今ごろ見ましたが、めっちゃ素晴らしかったです。映画『スーパーノヴァ』やばい〜っっっ


いや〜、見に行こうと思ってたのよ。でもコロナで行けなかったんだっけか… チェックしてたんだけど、今の今まで見れてなかった。で、今ごろ見てるのは私だけだろうけど、今、見ました。

コリン・ファースの弾く「愛の挨拶」がめっちゃいいんだー 吹き替えを避けたいと言う監督の希望を受け、コリン・ファースは毎日レッスンしたらしい。めっちゃゆっくりテンポなんだけど、泣けるんだわー。っていうか、監督正しい。この映画のエンディングはこうあるべきだ。

いやー 脚本が素晴らしく、セリフが素晴らしい。この脚本を読んだら俳優は演じたくなるよね。脚本がその世界一の昇華先を見つけたんだと思う。まだこの監督・脚本家さん若いんだけど、その素晴らしい作品が最高の俳優に届けられた。

コリン・ファース、大好きなのよ。なんてったってミスター・ダーシー(BBC『高慢と偏見』)だもの。身体のでかい男性は無条件で好きな私。本当に好きな俳優さんです。

でも彼のキャリアを見ていると、脱却ミスター・ダーシーに苦労しているし、出演作が多いだけにけっこう駄作も多いんだわ。一時流行ったブリティッシュ・ラブ・コメとかでも全然ミスターダーシーを脱却できてない。

そんな彼が活きるのはこういう脚本だと思う。この脚本のパワーはすごいわ。『英国王のスピーチ』以来のヒットかも。

二人がドライブしていくのは、イングランドの素敵な風景… 調べたら湖水地方での撮影だそうで、それも最高に素晴らしい。

コリン・ファースのことばかり書いちゃったけど、スタンリー・トゥッチも最高中の最高なのだ。彼こそいろんな役が全部演じられるものすごい俳優。

大好きな『プラダを着た悪魔』や『Shall we dance?』のアメリカリメイク版などコメディでの彼が好きだけど、こういうのも最高に最高に最高に素晴らしい。

もう最高ばかり書いているけど、いや、本当に素晴らしいんです。

ピアニストと作家の男性同士のカップルの話。もう20年近く一緒に暮らしているらしい。おそらくピアニストの方はかなり有名で成功しているが、今は活動を休止している。作家は売れているんだか売れていないだか、映画の中でははっきり言及されていない。

作家の方はおそらく若年性アルツハイマー的な病気を宣告され(正式な病名ははっきりと映画の中では明言されていない)、自分でも症状が進んでいるのを自覚している。

二人はピアニストの復活ライブを行うため、キャンピングカーを運転し旅をする。カー・ナビの女性の声に「サッチャーに言われてるみたいだ」と文句を言う作家。

「音が聞こえないかい? 僕が君を無視する音」そういうセリフもすごくいいし、いろんな経緯や物事を説明しすぎてないのがいい。

そして映画では、ただただお互いを思いやる気持ち… それが描かれている。だから二人のやりとりが本当に素敵なんだよね。あぁ、もう最高。

いや、反対に私なんぞは「病気になったとしても、こんなふうに愛する人がいると自分の人生自由にならんよな…」「愛する人がいるということは大変なことだよな」と思ったりもする。

誰かがそばにいるだけで、もう寂しい。辛い。そんな感覚。いやー これ耐えられないよ。自分だったら耐えられない。

ちなみにタイトルのスーパーノヴァとは超新星というやつのことで、星がその一生を終える時に大爆発する最後の力強い光…という意味なのだそうだ。

あーーーやばい、やばい、やばい。素敵すぎる。

いやーーー 最高でした。みなさんもぜひ見てね。今は、配信で見れます。

 

こちらのコリン・ファースのインタビューも良い。二人のすぐれた俳優の友情の結晶だよね、この作品。


コリン・ファースって本当に素敵。よくおぼっちゃまに見られるけど、実はパブリックスクールには行ってないんだって。「アナザー・カントリー」のイメージがあるから、よくそう言われるらしいけど。

それにしても素敵だわ。私も生涯通じて、実はおぼっちゃまの男性の親友が多い(笑)。彼らの方も美人や垢抜けた女性よりも、私みたいな無印良品的な…一匹狼的な私みたいな女が好きだったりもするのよ。あぁ、いいわぁ〜。

いや、だからコリン・ファースはぼっちゃんじゃないんだって…と一人で突っ込んだりするのであった。

AmazonのPrimeのリンクはこちら。


最後にこの映画に真剣に取り組んだ二人の俳優と、この素晴らしい映画に対する私の敬意として。私が想像した私なりに正しいと思う彼らの未来。それはやはり本当に愛しているのであれば、相手の好きなようにさせてあげることだと思う。

のぞみをかなえてあげること。自分のエゴ、それがたとえその人と一緒にいたい…ということでもSet them Freeが答えじゃないのかな。

では、コリン・ファースとスタンリー・トゥッチーのどちらが正しいのか…。

例えば早く死ぬ相手(消える相手)に対したら… 死ねばまったくの終わりなのだから、それ以降生きてその事実と戦っていかねばならない人生を送るだろうパートナーの未来を優先すべきだという考え方はある。

未来も生きているであろう側の人生に「最後まで面倒をみた。大変だったけど…」と満足感を与えてあげることにフォーカスを置かないといけないかも…。

となるとコリン・ファースの方の希望にそうように二人で進んでいかねばならない…ということになる。もちろんスタンリー・トゥツィーの自分の人生に対する美学やいろんな考え方は理解できる。

でも私はどちらというとスタンリー・トゥツィーの方の考え方に近い。でもそれが行きすぎてしまうと中村とうようみたいな事になりかねないよな、とも思う。

あぁいうやり方は本人はかっこいいし大満足かもしれないけれど、やはり友達に申し訳なさすぎだ。友達のことを考えると、あぁいう終わり方には賛成しない。

「僕だっていろいろ考えた。そして、その末に結論を見つけた。自分は強い、耐えられる」というコリン・ファースのセリフがとても重かった。あれはいいシーンだ。

あぁ、やばい。本当にこの映画よすぎる。正解なんて何もないわけで、二人のことは二人のこと。二人で決めればいい。だけど、時々見終わって何日もたった今でも、この二人のことを思い出して何が正解なのか、自分なりに納得できる答えを探している。

素晴らしい映画だ。