アーハのドキュメンタリー映画『a-ha THE MOVIE』。オンライン試写で拝見しました。ありがとうございます。
アーハ。懐かしいねー 途中ブレイクはあるものの彼らはずっと活動を続けていたようだが、この映画を見る前の私の記憶では、アーハといえば「Take On Me」のヒットしか思い浮かばなかった。
でも映画が始まってみて、他にもいい曲あったよなぁと次々と思い出した。特に『Hunting High & Low』のアルバムはきちんと聞いていたらしく、映画の前半に出てくる曲は「おっ、この曲知ってるぞ!」というものばかりだった。007のテーマとかも確かに歌ってたよね!
ちなみに「Take On Me」の84年ヴァージョンというものが存在するのだが、これがなかなか垢抜けなくてよろしい(笑)。メンバー的にはビクビクとしてマイムする自分たちと女性ダンサーがからんだ最悪の状況だと思っていたようだが。
80年代のこのころ。音楽で成功したいと思ったらアメリカかイギリスに行くしかなかった。そういう時代だ。その波に乗れた、アーハはラッキーな一発屋くらいに認識していたのだけど、実はポールとマグスが幼馴染だということや、ロンドンで成功を求めて貧乏生活した話などなかなかの苦労人たちだったことも初めて知った。
しかし、まぁ本当にいろいろあるよねぇ。
バンドのドキュメンタリーも、あんなバンドやこんなバンド、散々見せられて、ほんと成功って良いことないよな…静かに暮らすのが一番だな…と思うよ、ほんとに。成功の陰で疲弊していく彼らが痛々しい。
「ヒットしたぜ、やったー」みたいなバンドはどこにもいない。
日本でのシーンも登場する。「きゃー」と言いながら群がる東洋人は格好の絵柄で、この手のドキュメンタリーにおいては、とても「映える」からね。
一方でファンの要望に応え、散々握手やサインをしたあとに車に乗り込み「インフルエンザとか怖い…」とマネージャーにうながされ手指を消毒するモートンや、楽屋に訪ねてきた関係者らしき人たちに無理に愛想をふりまく姿も登場する。
うーん。本当に痛い。「今日は四人だ…」とか来客者の人数をつげるスタッフの気持ちも、手にとるようにわかる。あぁ、「現場あるある」だよなぁ。
でも、こういう姿も見せちゃうんだね…。
特にこの二つのシーンはファンとしては複雑だろう。確かにインフルエンザの件は…私を含め、ミュージシャンのアテンドする人のほぼ全員がいつもやっていることだと思うけど「えっ、これ見せちゃう」とちょっとびっくりした。そこは見せない方がいいんじゃないの?と。
でも他のロック・バンドのドキュメンタリーにあるように「レコ社はオレらの音楽を全然わかってなかった」「あの時、あぁ言ったんだ、あのクソ・レコード会社は。一生忘れない」みたいな強い恨みごとはこの映画にはなかった。
そこがアーハの良いところでもあるし、ノルウェー人だよなぁ、とおもう。
最後に現マネージャー(ロードマネージャー?)との意見の違いは出てきたけど、それは双方納得しているし、お互いをそれでも認めている。
(ちなみに書いておくが、私は音楽的なコメントは自分のミュージシャンには絶対にしない。音楽的にすごいか、すごくないかは彼ら自身が一番わかっているから。一方で公演時間を短くした方がいい、MCは少なめがいい…みたいな演出面でのアドバイスはしつこくする・笑)
ただ…ちょっと映画の主旨からは外れること書くけど…そのレコ社もマネジメントも同情するところがあるとしたら、斜陽のバンドよりも「新しくて新鮮なものを手掛けたい」と思うのが普通なのだわ。
特に日本なんて「外タレ尻つぼみ伝説」は顕著だからね。初来日が一番盛り上がる…ということもとても多い。アーティストのキャリアを長期的に見ているプロモーターなんて本当に滅多にいない。同業者にも一度読んだアーティストを二度とやらないタイプの人たちもいる。
映画に戻ろう。モートン、マグス、ポール。それぞれ出てくるエピソードが「あぁ、こういうタイプの人なのね」と「ミュージシャンあるある」にいちいち当てはまる。
メールが一行だけの人、メールが異様に長い人…「僕は4行くらい」と言うポール。ポールは特に痛いね。でもこういうミュージシャン、本当に多い。モーテン・タイプのミュージシャンもウチにもいると思う。もちろんマグス・タイプも。
でも危ういバランスの上になりたっているとはいえ、トリオはいろんな意味で長く続けられる可能性が高いバンド形態だ。
あと笑ったのはポールもマグスも「注目がモーテンに行ってくれて助かった」と語るところ。不思議な不思議な三角形。
あとこの映画みててわかったんだけど、アーハの音楽ってコールド・プレイだよね。コールド・プレイはアーハの大ファンだそうだよ。確かに。
コールド・プレイの音楽って、どうやってジャンル分けしたらいいんだろうと思ってたけど(ポップでもないし、ロックでもないし)アーハなんだね、彼らは。(すみません、両バンドのファンの方。理解が足りてなければご指摘ください。私にはいずれにしてもそんな認識です)
それにしてもアイドル時代にアイドルを演じる彼らに対するジャーナリストの質問がひどい。上半身ぬいでくれという女性ジャーナリスト。
あと「ロンドンにいってプロデューサーやマネジメントがヒットを作ってくれたんでしょう」的な言葉を投げかける司会者も。誰も彼らの努力や実力を認めていない。
「今はファンがジャーナリストみたいになったよね」というポールの言葉も重く響く。
一方でキーツの詩をモートンに送る80年代からのマネージャーの存在がいい。そうなのだ、名声は追うものじゃない。名声に自分たちを追わせないとダメなのだ。私もミュージシャンとそういう会話ができる、そういう人間関係を築けたらいいなぁと強く思う。
彼らはいつも必死で戦っている。何と? ファンと? ヒットチャートと? 自分の才能と?
