メアリー・ブラックのツアー・マネージャー他、多くのアイルランドのバンドを支えたダミアンDamian McCollumが亡くなりました。

 


昨日ヘロヘロで帰宅したらショッキングなニュースが。メアリー・ブラックのツアー・マネージャーを長年勤め(34年間だったそうです)、多くのアイルランド音楽のバンドに貢献してきたダミアン・マッコルムがなくなりました。

いくつだったんだろう。でも60代じゃないかな。

メアリー・ブラックの投稿。

シャロン・シャノン。

ママズ・ボーイズのパット・マクマナスからもメッセージ出た。


ダミアンはなんというか絶対に出しゃばらない人で、本当に静かな人だった。シャイで、あまりしゃべらず、でも仕事はしっかりきっちり。彼がいればすべては問題なし…みたいな。

メアリー・ブラックは本当に心からダミアンを頼りにしていたので、その気持ちは痛いほどわかる。これは辛い。実際、メアリーより若かったと思うんだよね。

いやー 参ったよなぁ。これは。

ダミアンと自分が写っている写真がどっかにないか。

昨晩、イベント終わりで疲れて銭湯に駆け込んで湯船につかりながら考えたが、デジタル以前の写真は本当にほとんど残ってない。

メアリーのオートバイオグラフィーに日本での写真があったよな…と思い出した。これ。


大阪の居酒屋での写真。ちなみにここに写ってる日本人女子は私のふくめ全員、まだ音楽業界で働いている。ある意味すごいな。1990年? 初来日時だったと思う。ダミアンは一番左で写っている。

懐かしいなぁ。ダミアンはツアーマネージャーで本当にホテルのブッキングから飛行機のブッキングからツアーの全てをこなしていたけど、日本ではあまりやることがないと言って、少し寂しそうだった。

実際、日本のプロモーターはこちらではがっつり仕切るし、私は私で若い時は自分は仕事ができるんだ的なエゴの元に生きていたから、人の立場を立てることなど何も考えていなかった。

でも歳をとって少し大人になったから、多少はチームワークがうまくなった自分をダミアンにも見せてあげられると思っていたのに…メアリーの最後の日本ツアーはドバイと日本で、どちらもダミアンみたいなツアーマネは必要ではなかった。

だからダミアンは来なかったんだよね。ちょっと残念。

でも私が海外のツアーに遊びに行くとダミアンは本当に良くしてくれた。ダミアンがいるからメアリーのツアーでも自信を持って遊びに行けた。

小さいことかもしれないが、私がいないところで、バンドと一緒にケータリングのご飯食べたりしてる私の分を地元のオーガナイザーに許可とってくれたり、いろいろしてくれてたんだと思う。

そうそうダブリン出張の時、まだファックスでホテルの手配とかやってた私の宿泊場所は、よくダミアンがスペシャルレートを出してくれたっけ。Blooms Hotel。今やネットでなんでもできるけど、当時はそうやってホテルを手配するのも大変だった。

そんなふうに私はメアリーの極東担当スタッフの一人にすぎないのが、ファミリーの隅っこにいて、本当にダミアンには世話になりっぱなしだった。

ダミアンの思い出。奥さんもすごい素敵な人で、いつだったかメアリーのコンサートをベルファストまで見に行った時の話。ダブリン在住のメアリーたちは「ナイトライド」と言って、そのまま夜、公演地であるベルファストには宿泊せず、ダブリンに自分たちの車で帰宅する方法をとっていた。

ベルファストで一泊しちゃうと、それで2日間つぶれてしまうが、そのまま帰宅すれば夜遅くなったとしても自分の家で寝られるし、子供たちとも会えるし、翌日はフルに使える。ほんの2時間半くらいのドライブだ。

だったら家に帰っちゃおう。そんなアイディアだったんだと思う。

私は大変だなぁ、日本なら公演地に泊まるのになぁと思いつつ、でもヨーロッパのツアーでは割とそれは普通のことで、みんなそれぞれの乗用車に分乗し、帰宅の道へとダブリンでナイト・ライド・ホームしていたのだった。

(そういう時、よくヴァン・モリソンとかジョニ・ミッチェルとか一緒に車内で爆音で聞いたっけなぁ!!)

ベルファストからの帰宅途中、ダンダルクに住んでいたダミアンの家の近くのパブで、車は停まった。ダンダルクはベルファストとダブリンのちょうど間くらいにある。

そこでダミアンの奥さんがあったかいポットいっぱいの紅茶とたくさんのサンドイッチを山のようにみんなのために用意してくれていたのだ。

メアリーが「本当に彼女は私たちが欲しいものが何か、分かってくれてるのよね」と言った。そう夕飯はケータリングでツアー中は立派なものがバックステージに用意される。でも本番終わって、早く家に帰りたい。途中チップスによるのも面倒だし、さっさと家に帰りたい、でもお腹すいたなぁ…

そんな風に一行がベルファストからダブリンへ向かうのをダミアンのおくさんとダミアンは知っていたのだろう。

私もご相伴に預かり、本当にあったかい気持ちになったのをよく覚えている。パンはブラウンブレッドで、あぁいうアイルランドのサンドイッチ、私は今でも大好きだ。ダンダルクはだから、今でも私にとってはダミアンの街だ。

その後ダンダルクはコアーズが出てきて話題になった。でもコアーズが出てきた時、「ふーん、ダンダルクね。単なる田舎じゃん」と私は思ったのだった。

その後David Keenanが出てきて、また最近話題になってるダンダルク。でも何度も言うが、私にとってダンダルクはいつでもダミアンの街だ。

ダミアン本当にありがとう。本当に本当に本当にありがとう。多分世界中のメアリー関係者がみんなそう思っている。あなたに感謝している。あなたみたいなツアー・マネージャーはもう2度と現れないだろうと。

っていうか、メアリー関係者の誰かがいつかは亡くなるのかなと思った時、ノエル・ブリッジマンに続く次が比較的若いダミアンって誰も思ってなかったよ。寂しすぎるよ。これは。

PS
Dundalkダンダルク。ダンドークって感じの発音だったかも。Dundalk出身の二つのアーティストの音楽を東京の仕事場で朝から聞く。

コアーズ。メアリー・ブラックの「No Frontiers」を歌っている。

 

そしてDavid Keenan。

 

 PPS
ダンダルクにはSpirits Storeという素敵なベニューがあって、ルナサを見に行ったし、コローナズもここではじめてちゃんと見たんじゃなかったかな。海辺の可愛いベニュー。150人くらいでいっぱいになっちゃう。

あそこでルナサを見た時は、なぜかプランクトンの川島恵子さんもいた。どういう経緯だったのか。小さい恵子さんが(川島さんは私と背の高さが変わらない)ぐんぐん前の方に行ってかぶりつきで見てたのがかわいかった。仕事とはいえ、自分の現場ではないので、ライブを満喫した。東京じゃこうはいかない。

あのあと二人でダンダルクに泊まったんだっけか? トレヴァーと一緒にダブリンに戻ってきたか。もう覚えていない。

コローナズを見た時、やはりダブリンまでナイトライドで帰ってきた。ヴァンの中で、全員がゲームをしていたのが笑えた。今時の子だよなぁ!!(爆)もうあんな小さな会場ではコロナーズは見れないだろうな。