デニス・カヒル R.I.P.

Photo by Naoki Fujioka

デニス・カヒルが亡くなった。病気療養中だった。68歳。まだ早すぎると思うが、これが現実だ。

私が紹介したヨーロッパのグループで、最高に芸術ポイントが高く、どんなジャンルを聴いている人にも自信を持って紹介できるのは、トリオのヴェーセンとマーティン&デニスだったと思う。

今やその二つとも無くなってしまった。

いや、後悔はない。いつだってやれることは全部やってきたと思っているから。

このニュースを見て、すでに夜中で、すぐ寝ようと思ったのだけど、全然眠れないので、追悼ブログを書き始めた。こんなことやってると時差ぼけがますますやばいんだけど。

デニスは確か最初の奥さんを交通事故か何かで突然亡くしたと記憶している。その後、今のパートナー(メアリーさん)と一緒になった。確か彼女は看護師か何かをしているんじゃなかったっけか。

お会いしたことはなかったけど、デニスの言葉の端に彼女の名前があがるたびに、なんか幸せな気持ちになった。

アメリカ人だから「ケイヒル」って読むんじゃないの?とよく聞かれたけど、本人が「カヒル」がいいっていうから、うちの表記は「カヒル」にしてた。

いつだったか、ルナサのコンサートを見にシカゴに行った時、デニスを呼び出して一緒に見に行ったっけな… あれ、だいぶ前だよな… 

最後に会ったのはダブリンのナショナル・コンサート・ホールで見たグローミングの公演だった。とにかくグローミングは話題で、ポール・ブレイディとマネージャーのジョンと一緒に行った。他にも会場でいろんなミュージシャンに会った。

この音楽にピアノはあり・なしで賛否両論だったけど、私は圧倒的にピアノあり指示派だった。

この最後にデニスに会った正確な日程を思い出すべく、自分のfbをあさってみたのだが、コンサートを見た記録がまるでない。

そうだ、そうだった、あの頃はグローミングを日本の呼ぶ予定だった。未来の「ありうる企画」の写真は、いくら友達のみが閲覧可能なfbのフォトアルバムだったとしても、音楽ライターさんたちが見ているので、企業秘密としてあえて載せていなかったのだった。

fbにアップしておかないと、自分では何も覚えていられない馬鹿な自分…。

で、出張の時のフォト・アルバムを探る。そして公演に行く前にポール・ブレイディとナショナル・コンサート・ホールのカフェでこれを食べた記憶があるので…ということは、2014年1月27日?



で、バンドのfbページで確認したら確認したら、確かにその日、グローミングはダブリンでコンサートをやっているのだった。すごい。食べ物の記憶、すごい。

ポールは確か、めっちゃここのカフェをうたがって「えーー、あそこ、美味いのかぁ?」とか言うから「えっ、行ったことないの? 私何度も行ってるよ、絶対にうまいよ、私が補償する」って言って無理に連れていったのだった。で、もちろん御大も大満足だったのだった。

どっちがゴチしたかは記憶になし。さすがにコンサートは私が招待したので(といっても招待チケットだったけど)、この時は御大が払ったか…

話がずれた。でもグローミングはとてもじゃないけどギャラが高くて呼べなかった。何度も何度もマネジメントと話し合ったんだけど。

とにかく、ものすごい金額だった。

どうやらメンバー全員が忙しいから、年間グローミングでの活動は2週間だけと決めているらしかった。

で、その2週間に、その年に来たオファーのトップ2、3ヶ所くらいで公演が行われる段取りなのであった。そんな状況で日本なんかに来れるわけがないよね…

でも確か中国はやったんじゃなかったっけか? 


最初マーティンとデニスがシカゴで出会って2人で試みた音楽はジョン・マクラフリンのマハヴィシュヌ・オーケストラみたいな音楽だったらしい。

デニスは売れなかった時代にニール・ダイヤモンドのカバーアルバム(ギターソロ)を出しているらしい。もちろんアルバイト仕事(笑)。初代マネージャーが「いつか見つけて、本人に見せてびっくりさせるんだ」と言っていたが、それも叶わぬ夢に。

デニスのヒーローはビル・エヴァンスだった。楽屋でよくギターで「ワルツ・フォー・デビー」を弾いていたっけ。

デニスは政治の話が大好きで、マーティンと旅の最中、話すことといったら政治の話ばかり。2人ともオバマの大ファンで、よくあるテレビで報道される応援集会みたいなのにも参加し、群衆の中で写真を撮ったやつを私に自慢げにみせてくれた。

その後、オバマの前で演奏する機会があり、2人の喜びを思うと私も嬉しかった。

311の震災のあと、4月にすぐ来日してくれたのがマーティンとデニスだった。あの時、マーティンは「ほんとにお客さん来るのか」って、すごく言っていた。

私も不安だったし、原発がああいう状況で世界中が注目していて、果たして彼らに「原発怖いし行きたくない」と言われてもしょうがないかなと思ってた。

一方で、それを彼らに言わせてしまうのも刻だと思い、私からキャンセルをオファーした方がいいのかなとも思った。

でもそれは違うと思いなおし、自分としてはやはり是非来日してほしい。でもみんな家族もいるし、無理にとは言わないよ。返事は1週間後でいいから、とマネージャーに伝えたのだが、2人は2日後くらいにはすぐ返事をくれた。返事はYESだった。

マーティンとデニスが尺八の田辺洌山さんとやったコンサートは、私が作ったコンサートの中でももっとも芸術ポイントの高い公演だった。あれ、かっこよかったよなぁ! レポートはここ。

マーティンがメロディプレイヤーだから、デニスは何かとマーティンをたてることに終始していた。他にもここには今、書けないことが山ほどある。

それにしてもデニス、かっこよかったよなぁ。マーティン・ヘイズはアイルランド音楽界のマイルス・デイヴィスだと思うけど、マーティンをマイルスにしたのはデニスのギターだった。

最高に最高にかっこいい音楽だった。ありがとう、デニス。

マーティンはよく自分達の音楽はピアノの右手と左手だと言っていた。左手を失って、マーティンはこれからどうするんだろう。ソロやデュオやバンドでやっていくのだとは思うけど、あのすごい音楽はもう戻ってこない。

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