「最高のアルバムは、まだできていない」と話すモートンのガールフレンドの言葉が重い。でも、そうなのだ。その気持ちがある限り、メンバーがどんなにつらくてもバンドは続いていく。
いや〜、良いドキュメンタリーだったよな。
彼らにとっても、こういったドキュメンタリーを、バンドのキャリアのこの時点で作ることに疑問や疑いは大いにあったと思う。でもやらないといけない…ということだと思うんだよね。アーハのレガシーをより強いものにするために。「Take On Me」だけじゃないんだよ、ということを世の中に言うために。
そして自分たちのことをわかってもらいたい、そういうことなのかも?
ほんと音楽の仕事って、いったい何のためにやってんだか…と思うところはあるんだよね。みんなこの「自分自身のすごい才能」の奴隷なのだよね。私みたいなスタッフも含めて。
一方で、それが万が一ある程度のヒットになり、それが一つの生態系になっちゃうと、もう誰も引くに引けない。辞めるに辞められなくもなる。でもそれは他の世界でも一緒だろう。音楽ビジネスだけじゃない。
そんなことを考えさせられた映画でした。
さてアーハといえば印象的なエピソードをひとつ。高校時代の夏休み。予備校の夏期講座に通っていた時、英語の先生がおもしろい先生で松田聖子の「天国のキッス」の歌い出しの「Kiss in blue heaven」は英語の歌詞のメロディへの乗せ方が正しくない、と熱く語っていたことを思い出す。
先生は、言葉のこことここに音節があるのだから、こうメロディに乗せねばならない…という話を授業そっちのけで語っていた。あの先生は元気だろうか。高木先生という先生で、大好きな先生だった。
だから「Take on Me」を聴いた時、アーハは、英語ネイティブじゃないから歌詞の載せ方が変なんだなというのを思った。歌詞は、それが文法的に正しいというだけではメロディにしっかり収まらないのだ。他の言語でも一緒だと思う。
今やノルウェー人なんてほぼ全員がネイティブ以上に綺麗な英語をしゃべり、若いバンドが作る歌詞もほぼネイティブ並みに「流暢」だ。田舎者で頑固者というイメージだったノルウェーも、北海油田で大金持ち。
お金があるから文化活動もさかんだ。映画にもじゃんじゃんサポートが降りる。私なんぞは高くて一人でノルウェーを旅することもできない。
ちなみに映画ではニューヨークに住んでいるというポールは英語、モートンとマグスはノルウェー語で話していた。そんなところも彼らの考え方の違いなのかも。
それにしてもノルウェー語は、時々スウェーデン語と同じ言葉があって、聞いていて気持ちがいい。彼らもノルウェー語で歌えばいいのにね。(というか、歌っている曲があったら教えてください>詳しい人)
『a-ha THE MOVIE』
— 映画『a-ha THE MOVIE』公式 (@ahathemovie) February 26, 2022
本日、より東京・新宿武蔵野館のエレベーター装飾が #ahathemovie で本日から絶賛稼働中!公開が少しずつ、少しずつ近づいてまいりました!お近くへお立ち寄りの際はぜひお立ち寄りください。(6/9まで展開予定) pic.twitter.com/ZohCxaRwhU
コロナで延期につぐ延期の彼らの来日公演は、現状日程はフィックスされてないみたい。最新情報はこちらのサイトまで。
あとYou Tubeでこんなドキュメンタリーも見つけた。こちらも共演の女の子が出てきたりしてなかなか興味深いですよ。(全部で3本あります)