映画『グレタ ひとりぼっちの挑戦』を観ました。これは最高中の最高!


いやーーーー もう泣きまくった。いかんわ、ほんとにいかん。これはめちゃくちゃ素晴らしいドキュメンタリーだった。グレタ・トゥーンベリのドキュメンタリー『グレタ ひとりぼっちの挑戦』

彼女のことはもちろん自分の大好きなバンドの出身国と一緒のスウェーデン人ということもありすごく応援している。ニュース関係も割とよく読んでいたと思う。でもやっぱりこの映画を見てよかったと思う。ここには本当に等身大の彼女がいた。

例のニューヨークに渡ったヨットとかあまりにも設備が貧相でびっくりしてしまう。彼女はスピーチの原稿のスペルが違うと憤り、集中すると何も食べないで頑張り続けてしまう。こういうのもアスペルガーの一種の症状なんだと思うんだけど、そんなふうにとっても危うい存在だ。何か食べろと父親に促されてやっとバナナを口にする。グレタが持ちあるいる赤いウォーターボトルがなんだか眩しい。

最近、私はランニングがてら朝日新聞のPodcastを聴いているのだけど、そこで知ったんだけど、朝日新聞ともなればTwitterやSNSで、いわゆる「クソリプ」がたくさん飛んでくるらしいのだけど、一番クソリプがくるのがグレタさんネタなんだって。

なんでそんなにみんなグレタを嫌っているのか…  いや、嫌いというのは違うだよな。多くの人々は彼女のことを怖がっている。でもその感覚はわからないでもない。

いや、マジで気持ちはわかる。是枝監督の映画だってそうだ。子供の視線は怖い。「大人は言うこととやってることがまるで違う」という彼らの厳しい視線に私たちは耐えられないのだ。

日本語にするとグレタ「ちゃん」じゃないのも、彼女の立場を難しくしている要素だと思う。「さん」と呼べば、なんとなく敬称であるし、これがグレタちゃんだったら、もっと違う受け止められ方をするんだと思う。

報道の年齢表現規制みたいなのがあるんだろうか。とにかくグレタ「さん」と言うのが許せないんだろうな、多くの大人には…。

それにしても熱狂する大衆と、セルフィーをお願いしてくる大人たち、面談を申し込む大統領や世界のリーダーが空虚に見える。みんながグレタのことを「君はえらいよ」と褒める。でも褒められることを彼女はのぞんでいない。実際は世界が変わることを望んでいるのだ、と彼女は話す。

本当は学校に行きたい、勉強したい…(実際、彼女の学校の成績は素晴らしい) でもそんな風に思っていると急に国連とか環境団体からスピーチしてくれと声がかかっちゃう…それには行かなくては…。

そんなジレンマも抱え、ただただ娘の幸せを願う両親と、本人が時折見せる笑顔と泣き顔と、とにかくすべてがこの映画には凝縮されている。

それにしても朝が早い回の上映で、9:25に吉祥寺かーとちょっとぐったり。どうせならもっと朝早ければ通勤族の満員電車に遭遇することもないのに…  でもさすがに彼女のファンは朝がみんな強いのか。小さな30人くらいの劇場だったが、ほぼ満員だった。

それにしても、彼女にいつも怒られるように感じるのは、大人たちが自分に自信がないからなんだよな。

私は自己肯定感はすごくある方なんだが(ある意味、肯定感がありすぎる超お幸せもんなんだけど)こんな映画を見たあとも、街中でショッピングして生活必需品ではないものを買ってしまう自分にほとほと嫌気がさした。本当にどうしたらいいんだろう。

でもそれはそれで最短距離を行こうとする自分への奢りにすぎない。お前に何ができるというのだろうという無力感を感じるべくして感じるのだ。そしてその上で、何を毎日の生活でやるべきか考えるべきなのだ。(あ、また「べき」って言っちゃった)

それをみんながやれば小さなことでも変化が起きる。

グレタのこの映画に対するメッセージがいい。「私はこの映画が大好き。私自身と私の日常をありのままに映しているから」うん、良かった、こういう映画が出来てよかった。グレタ、おめでとう!!

私は彼女のことを自分の友達だと思っている。だからグレタ、って呼ぶ。

ところで公式ページではもう新宿での上映は終わっているように書いてあるけど、実際はまだ新宿でも上映されているみたい。ま、どっちにしても、朝早い上映だけだけど(笑)とにかく見てくださーい。怖くないから、そんなに怒られた感じしないから。

この文章の最後に私たちでもやれることが箇条書きで書いてある。こんなことで?と思うけど、みんなでやれば大きくなる。最短距離行こうとしている自分を戒めよう。少しずつでも一歩から。