売りにしてきた。それが今では、アーティストがランチに食べたカレーの写真まで本人があげてしまう。まったく違う価値観になってしまった。それによってアーティストはファンと直接交流できるようになったが、音楽業界としての収入は明らかに減り、ファンとの直接交流をビジネスに繋げられるような発信が上手な人が生き残る世界になっていった。

が、その中でも小山田圭吾さんはオールドスタイルにこだわり、あまりSNSで自分の言葉で語ってこなかった。もちろんそれをしたらネット上で過去の発言を蒸し返される、という恐れもあったのではないか、と。(←ここするどい)

そして時代背景。本当に校内暴力そしていじめが問題になっていった時代だった。93年の山形マット事件。みなさんも覚えているだろうけど、このショッキングな事件については結局うやむやな結果となり被害者自らがマットにくるまった…というオチになっているらしい。ありえない。そして93年にはプロレス技で死亡事故となり逮捕となった事件、完全自殺マニュアル発売。そして94年のこのRO記事の掲載、恐喝を訴え遺書を残して自殺でなくなった愛知の中学生…94年の長崎の女子高生の飛び降り自殺…そして95年に小山田さんのQuick Japanへの掲載…と続く。そういう時代だったのだ。なんだか思い出してきた。

気持ちの行き場がないのは一緒だけど、この番組をみて、なんかちょっと頭の中が整理された感じだ。

それにしても、ここ20-30年でいろんな価値観が変わってしまった。当時はあんなに力を持っていたレコード会社がこんなふうになってしなうなんて思いもしなかった。東芝EMIのビルが東芝じゃなくなるなんて思ってもいなかった。

90年代のこの頃。自分を思い返してみれば私ははたはた音楽業界に嫌気がさし、もう二度と音楽の仕事はするまいと決意していた数年があった。レコード会社の宣伝担当をしてた私は、小さくても記事が載れば「露出した」といって仕事の成果となったのだけど、露出しているものは流行っているものとみなされ購入につながるという、世間の図式にほとほと嫌気がさしていた。宣伝にひきづられる大衆は馬鹿だよなぁと完全に見下していたし、社内にいる仕事をしないおじさんたちに対しては、「こいつら給料泥棒」と経営者でもないのに経営者視線で怒りまくっていた。あぁ、若い未熟な私…あのころは怒りに溢れていたよなぁ。 

それでも救われたのは、いわゆる外回りの営業職だったから、社内では最悪な気持ちだったけど、社外では本当に多くの人によくしていただいたんだわ。その中には今でも交流を深めている方もたくさんいる。本当に本当に私は社外の人に育てられた。

その一方で当時から広告を打たなければ絶対に露出できないRO誌やメジャーなものしか扱わない大きな音楽雑誌に対しては、歯が立たないこともあって、とても恨みがましく思っていた。広告費を一銭も使えない私のプロモーションで唯一RO誌に掲載されたCDは、二度目の来日を控えたメアリー・ブラックの「Babes in the wood」だった。そのレビューには彼女がCDのジャケットで着ているセーターのことが書かれており「女は普通露出狂であると思うのだが、彼女のように固く肌を出さない女もいる」みたいな音楽の内容にはまったく関係ない内容が書かれていたのだった。ま、このジャケットを見れば、そういう言葉も浮かぶわな…

実はこのジャケットは当時キングレコードで発売になっていた
白鳥英美子さんのCDカバーに影響されて作ったのだった。
初来日したメアリーは白鳥さんのCD(HeartSide)をもらい
こんな小物がたくさん写ったジャケットいいわねぇ、とか言っていた。

そんなわけで、音楽業界のばかばかしさに嫌気がさし、もう二度とこの世界には戻るまいとレコ社をやめたのが92年。まぁ、今思えば、なんというか「自分の手が届かない葡萄はすっぱい」といった気持ちだったのかもしれない。

それがなぜ音楽の世界に戻ったかについては、前にもこのブログに書いたので繰り返さないが、興味ある人はここでも読んでみてください。

ところで小山田さんの件に関する荻上チキさんのコメントもすごく良い「公正世界信念」15分くらいの長さなのでぜひ聞いてみてください。

いろいろ思うが、今回辞退したことはご本人にとってもいいことだと思う。こういったことを音楽業界は、しっかり自分事として受け止めていかねばならないし、また彼が復活していくところも見届けていかないといけない。

でもってほんと津田さんのいうとおり。どうしてこれが生まれたかということを考えないと、また人間は同じ間違いを繰り返す。発言した本人、それを載せたメディア、それを助長したレコード会社、全員に責任がある。

そして私たちスタッフはアーティストとリスナーをつなぐため何ができるのかを考える。そこを外れなければ、これから価値観が変わったとしても大きく間違うことはない。

…とか偉そうに書きながら、私もまだまだ小山田さんやROの世界は、自分とはまったく違う世界の話だという感覚もまだ自分の中にはある。でもそれじゃダメなんだ。同じ間違いをすることは私にだってある。

オリンピック…  あれこれ考えさせられたけど、(まだ終わってないけど)よかったことは都内の飲食店が全面的に禁煙になったこと。タクシーのキャッシュレスが徹底したこと。そして日本の悪いところが結構露見されたこと…かな。日本のファックス好き、エクセル好きに世界中から集まったジャーナリストさんたちが悲鳴をあげているのも(不謹慎ながら)笑った。なんとか公共の場での喫煙同様、ファックスとエクセルを世論で撃退してほしい。小山田さんの件も、今回オリンピックのおかげで露呈されたが、この国がずっと抱えてきた問題の一つだったのだろう。今まで放置してきた私たちが悪い。

これをすべて今後に活かせるかは、私たちにかかっている。この件、もう終わりにしたいと思います。…が、文春あたりが「もっとあった過去のいじめ武勇伝」とかいって出してきそうだよなぁ。彼のしたあらゆるいじめ、ほとんどが犯罪レベルなのでそれは犯罪として処分していただくとして… 一番堪えたのは障害を持つクラスメイトからの年賀状のエピソード。なんか涙が出た。許すって… 私が許す立場にいるわけではないのだけれど、本当に本当に難しい。