ひゃーーーこのクソ忙しい時に到着してしまった。間違いなく面白いノン・フィクション。やばい!! 読んでる時間はないのだけれど、やっぱり読んでしまった、高野さんの新刊。一旦読み始めたら、読み止めるのは至難の業だ。とにかく今回もめちゃくちゃ面白い。
…と書いたのが、二ヶ月前。そして、読み終わるのに今までかかってしまった。ツアー中は待ち時間も結構あるから、絶対に読めたはずなのに、結局待ち時間や待機時間も、ぼーーっとしてしまい、読み終わったのは、つい最近。
読みもしないのに、この本をずっとツアー中、持ち歩いてしまった… とほほ。
しかし、すごい。すごい本だった。そして読後のさわやかさといったらない! ツアー終わりの荒んだ心に響く、高野ワールド。なんか涙さえ出てくるのであった。ホントだよ。
この本を読めば本当にお世辞ではなく、本当に語学学習の真髄にふれることができる。
これ、高野さんのいつもの口調で、おもしろおかしく自虐的に書いているんだけど、この本に書かれている語学学習のエッセンスだけを取り出し、しれっとビジネス書系のゴーストやってるような人がリライトして新書スタイルで発売したら、めっちゃヒットになりそうな気がする!!(あっ、この本が売れないと言っているのではありません)
それかいっそ子供用に書き直しても、それはそれでものすごい社会の役にたつようにも思う。というか、読者、高野さんの本、いつものポップなエンタメ口調にひっぱられるけど、それをガハガハ笑って読んでたらダメなんだ、そうじゃないんだ。
この本はすごい。
ここには語学学習において、めちゃくちゃ重要なことがいくつも書いてあるのだ。私は、あまり語学学習においては、褒められた経験がない。
日本語と、あと英語はちゃんとした留学経験はないものの下手くそながら、それなりにストレスなくしゃべれる。(が、おそらく私とコミュニケーションしている人には大きなストレスを与えているのかもしれない。一方で私はそれに気づかないおめでたい性格である)
スウェーデン語も勉強して、結構楽しかった。今でも短いフレーズは覚えている。その程度の語学学習体験はあるのだが、私に言わせれば、スウェーデン語は英語ができれば、相当簡単で、簡単と思った瞬間勉強することをやめてしまったので、それ以降、あまり上達できていない。
そんな私ですらも、本当に思い当たるツボみたいなものが、あちこちに書かれている。仕事をしていても、英語ですら喋れない人は、ずっとしゃべれない。どんなに英語を使う仕事をしていたとしても、だ。
結局語学習得って、人間の性格なのかも、とも思う。反対に習得する時は自分の人間性をかけて取り組まないとダメなのだ、とも思う。
加えてメールでの英語となると、これはもっとひどくって、ちゃんとした英語のメールが書ける人は、プロモーター業界にほとんどいないようにも思う。人が書いて英文のメールのCCを見て、ぎょっとすることもある。
あと最近よくあるのがSNSで、外国人相手に英語で書いている人の中にも、なかなか個性的な英語を使っている人も多い。(そして私の英文メールやSNSもきっと、どこかの誰かをぎょっとさせていそうだ)
しかし高野さんの本はすべてそうだけど、本当に真実というか、物事のコアな部分をついてくるんだよなぁ! この本も語学のそんなことを、本当に鋭くついてくる。
振り返れば高野さんの本、すべて探検、冒険、しかも怪獣探しに行くとか馬鹿な話を描きつつ、そこにあるのは「人生とは」「生きるとは」…高野さんの本のすべてが、そういう大きな問いに応えてくれているではないか! この本もそうなのだ。
ファンとしては、好きな作品は複数買う…ということで、冒険研究所書店に注文していたサイン本、そして西荻の今野書店でリアルにお会いしてサインをもらったサイン本。ふふふ、嬉しいなぁ、好きな作家が同時代にいて活躍されていて、新刊のたびにワクワクする感じ。
ひさしぶりにお会いした高野さんは、あいかわらず優しさというか慈悲深い感じで「おじいちゃん度」が増しているのだった。なむぅ〜
ところで、この本について、本当にそうだな、と実践で思ったことが、実は先のツアー中におこった。
ゴサード姉妹のツアーでは、ステージのクルーとゴサード姉妹は大の仲良しで、正直、私は毎日彼女たちを会場に連れていきさえすれば、ほとんどやることがないくらいだったのだった。
一方で会場の外では、彼女たちになにかあってはいけない、コロナに感染したら大変と、なんとなくいつも緊張していた。
チビの私がアテンドだと、夜の街で「よっ、金髪のねーちゃん!」と絡まれることもあった。オフや移動だけの日は本番がある日よりも、だからとても緊張していた。
が、会場にさえつれていくれば、本当に多くのスタッフの皆さんが彼女たちの面倒を見てくれるので、私は本当に心からホッとし安心していた。
彼女たちは「おはようございます」「大丈夫」「最高」程度の日本語は問題なくつかいこなす。
しかもこの仕事をしている人だったらご存知のように、言葉が通じなくても、業務上はまったく問題にならない。
そもそもプロフェッショナルなスタッフは、ミュージシャンと無駄口などたたかない。
というわけで、スタッフとは心の交流、プロフェッショナルな交流はあれど、しかし語学という壁はしかと二組の間に存在しているのであった。
頭のいいゴサードたちは、これは自分から話をふらないとダメなんだと気づき、途中から「昨日何を食べましたか」みたいなちょっと複雑な日本語の会話を、私に聞いて練習しはじめた。他には、ちょっと高度な「楽器は何を演奏しますか」みたいなことも。
そして、どうやらそれはステージでスタッフに会った時、英語をほとんどしゃべらないスタッフと話がしたくて練習しているのだった。
そして、それがこの本の冒頭に書かれていることとまさにリアルにシンクロしてしまうので、もうこの本を読みながら、私はうなずきまくってしまったのだ!
言葉って、本当に相手次第! 相手と話したいという、ただただそういう気持ちだけなのである。…と、語学の習得術のコアな部分が実際に目撃できた瞬間だった。なんか胸アツである。
彼女たちが日本語で一生懸命おこなった、日本語のスピーチは本当に感動的だった。…ううっ、いかん、また私も泣きそうだ。(詳しくは、こちらのブログをどうぞ)
話を高野本に戻す。
他にも「言語内序列」とか、語学アイデンティティの確立とか(「ボミタバ語を話す俺」笑)、そして語学習得には一般に言われているのと違う「近くない場所」「安くない授業料」「固定されて融通が効かない授業時間」が必要だというのも納得。
タイでの日本語教師体験や、「自分で法則を見出す(=探検)。だから発見すれば忘れない」そして「挨拶語がない世界」など… とりあえず印象になった部分をここにメモっておく。
それにしても読み終われば爽やかなエンディングで、一気に世界が明るくなるようなすごい本だった。もうなんか世界中の言葉がしゃべれるような気になれるのであった。
あっ、そうそう高野さんのファンの人には、あぁ、あの時はこういう事情だったのか…という過去の名作ノンフィクションとの内容のシンクロがたまりません。ぜひ!
それにしても、『世界が生まれた朝に』読みたいよなぁ。翻訳物は復刊するにしても難しいんだ。